私の日本公演も今年で16年目になります。

私の日本での公演も今年で16年目を迎える。 (詳細はHPにて!http://makiko-piano.wix.com/makiko-hirata) 夏の公演を2001年から始め、以来一年も欠かしたことは無い。 秋や春先にも機会を頂いて、一年に2回の活動をさせていただいた年も多い。 それを可能にしてくださった沢山の方々の支援・ご助力を想うと、本当に感慨深い。 色々な試行錯誤があった。 中心となって広報活動をしてくれた両親には 「もっと耳なじみの多い曲を…親しみやすい曲を…」と泣きつかれた。 一つでも多くの席を埋めて上げたい、と言う親心だったのだ、と今は思う。 しかし若い時‐いわゆる修行中‐は「親の心子知らず」で、 「アメリカで日本食店経営する時、アメリカ人向けにケチャップライス出す? 違うでしょ!分かってもらえる人だけに分かってもらえば良いと思って ちゃんとお出汁を取って、新鮮な素材で、薄味で、本当の和食を出すでしょう?」 と、ベートーヴェンのハンマークラヴィアやバッハのゴールドベルグ変奏曲など、 弾くのは勿論、聴くのも難解な曲に敢えて挑戦したりした。 私の両親も、主催者も、そんな私のわがままを涙を呑んで、心配を我慢して、 許して、最終的な演目を毎年私に任せてくれた。 でもだから、そう言う自由を許されて、 私は自分の納得できる音楽的成長を遂げることができた、と思う。 ありがたく思っている。 最近博士論文のリサーチの一環として19世紀の演奏家について多く読んでいる私は 新しい心境に至っている。 演奏会には3つあると思う。 1.聴衆のための物、2.演奏家のための物、3.作曲家(あるいは『音楽』のための物)。 1.は興業としては成り立ちやすい。 聴衆が何を求めているのか、何を楽しいと思うのか、どうすればチケットが売れるのか、 それを最優先にする。 クラシック音楽業界に於いては歴史的に「身売り」と見下される視点だが、 しかし実際興業として成り立たなければ、演奏家の生活は成り立たない。 2.は演奏家を、その演奏技術やスター性を見せびらかすもの。 これには超絶技巧や、演奏家のルックス、逸話、 全てが「演奏会」を売るための題材となる。 3.は音楽そのものを、儀式の様に在りがたく崇める、と言う姿勢の物。 ここでは奏者は、いわゆる「お筆さき」の様な存在になる。 あまり強い自己主張はここでは良しとされない。 聴衆も、ありがたがって、儀式を拝受する一員となるべく、 楽章の合間に拍手なんかしようものなら、にらみつけられかねない。 現在のバリバリクラシックの在り方だ。 どうすればこの3つを上手くバランスできるのか? 聴衆も楽しめ、演奏家も気持ちよく自己主張をでき、そして音楽もその尊厳を保つ。 今年のプログラムはそう言う今の私の熟考の一環である。 『クラシックって何⁉』と題した今年のプログラムは大きく分けて2部からなる。 『いわゆる「主流」クラシック=ウィーン楽派!」と題された第一部では、 ウィーン第一楽派のモーツァルトの「キラキラ星」変奏曲に始まり、 シューベルトの楽興の時、ベートーヴェンの『悲壮』 そして最期にウィーン第二楽派のベルグの作品1のピアノソナタに至るまでの 聴衆優先から作曲家優先になるまでの音楽観の移り変わりを追う。 『え!?これも「クラシック」?~民族音楽に憧れて』と題した第二部では、 ジプシー音楽にルソーの「自然に帰れ」の音楽バージョンを見出して美化した リストの「ハンガリー狂詩曲」の第2番で始まる。 そしてスコット・ジョップリンのラグタイム、ガーシュウィンの前奏曲など、 アメリカを中心に、いわゆるクラシックとは少し異なる曲たちをフィーチャーしながら 「クラシック」とはいったい何なのか、検証していく。 6月25日(土)みなとみらいにて、13時半開演 7月8日(金)千葉美浜文化ホールにて、18時半開演。 […]

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ヒューストンでぬか漬け、作ってます。

ほぼ毎日走り、毎晩9時間は睡眠を取り、 そして発酵食品と料理に凝り、生活を愛でている。 暇…では無い! 昨日は朝の8時半から夜の8時まで、途中の休憩と移動時間は正味2時間で頑張った。 その前日の水曜日は朝に教え、その後いくつかのミーティングを経て、 4時から7時まではヒューストン・ホビー空港を通過する旅人のために 音楽を奏でる、と言うアルバイトをした。 火曜日は正午に演奏会があった。 一つの演奏会をする、と言うことは朝から衣装を整え、 リハーサルの後、会場入りし、 スタッフとの顔合わせ、サウンド・チェックなどを経て、 やっと本番の演奏、と言う運びになる。 演奏後も裏方や事務スタッフへの御礼、今後のお仕事の相談、などなど。 1時間の演奏のためにでも、絶対半日はかかる。 そして勿論、本番当日前には演目・広報・ギャラ交渉・税金などの事務処理、 共演者との衣装その他の打ち合わせ、そして練習・合わせ、と 事務力と時間と注意を要する。 そしてその合間に練習をし、 いまだに続くストーカーの法的対処に関わり、 これからの演奏会の事務処理をし、 ここ3週間は手つかずの論文を恋しく、夢に見ている。 それでも私は、ぬか漬けを作り、夜は眠くなったら何を差し置いても寝る。 最近やっと、『我武者羅』の自己満足、そして非生産性に気が付いた気がする。 根性物の漫画のような頑張りは、私も経験したし、それはそれなりに楽しかったけれど、 身体と精神の健康在って初めて、 自分、自分の人生、そして周りとの関係を正直に愛でる事が出来る、と思い始めた。 そして、身体と精神の健康は、日常の積み重ねで作る。 だから私は朝は走る。 午後に本番があっても走る。 そして12時間教えて帰ってきたらぬかをかき混ぜ、野菜を処理してぬか漬けを作る。 そしてどんなに大事に思えることがあっても眠くなったらさっさと寝る。 そしてふてぶてしく、しっかり眠る。 そして、その全てを楽しんでやる!

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日曜日に焼くパンケーキ

エドは日曜日の朝7時に亡くなった。 私が16歳の時にホームステーをさせてもらってから、 私のアメリカン・ファーザーとして色々な形や場面で支援してもらった人だ。 エドは日曜日の朝はパンケーキを焼いてくれると言う伝統を何年も続けた。 ブルーベリーが入っていたり、バナナが入っていたり、 その週によってヴァリエーションがあったが、兎に角毎週焼いていた。 常時ダイエット中の私のアメリカンマザーのジョーンは一枚を食べ切ることさえ嫌がって、 私が祝日に訪ねていたりすると、いつも半分よこしたりした。 私もバターがたっぷりのエドのパンケーキは時々(う~ん)と心の中で敬遠したりした。 でも、エドご自身はいつもご自慢でご満悦のパンケーキだった。 バターミルクを使って、ベーキングパウダーをたっぷり使うエドのパンケーキは いっつもほわほわで、大量のバターの中で揚げるようにして焼くので、 外はカリカリ、中はホワホワ。 今から考えると、美味しかった。 ジョーンの電話は朝の8時にあった。 私に一番最初に電話してくれた。 ジョーンは泣いていたけれど、私は(エドは大往生だ)と思って、納得した。 91歳まで、基本的に健康で、好きな事を沢山して、死期も自分で決めて、 エドらしい生きざま、そして死にざまだったと思う。 電話を受けてから、すぐ買い出しに行った。 私は実はパンケーキなんて焼くのは生まれて初めてなので、 計量カップから小麦粉から、そう言うのをかき混ぜる物、メープルシロップ、 全てを買い揃えなければいけなかった。 絶対にパンケーキを焼こう、と電話を受けたときから決めていた。 でも、私は健康志向なので、バターの代わりにココナッツオイル、 そして小麦粉の代わりにそば粉やひよこ豆の粉や全粒粉や、 色々混ざった健康パンケーキミックスを買った。 フライパンでパンケーキを焼きながら、 子供の頃家族でホットプレートで食卓で焼いて食べたホットケーキや、 母がホットケーキミックスで作ってくれた揚げたてカリカリドーナッツや エドの日曜日のパンケーキや、 そう言う食事にまつわる思い出の深さや温かさや意味合いや、色々考えた。 そうして、自分で料理を作れるようになる、と言うことは、 伝統継承、独立、思い出、色々な意味合いがあるんだなあ、と初めて思った。 女子力の弱い私だけれど、これからはもっと料理を作ろう、と思った。 パンケーキは美味しく焼けた。 我ながら、エドのよりおいしく焼けた。 そしてエドは、その事を喜んでくれた、と思う。 エドのより美味しいかどうか、論議はしたと思うけれど、 私が私好みのパンケーキを作ったと言うことについて。 Life goes on. 明日の正午は演奏会! http://www.houstonmethodist.org/performing-arts/news-events/crain-garden-performance-series/

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弾くは愛でる、走るも愛でる。

今朝、走りに外に出たら新芽が木々の節々からほとばしり出た!と言う感じでびっくりした。 ヒューストンではすでに桜や木蓮、連翹などの花も咲き始めている。 本当に可愛い。 NJでは雪がちらついていた。 雪と雨の合いの子の様なみぞれの中を氷で滑りやすい水たまりをよけながら走った。 首をちぢこめながらスクールバスを待つ高校生の姿に 渡米したばかりで同じようにスクールバスを待っていた自分の姿が重なった。 思い出の中の自分も、ふくれっ面でスクールバスを待つ子供たちも、皆可愛い。 走る、と言うことは、弾く、と言うことと同じように 自分、自分の人生、そして世界を愛でる、と言うことなのだと思う。 毎日の練習が本当に辛く感じられた過去の一時期、 私は決意をした。 私の練習は、演奏会やキャリアのためではなく、一種の祈りだ、と決めたのである。 チベットのお坊さんは自分たちの読経は世界を平和にしている、と信じている。 あんなに過酷な運命の中で、まだ読経と瞑想を続けている。 私の練習も、そう言う物だ、と決めたのだ。 練習や、チベットのお坊さんのお祈りが実際世界平和に貢献しているか否かよりも、 自分が一番良い自分で居られる行為を意思を持ってする、続ける、 その事が世界貢献になる、と決める、その強さ。 それが、自分の中の人間性善説、そして自分の中の平和につながる。 私は、走る。 私は、弾き続ける。

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死にゆく人を見守る、と言うこと。

私のアメリカン・ファーザーが92歳の大往生を遂げるべく準備をしている。 心臓が悪くなって最近入退院を繰り返し、 先々週にまたもや水が溜まって入院した際に私のアメリカン・マザーのジョーンと話し合い 「もう退屈だ。もう良い」と二人で決めて、 治療・投薬・食事を拒否し、今はホスピスで鎮静剤だけを投与してもらって死を待っている。 そのプロセスに立ち会うために帰省している。 エドはもう発声も困難だが、私が行くと笑いかけ、ジョーンが行くとキスを求める。 でも、目を開けるのも意思の力、という感じで、後は昏々と眠っている。 むしろケアが必要なのはジョーンである。 エドの死後に備えて、一人では無い事を私や息子や友人との会話で確認し、 経理関係、家関係、車、電気・ガス・水道、通信、諸々の準備を整え、 自分の独立した余生を計画しなければいけない。 感情的な、不安とか、孤独とか、そう言うのを差し引いても、これは大変な作業である。 生まれてきたら避けては通れない過程だ。 私はジョーンとエドの生きざまと死にざまを見せてもらうことで、 さまざまな事を教わっているのだ、と思う。 しっかり立ち会う。 エドには運転を教えてもらった。 免許を取る時も一緒についてきてくれた。 私の演奏会の時は楽屋で手を包んで温めてくれた。 エドは親日家で日本語を少し話し、読み書きも出来た。 16歳でホームステーを始めてしばらくしたある日、 学校から帰ってきたらテレビに張り紙がしてあった。 「テレビは、だめ。れんしゅうは、はい」と書いてあった。 大笑いしたのを覚えている。 下校後いつもおやつを食べながらテレビの前で数時間ぼーっと過ごしてしまう私を 心配していたのだろう。 英語がまだ不自由な私は高校の宿題がいつも一人では終えられなかった。 だって渡米して3年目の私に古い英語でシェークスピアやベオウルフを読め、と言っても無理! 私が学校に行っている間にエドが(もう引退していた)その日の英語の宿題を 私のために予習して、ダイジェスト版を作って、私の机の上にさりげなく置いてくれていた。 それを毎日やってくれた。 当時はまだ家にコンピューターが無くて、全て手書きだった。 どうやって電車でマンハッタンに一人で行けるか、教えてくれたのもエドだった。 予行練習を一緒にやってくれて、 クライスラービルディングで豪勢なお昼をごちそうしてくれた。 大学に上がってからもちょくちょく帰って来て栄養補給をさせてもらった。 そんな時、よく長い散歩に一緒に出掛けた。 そして「美」の定義とか、「生命とは何か」とか、そう言うトピックで色々話した。 物理学者で、Semi conductorを作ったり、NASAになんだかパーツを収めたりして、 その講義などで戦後間も無い日本を含む、世界中を出張した人だった。 でも、私が知っているエドはもう引退後で、穏やかで朗らかでいつもリラックスしていた。 色々お世話になった。 本当に育ててもらった。

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