6月9日~24日までVirginia Center for the Creative Arts(VCCA:ヴァージニア創造芸術センター)にて執筆に専念します。
VCCA: 5W1H(どこ・何・いつ・誰が・なぜ・どのように)
ヴァージニア州アマーストはワシントンD.C.から車で南に3時間強の距離にあります。ブルーリッジ山脈に近い、人口2000人の小さな町です。VCCAはその中心街から離れた自然豊かな412エーカー(167ヘクタール、皇居x1.4)のキャンパスです。





VCCAは、作家・視覚芸術家・作曲家が創作活動に専念できる日常や社会から切り離した時空を提供することを目的としたアーティストレジデンスの中でも、その歴史・規模ともに代表的です。1971年に創立されて以来、常に22人のアーティストが滞在しています。大抵の人は2週間ほどの滞在です。一度選抜されると二回目からは受かりやすいということで、昨日会った人の中には「6回目」「12回目」などという人もいました。「ここに来るとなぜか物凄くはかどるんだ!」「もう自分で決めた目標を終えてしまったの。後数日残っている時間をどう使おうかと迷っているところ」など、皆ニコニコしています。過去に滞在したアーティストが書いた本がある図書館があり、中にも外にも寄贈された様々なアートが置いてあります。散歩道やプールもあります。一週間に3回はヨガのクラス、2回は町まで買い出しのバス、1回はお茶会があり、夕飯は毎回みんなで食べます。不定期に立候補者の作品の発表会の様なものがあり、昨晩は3人の物書きの朗読と質疑応答があって私は多いに触発されました。
VCCAに滞在するレジデント・アーティストは朝食と夕食が振舞われる食堂もある母屋にそれぞれの寝室、さらにそこから5分ほど歩いたところにある古い牛舎を改築した建物に、各々で創作活動に専念する仕事場をあてがわれます。(昼食は仕事場に配達されます。)





寝室と仕事場が離れているので、私はスマホとノートパソコンは寝室に持ち込まないことを自分に課しました。そして手書きで日記をつけ考えをまとめ、いつもは気が散ってなかなか集中できない読書を朝晩したいと思っています。
VCCA:私がここで成し遂げたいこと
2018年に書き始めた手記の大義をより明確化し、そして構築を見直す:これが第一目的。応募書類にもそう書いたし、そこに偽りはないのです。でももっと根本的・原始的レヴェルで、今私はここにいる必要があると自分で納得しています。
私は、私の中で両立しているいくつかの矛盾について熟考したいと思っています。
「音楽 vs. 言葉」vs.「物書きピアニスト」
「Music is beyond words(音楽は言葉を超える)」という考え方は深く浸透しています。「Talking about music is like dancing about architecture(音楽について語るのは、建築について踊る様なものだ)」という言葉も良く引用されます。
しかしこの「音楽と言葉は相反するもの」「音楽家は言葉に頼ってはいけない」という考え方が音楽家の発言権をないがしろにしてきたとも言えます。
音楽=感情 vs. 言葉=理性と二極化した場合、音楽=女性 vs. 言葉=男性としやすくなるのは古代ギリシャやデカルトなど物事を分類してきた歴史と文化の結果です。そして、音楽をやる男性の女性化は、去勢する事で声変わりを防いで成長するカストラートの歴史までさかのぼらずとも、リベラ―チェ・クレイダーマン・そして観方によってはランランでさえ、例に困りません。カストラートは成功する人はごくわずかで、そのほとんどは去勢された結果差別の対象となり不運な人生を送ったそうです。自分の周りで女性化される男性ピアニストたち、そして女性性を強調する事で商品化されてきる女性ピアニストたちを想う時、私は多くのカストラートの運命を思わずにはおれません。
私はピアニストとしての視点や問題意識を言語化し、音楽家の発言権と社会参加を訴えます。
私は2歳半でピアノを弾き始めると同時に物語も大好きで、本の虫として成長しました。最初に自分でお話しを創作したのは、まだ幼稚園に通っていた3つ下の妹が高熱を出した際、妹の為に書いた紙芝居です。筋は忘れましたがリスが出てくるお話しを一生懸命書きました。妹の安静の為に母に子供部屋に入ることを禁じられてしまい、トイレに行く妹を待ち構えて出来上がった紙芝居を用を足す妹のトイレの前に座り込んでやって見せました。(妹は優しいのでちゃんと褒めて感謝してくれました。)
二年生の時にアンネ・フランクについて聞き知って、自分もキティ―宛ての日記を書きはじめました。3年1組を担当して下さった佐藤典子先生が、教え子全員にノートをプレゼントして下さり日記を書くことを皆に勧めてくれました。提出すると赤ペンで丁寧にお返事を書いてくださるのです!私は張り切って一日も欠かさず日記を先生に提出しました。そんなこんなで文章をしたためる習慣が付き、したためた文章を捨てるのが忍びなくて、今では私のピアノの下は2年生からこっち書き溜めた私の日記や散文が段ボール箱3つに収まらなくなっています。
私は書かずにおられないピアニストです。書くことが本業になったら今度は「ピアノを弾かずにおられない」と言うと思います。書いて弾くのが私...罪悪感なしにそう堂々と言えるようになったのは最近です。そしてVCCAに物書きとして~しかも母国語ではない英語の物書きとして~合格したということは、更なる勇気に繋がります。
「音楽は世界の共通語」vs. 西洋文化帝国主義
「音楽は世界の共通語」という理想と、その理想に矛盾する西洋文化帝国主義の歴史の両方を体現する日本人ピアニストだからこそ描けるこれからの音楽家像がある、と私は主張したいのです。
「日本語が亡びるとき」(水村美苗著、2008)は私にとっては聖書の様な本で、時々ページをめくってはその度に新しい開眼をし続けています。水村氏がこの本の中で言語に関して述べていることは、そのままそっくり日本に於ける西洋音楽史や、西洋音楽の世界制覇の歴史と現状に置き換えられると思っています。その中で、日本語をこよなく愛しながら英語を武器として使いこなせるように日々努力をしている私が、英語で述べる音楽観と問題意識いうのは、様々な層の読者に問題提示ができるのではないかと自負しています。
もう一つ。多様性を謳っているVCCAですが、来てみたら参加者はやはり白人欧米人が半数以上で、有色人種は明らかな少数派です。私は有色人種・日本人・そして女性として物申すことに、そしてVCCAのような空間の一部を私の様なマイノリティーの代表として占拠することを有意義だと思っています。
シンパシーペイン vs. シャーデンフロイデ
音楽の治癒効果という観点から脳神経科学の共同研究に携わったり文献を読んでいると、人間は共感力を持って共同生活を協力して営む社会的動物であるということが浮き彫りになります。しかし歴史や現状を考察すると、人間はむしろ共感力がある故にお互いに対して壊滅的な残酷性をも行使できる存在だということも分かります。
協調性が共同生活をスムーズにするのは明らかですが、それでは残酷性はどのように理解し、どう働きかけることで将来的に改善できるものなのでしょうか。
私が今こうして活動できているのは、沢山の方々がご指導・ご協力をくださっているからです。同時に、私はコンプレックスや舞台恐怖症で本領が発揮できなくなるような結果を生みだす仕打ちも受けて来たとも思っています。私は、ラッキーなことに受けて来た滋養が受けて来た毒に勝っている例です。
「偉そうに、何様のつもり?」と長年私に言ってきた人は、私を心底憎んでいるような目つきと声音を発します。「ほにゃららをしなければ契約解除」とか「…しなければ移民局に捜査依頼をする」、あるいは逆の「…すれば演奏会」といったような私や私の同僚が先生や興行師や出資者から常習的に受けて来たセクハラは、私は今では中世やルネッサンスの魔女狩りに似た女性の社会進出を抑圧する一つの在り方だと理解するようになりました。
しかしこういう明らかな残酷性・非人情は例外的で、大抵の関係は協調制と残酷性を~愛憎を~両立内蔵しているからこそ、より複雑で難しいのだと思います。
1989年平田家が渡米した6月9日(昨日が記念日でした!)の数日前、天安門事件があり、そして5か月後にベルリンの壁が落ちました。同年8月に「Toxic Parents: Overcoming Their Hurtful Legacy and Reclaiming Your Life(毒になる親:自分の人生を再生するために乗り越えるべき過去)」が出版され、「毒親」という言葉の由来となりました。政府・同僚・家族…親しい人間関係に内蔵される陰性やその過去の記憶とはどう向き合えばよいのか。先週発表された吉本ばなな氏の家庭内崩壊に関する文章に関する沢山の読者のオンライン協議が飛び交っています。吉本家の想像に絶する家族関係に心痛を覚えると共に、吉本氏も言及しているようにその様な壊滅的な愛憎に混沌とする家庭が他にも沢山あることも直感的に理解します。しかし吉本氏が創作活動を死に物狂いの現実逃避としているのに対し、私にとっては言語化は解明と希望の手段だと宣言します。なぜ苦痛に寄り添うことの方が、成功を一緒に喜ぶよりも容易な人や状況が存在するのか。嫉妬心やねたみ、シャーデンフロイデやミュンヒハウゼン症候群とは何のためのものなのか。なぜ他殺数と自殺数は反比例するのか。平和で物質的に豊かな状況で、お互いを痛めつけあう動機は一体何なのか。本当に向き合って少しでも解明への糸口が掴めれば、改善法も自ずから見えてくると思うのです
あと30分でヨガのクラスが始まります。今日は一日このブログを書き、自分のVCCAでの目標を明確化する事に没頭しました。途中激しく降った雷雨が今ではからりと晴れています。これからしばらく我を忘れて執筆します。
