演奏道中記4.14:若く見られる東洋人

実はしばらく少しだけへこんでいた。

「あなたの様な若手には良い機会ではないでしょうか?」「場数にはなるでしょう。」

「…そんな殺生な!」と言いたくなるような雀の涙のギャラの言い訳の様に、こんな言葉が付け足されている出演依頼のメールが何故か最近続いていた。その度に一々心穏やかならぬ気持ちになって、そして落ち込んでいたのである。敢えて数字は伏字にしても、私はすでに四捨五入すれば織田信長が本能寺で歌った「人生XX年...」なのである。「同年齢の白人男性に対してこんな発言は出ないはず...」悔しい...

ところが、である。開眼する事件が一昨日あったのだ!まあ、聞いて下さい。

「同僚の娘が高校卒業と同時に日本に大学留学するの。ちょっと会ってあげてくれない?日本の事情とか聞かせてあげて。」

そんな友人(非・東洋人)からの連絡で近所のカフェに行った。5月に高校を卒業する背が高く活発そうな女の子(非・東洋人)は、お母さん(非・東洋人)の心配を弾き飛ばすような勢いで、ウキウキと私に好きなアニメの話しをしたり、「渋谷で日本のファッションを見たいの」とか「秋葉原に行きたい」などの可愛い発言で、とても親しみを持って話してくれる。私も嬉しくなって、にこにこと相槌を打っていた。祖国に興味を持ってもらえるのは本当に嬉しいし、こんなに若い子がこれから4年間も日本で暮らすというのなら、出来る支援はしてあげたい。そんな会合の、帰り際の事。「何でも質問があったらいつでも連絡して来て良いよ。」とメルアドを渡したら、紹介してくれた友人が「マキコは日本にシスターもいるしね。」と言ってきた。ご存知の通り、英語の「シスター」は姉か妹か特定されない。「え!! マキコ、シスターが日本にいるの!?やった~!シスターはおいくつ?」と聞かれて私は「えっと...XX(アラフォーの数字)、かな?」その時、高校生ちゃんが言ったのだ。

(『なあんだ~!』という感じで)「え~?私はてっきり18くらいかと...。」

私「…」(ショックで頭がクラクラして何も言えない)
友人「…」(フォローが出来ない)

高校生ちゃんは全く悪びれず相変わらず嬉しそうにニコニコしている。一方、私は何だか自分の知らない別世界に突然テレポートした感じ。(な、なに?もしかしてこの高校生ちゃん、私をずっと同年代と思ってしゃべってた?)(…って言うか、この子のお母さんも私を大学生とか高校生とか思ってた?)(…っていうか、えええ?...えええええ???...えええええ~~~~???

結局、彼女の誤解は訂正されることなく、彼女はニコニコと、私は茫然と、友人は笑いをかみ殺しながら、私たちはサヨナラを言い、それぞれ帰途についた。お母さんがどんな顔だったのか、それはすっぽりと記憶から抜けている。

カフェは暗かった。私はその日はノーメークだった。そしてその子があんまりウキウキと楽しそうに私に喋りかけるので、私もちょっとウキウキしていた。それでも、である。

はっきり言って、生まれ落ちた国とか文化とか時代が違えば、私には18の孫がいてもおかしくはない。

確かに人種によって年齢の出方は違う。これは食べ物とか生活習慣の違いもあるだろうが、それよりも遺伝的なものが大きいのではないかと思う。そしてまあ、私は「あ~ちすと」だったり、つい最近まで学生だったり(2017年博士号取得)といった人生背景が自由奔放な立ち居振る舞いとなり、それがよく言えば若々しく、悪く言えば子供っぽく出ているのかもしれない。そして「東洋人女性=KAWAII」というステレオタイプの同調圧力に抗うのが面倒だから、時々そういうキャラを演じたりしているのも認める。

でも、ショックのエコーを乗り切りながら何となく納得した事が二つある。

一つ目は、去年の3月に6人のアジア人女性を含む8人の被害者が出た銃殺アトランタの銃撃事件である。犠牲者の女性らは過去に売春行為で摘発されていたマッサージ店の従業員だった、21歳の加害者は自分の宗教観と性欲のジレンマで常連だったマッサージ店を「誘惑の根源」として攻撃した。この時アジア人女性の犠牲者が33・44・49・51・63・74と比較的高齢だったことは、不思議がられたり、悪趣味な興味の対象となったりした。しかし、今回のこの全く無邪気な高校生の発言で、私は何となく納得した。東洋人を若く見るのは、性的対象としてだけじゃない。しょうがない。馬鹿にされている訳では、必ずしもない。

もう一つは、私が最近一々腹を立てていた演奏依頼のメールの失言。「馬鹿にしているのか?」「皮肉か?」「人種ステレオタイプのせいか?」「東洋人女性だから足元みるのか?」などと、自分の中のやるせない気持ちは、時として持て余すくらいだったが、実は本当に私を若手と思っていたのか?ただ単純に誤解していただけなのか?雀の涙は悲しいけれど、怒る事はないのか?

自分が思っている自分と世界が思っている自分のギャップに苦しんで、人はカミングアウトしたり、時には命の危険さえも犯して性転換手術までしたりする。こういう場合はどうすれば良いのか?...そうだ!...と思って、こうして言葉にして見ました。少なくとも私には音楽と言葉という、二つの自己表現媒体がある。

お読みいただけて、受け止めて頂けて、ありがとうございます。

1 thought on “演奏道中記4.14:若く見られる東洋人”

  1. お疲れ様です。

    まじめは、真面目と書きます。
    しんめんぼくと読みます。
    ググると
    1.《名》本来の姿・ありさま。転じて、真価。
     「―を発揮する」
    脳科学者のピアニストは、度量、雄大です。
    人が発する強弱の音符を受容し、素晴らしい演奏に昇華する術があります。
    とは言え、アーチストは、孤高の人なのです。

    小川久男

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