-
時々、とっても疲れてしまう。 そう言うのも、結構面白い。 (ストレス!?) (栄養バランスの問題!?) (カロリーが足りてない!?) (やっぱり10K走った後遺症!?) (こ、これが噂に聞く、鬱!?) (それとも、もしかして…単なる怠け!?) …色々考えて、とりあえず色々試してみる。 食べてみる。(食べてる間は元気) カフェインを摂取してみる。(コーヒーは美味しいが元気にはならない) 睡眠量を増やしてみる。(良く眠れるが起きても同じ) やることを全て忘れてグダグダとYoutubeやテレビを見てみる。(楽しいが段々飽きる) 自分の状態を無視して作業や勉強を試みてみる(気力が続かず、気が付くとボ~) お菓子を食べてみる。(美味しいが元気にはならない) 散歩をしてみる。(気持ちよいがやはり元気にはならない) 軽く走ってみる。(楽しいが、終わってもエネルギー不足は同じく) 熱を計ってみる(お!微熱‼!) 鉄分と亜鉛とマグネシウムとカルシウムのサプリを購入・摂取してみる。(結果待ち) 2日間色々工夫して、それでも生産的姿勢が生み出せない自分を見出すと段々焦ってくる。 病気か、怠けか、ここはもう状態を無視して頑張るべきか、休むべきか。 最近色々ありますからね~。 金曜には論文の一つの締め切りがあって、それに向けて2週間位ぐんぐん頑張った。 その合間にもストーカー対処の諸々で急に随分手間取ったり、予定が狂ったりもした。 夏の日本の演奏会の運営関係の事務も段々始まって来ている。 さらにストーカー予防の諸々、1小市民としての責任の諸々、 全ての野暮用が色々重なって、段々回らなくなってきていた。 そんな中でもこれからある演奏会(日本も含む)の練習も、 どんなに忙しくても怠らなかった。 そして最後に、16から私の家族となって同居させてくれてもう20年以上になる 今年92になる私のアメリカン・ファーザーが危篤状態になり、 先週は明日NJに帰るか、明後日か、と言う宙ぶらりんの待機状態だった。 幸い少し状態が安定して私は今週の土曜日にそちらに向かうのだが、 やっぱりこういう事の心理的影響と言うのは無視出来ないものがあるのかも知れない。 10歳年下の私のアメリカン・マザーの愛情に満ちた介護を受けながら 親しい友人に訪ねてもらってニコニコしていると言う92歳の私のアメリカン・ファーザーは もう治療も投薬も食事も拒否し、水だけ飲んで自分の意志で、死を選んだらしい。 そう言うのも彼らしいと思うし、私はそれを尊重し、 出来るだけのサポートを感謝を愛情を込めてしようと意気込んでいるけれど、 彼にはいつも 「マキコは私の家族の中では私の次に博士課程を取得するんだよ。 早く卒業して、卒業式に参加させてよ」 と、ここ2年言われ続けていたのに、叶わなかったな~。 アメリカの伝統の、結婚式に花嫁を花婿に渡す父の役と言うのを 私の実の父の隣で一緒にやらせてあげようと思っていたのに、 それも叶わなかったな~、と、 そういう残念が、今の私には少し荷が重いのかも。 私は博士課程卒業は絶対にする。 するべく、今現在も論文を毎日頑張って進めている。 音楽人生も順調。ピアノも毎日上達していると胸を張って言えるし、 幸い、素晴らしい機会を沢山頂いて、 刺激を受ける共演者や聴衆と定期的に巡り合っている。 結婚も急ぐ訳では無いけれど、一緒に幸せに、お互いを向上しあえる相手とする。 私は、私の幸せと健康に責任を持って、ベストを尽くす。 私の事を本当に知っている人、私の事を信頼してくれている人は、それを知っていると信じる。…
-
1月30日に始めて、のたらたらと走りまじめて、2週目。 レースに参加してきました! それまでは朝のジョギングはほぼ毎日欠かさず4キロ走っていました。 今日のレースは4分の1=10キロ、(6.2マイル)です。 私の目標は「歩かずに完走すること」でしたが、 周りが一杯走っているし、道端では応援してくれたりしているし、 何だか嬉しくなって、いつもよりずっと早いペースで1時間18分で完走してしまいました。 ちなみに一回も歩かなかったし、上り坂も全部ペースダウンをせずに走りました! 沢山の参加者!何千人と言う感じ。 どこから、どういう理由で来ているのか。 若くて健康そうな人も沢山居ますが、 割と年配の方、かなり体重がハンディな方も皆一生懸命です。 そして沢山の種類のレースもあって5K、10K,ハーフマラソン、フル・マラソンとなります。 今回の企画は道端でライヴのジャズ演奏がある、と言うことでしたが、 やっぱり音楽があったり、応援してくれている人が居ると、とてもうれしくなります。 私の実家が丁度駅伝のコースの真ん前で応援に行ったりもしましたが、 その時はどれだけ応援が嬉しい物か分からなかった。 でも、特に子供が一生懸命応援してくれていたり、 「パチン」と手を叩いてもらったりすると、俄然エネルギーがモリモリ湧いてきます。 3分の1位当たりから、自動的に体が動くようになって、 もう無心で走る、と言う感じ。 「ゾーン」に入ります。 風が心地よい。 応援の人が嬉しい。 周りの人の励まし合いが嬉しい。 皆が一生懸命なのが嬉しい。 マラソンを走っていると、無邪気に無心に、ポジティブになれる。 人生色々ありますよね。 でも、前に進むしかない! それならできるだけ気持ちよく、お互いを励まし合って、楽しめることを楽しみながら、 ぐんぐん、ぐんぐん、音楽に乗りながら、前に進もう! そ~れ、1、2の3‼!!
-
論文は時間があればあるだけ、かかる。 リサーチするべきトピックは山積みだし、 書き方だった工夫すればするほど面白く、簡潔に、伝えやすくなるし、 盛りだくさんにもできる。 練習も同じく。 すればするほど、面白い、極めたい。 しかも毎日することによっておこる上達と言うのもある。 その上人生の諸々は何かしら毎日、時間を要求する。 車検。 演奏会の告知。 来週の演奏のドレスの打ち合わせ。 お金儲け。 最後に私はいまだにストーカーの非常事態と対処していて、 警察や検事との連絡、記録の整理、など色々野暮用がある。 これ等を全てどのように責任を持ってこなすか!? 最近のルーティーン。 朝。 起きれるときに起きる。大抵5時台。論文執筆。 6時半。日の出に合わせて約30分ジョギング。 その後、シャワー、朝食、朝のしたく。 9時までに入れば、早いもの順の練習室がまだゲットできる。 2時間ほど練習。 そしてレッスンを生徒さんにお教えしたりする。 昼食は大抵家で取る。 カロリー計算もしているし、最近は外食が減った。 午後は野暮用、諸々に対処。 午後にレッスンをお教えする日も週に二日ある。 夕飯は早め。5時ごろに食べてしまう。 その後、論文執筆。 就寝は早い。9時か10時。 と、言うのを繰り返している。 木曜日は一日教える日。 週末は論文と、練習と、本番が大抵ある。 ルーティーンの良い所は、 頭が自動的に(次はこれ!)と切り替わるところ。 逆に悪い所は惰性で動いて、捗って居なくてもルーティーンをこなすことで満足したりする。 でも、今の私はリズムに乗って、前進しています!
-
19世紀の音楽批評を論文のために多く読んでいる。 面白い。 吹き出してしまうこともしばし。 「筆者はこんなにひどい曲は聞いたことが無い。」とか しかし、この「筆者」は無記名なのである。 19世紀は啓蒙主義や、貴族社会崩壊、宗教の圧力の軽減などから 歴史的にもかなり色濃く個人主義の時代だったようだ。 『自分が大事!』と言う姿勢が奨励され、 結果「自分が感じる事」「自分が思うこと」が少なくとも自分にとっては大変重要で その結果、例えば私生児の数がすごく増えたりとか、そういう副作用もあったらしい。 だから批評も歯にきぬを着せぬ、と言うか。 でも同時に賄賂や、友人・知人びいきとか、そういう事もあったし、 何しろ記事の非常に多くが無記名で、そうすると信憑性が薄くなったりする。 これ等の記事を読んでいくのは本当に面白くて いつまでも読んでいられるのだが、さてこれらをどのように自分の論文に役立てようかと言うと 中々難しい。 でも、書くと言う行為は後世の意見を左右する大変な事である。 そういう認識を持たずに、書きまくっていた、出版しまくっていた19世紀。 その書かれ残った歴史と、実際の当時の現実とのギャップをどのように埋めるか。 歴史と言うのは本当に水物である。
-
To live to eat or to eat to live. 食は文化だ。 食は生きるために欠かせない営みだ。 その食に手間と技をかけ、工夫をすることが最高の贅沢だ、芸術だ、とも考えられる。 食べるために生きる人が、究極のグルメだと思う。 美食を追及し、美食を囲んだ社交を大切にし、 健康よりも味覚を取る、と言う食哲学。 対して。 健康のために食べる、と言う考え方。 身体に良いものを、身体の良い様に、身体に良いから食べる。 食は健康体を作るための一環だ、とする食哲学もある。 極端な例では食材に火を通さず、動物性たんぱく質を全くとらない(乳製品も卵もダメ) Raw Veganなる食文化もある。 彼らは低温や、圧力などで、これも物凄い手間をかけて調理したりする。 これもある一種の食に関する価値観・文化・主義だ。 クラシック音楽家と言う生業をしていると、 前者に多く囲まれることになる。 クラシック音楽のスポンサーになるような人の多くはグルメだし、 クラシック音楽家自身も飲んべいのグルメや、 自ら腕を振るうこだわりの料理人が多かったりする。 でも、病気がちだった自分の過去や、 食倫理から菜食主義の友達を多く持った事、 さまざまな理由から私はいつもこの二つの両極端を行ったり来たりして食べてきた。 まだ言うのも恥ずかしい始めて10日なのだが、 毎日マラソンとカロリー計算を始めて、 食に対する新しい見解を確認しつつある。 私は成長期、病弱だったことなどからほとんど運動をせずに来た。 それがマラソンをするようになって、やってみたら6キロ歩かずに走れるのである! 驚愕した。 いつの間にこんなに強くなっていたんだろう? それともいつも意識だけの問題だったんだろうか? 。 そして、食に関しての感覚も変わった。 食いしん坊で、食べる量に関しては自信があって 反面、いつまでも食べていたくなってしまう、そんな食習慣だったのが、 運動を始めて、体が欲する時に体が欲している物を欲している量だけ食べる、 と言う感覚を始めて覚えた。 カロリー計算をすることによって、 身体に適度な摂取量と言うのも知った。 面白い。 性転換が可能な世の中である。 ほぼどんな肉体改造も可能なのではないか? そして自分の肉体を責任を持って管理することで 最終的に自分の運命も管理することになるのでは? 私は化粧する時間があるならば走る。 走って、食を正して、内からきれいになる。…
