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ブラームスのピアノ四重奏第一番

昨日、「コルバーン・室内楽・ソサイエティー」というコンサートシリーズの演奏会でブラームスのピアノ四重奏第一番の演奏をしました。 当校の生徒が世界的に活躍している演奏家たちと室内楽共演をする機会を設ける為のコンサート・シリーズです。 昨日の四重奏では私とヴィオラがコルバーンの生徒で、チェロはコルバーンの教授で長年LAフィルの主席奏者だったロナルド・レナード、そしてヴァイオリンはイスラエルから来たハガイ・シャハームと言う人でした。 この四重奏は色々な意味で大曲で、まず長い(40分以上)。 そしてメロディーの多くが悠長である。 弦楽器では割りと簡単にこれ等のメロディーを美しいく歌えるけれど、ピアノでは一音一音をつなげてこの長いメロディーを持続させるのに、かなりの工夫と練習、知恵を要します。 そして最後に構成が非常に大きく、複雑。 自分がピアニストだからピアノびいきになるのでは無くて、これはある程度客観的事実だと思うけれど、弦楽アンサンブルと共演する時、どうしてもピアノ・対・弦と言う風になる。 例えば、ヴァイオリンとヴィオラとチェロが3人で美しいメロディーを奏で合わせた後、全く同じことをピアニストが一人で繰り返すとか、弦が3人で同じメロディーを奏でているとき、ピアノが一人でメロディー以外の全ての複雑な絡み合いを受け持つ、など。 そして音量で言ってもピアノは3人の弦をあわせてもさらに優勢なので、テンポ、強弱、そして和声進行のほとんどの決定権がピアノに掛かってくる。 このように構築が複雑でセクションごとにテンポが変るような曲の場合、ピアニストの責任は多大なのです。このコンサートは話が来たときから正直に言ってプレッシャーが大きかったのです。 まず、私はこの曲は今まで弾いた事が無く、しかもレナード教授が最近手術をしたりで、リハーサルが余り多くできない事が初めからわかっていた(結局2回と本番前の通し稽古だけだった)。 そしてこのシリーズは外部からのお客さんの多い、学校の顔的存在のシリーズで、しかも先ほど言ったような事情から、ピアノの責任が非常に大きいので、このシリーズで演奏した過去のピアノの生徒は大抵非常に苦労していた。 一回目のリハーサルはかなり厳しかった。 ピアノパートは技術的にもかなり難しく、私はピアノパートをきちんと弾けるようにはして持っていったのだが、構築をはっきり把握する所までは勉強が行き届いておらず、セクションごとにテンポが速過ぎる、遅すぎると注意され、何も言えなかった。 さらにチェロの教授とヴァイオリンの客演が初対面でお互い遠慮かライヴァル意識か、お互いへの注意・要請を全て私への注意・要請へと摩り替えてコミュニケーションを図るので、私はとても辛い立場に立たされてしまった。 しかし、私は非常な負けず嫌いなのです!! 一回目のリハーサルの後、私は一気奮発して一生懸命勉強した。 まず、楽譜を分析して構築を把握し、それから録音を聴きまくった。特に、意外にもショーンベルグがこの曲をオケ版に書き直したのがあって、これは非常に参考になった。 正直に言うと、大体のピアニストは室内楽をそれほど練習しない。 暗譜のプレッシャーが無いし、ソロに比べての共演の気楽さもある。私も例外ではなく、室内楽のコンサートの為に必死で練習した経験と言うのは余り無いのだが、今回は頑張った! そして演奏会当日は、一人で一生懸命(遅ればせながら)ブラームスの伝記を読んで、とても悲しい気持ちになって(ブラームスは余り幸せに縁が無かったようです)一人で静かに気持ちの準備をした。 こんなに演奏会の当日、演奏に向けて自己管理に気を配ったのは実に10年ぶりくらいです。 まあ、そういう恵まれた環境にあって、たまたまそうするだけの時間と気持ちの余裕があったという事ですが。プロとして、こういう余裕を持つことはほとんど不可能で、演奏会当日、現地に向けて飛行機に乗ることもたびたびだし、主催者にご挨拶したり、最終打ち合わせ、照明・音響チェックなどであわただしくあっという間に本番になるのが普通。 又、もっとローカルな本番の場合は演奏会当日ぎりぎりまで、別のコンサートの為のリハーサルをしたり、生活の為のアルバイト的仕事を入れたりと、どうしてもそうなってしまうのです。やはり、音楽学生と言うのは、恵まれているというか、甘やかされているというか。デモ、兎に角昨日はそういう自分の状況を最大限に利用して、一日このブラームスの演奏に向けて心の準備をした。 デモ、やりがいがありました。 色々あったものの2回のリハーサルと最終通し稽古を通して私たちはやっと気心が知れたのか、本番中はお互いの意図が手に取るようにわかって初めてぴったりと息が合い、弾き終わって一瞬で観客が総立ちしてくれたのです。演奏中も、200人くらいの聴衆の誰も物音を立てず、楽章と楽章の間でもピーンと空気が張り詰めていて、固唾を飲んで聞いてくれているのが、肌で感じられて心強かった。 邪念無く演奏しきれた。 本当にいい経験だった。

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コルバーン・オーケストラ#1

2007-08学年度、そしてコンサートシーズンが始まった。 コルバーン音楽学校にとっては創立五年目。 去年中続いていた工事がこの夏完成し、敷地内に新しく寮、リサイタル・ホール、キャフェテリア、更なる練習室と教室、レッスン室などが増設された。 このおかげで去年は62人だった全校生徒数が今年から100人、予定されていた定員に達した。 去年始まった木管楽器専攻に、今年から金管とハープ科が新しく加わり、これで学校にオケの楽器が全部そろった事になる。 学校にとっての新たな出発点だ。 カリキュラムにも様々な改善が施された。 例えば、去年まではオーケストラのリハーサルはコンサートの2週間半ほど前から、月・水・金と行われていた。 生徒達は午前中に楽典、音楽史、人類文学、ソルフェージュなどのクラスを大体済ませ、午後オケのリハーサル、そしてその他の時間に練習、宿題そして個人レッスン、室内楽のリハーサルとコーチングをすることになる。 これは私の知る限り、アメリカの音楽学校の多数が行っている時間割だ。 ところが、このやり方だと忙しすぎて練習や睡眠時間が削られる、という苦情が生徒から寄せられ、学校側が改善案として試みているのが今年のやり方だ。 オケのコンサート前一週間、午前中の授業は休みになる。 そしてこの午前中、9時半から12時までが毎日オーケストラのリハーサルに費やされる。 午後の授業は通常通り行われるが、これ等は聴音や副科ピアノなど、実践授業が多いため、宿題などの負担が比較的少ない。 午前中の授業は授業時間を去年より毎回30分長くする事で穴埋めされている。 そうして新しいスケジュールでリハーサルの経過を経たプログラムが、昨夜演奏会で発表された。 私は指揮も勉強しているので、毎朝2時間半このリハーサルに出席した。 曲目は以下だ。 バーバー 「スクール・フォー・スキャンダル」序奏曲 ショスタコビッチ 交響曲九番 休憩 ブラームス バイオリン・コンチェルト それぞれの楽器が上手く紹介できる、よい曲組みだったと思う。 木管や金管のソロも存分にあり、みんな張り切って毎日どんどん上手くなっていった。 そんな中、本番を二日後に控えた木曜日、日本から観光で来た某音楽大学の教授が数名学校の見学にいらした。 学校をご案内し、オケのリハーサルも見ていただいたのだが、その後の辛口な評価にびっくりしてしまった。  私は欲目もあるし、こんなに難しいプログラムを一週間のリハーサルでこのレベルまで持っていくことの出来る、私の友達が誇らしくてならなかったのだが、弦がそろわない、金管が走る、一体学校は何を教えているんだと本当に歯に絹を着せぬ物言いなのである。   美味しいステーキをご馳走になりながらのことだったのだが私は思わず赤面し、自分の愛校精神にびっくりしながら一週間弱でここまで仕上げていること、ソリストを目指している・あるいはすでにソリストとしてのキャリアを持っている弦楽器奏者が多いため、アンサンブル奏法と言うのは二の次になっているかもしれないことなどをあげて弁護を試みたのだが、そのあと色々日米の教育観念の違いについて考えるきっかけになった。 例えば、私は13でアメリカに来た訳で、それまでの音楽教育は日本の私の恩師に負う。 しっかりと基礎を築き上げてくださった事でどれだけ今の私の演奏が支えられているのかは計り知れないし、今でも彼女の耳のよさと批評の的確さには常に脱帽する。 そして、これは私の恩師の判断だったというよりは日本の教授の一般的な傾向ではないかと思うのだが、私は未熟を理由にアメリカに行くまではロマン派をほとんど勉強させてもらえなかった。 拝み倒して「革命」のエチュードを勉強し(映画で見て、憧れたから)、その後唯一ショパンのスケルツォを弾かせてもらったりもしたが、父の転勤で急にジュリアードのプレカレッジの受験をすることになったとき課題として、バッハのプレリュードとフーガや古典のソナタと共に、ロマン派と現代曲が必要で、慌てふためいたのを覚えている。 そして準備したラヴェルの「水の戯れ」は当時の私にとっては超・現代曲だった。 しかしその後、ジュリアードでは一年目だけで、ショパンのノクターン、ブラームスのラプソディーやインターメッツォ、ドビュッシーの「ピアノの為に」等を勉強し、2年目にはラフマニノフの協奏曲の二番を弾いた。 私が急に上手くなったわけではない。 学校教育でもそうではないかと思うのだが、日本では子供の能力で完璧にこなせる課題を与え、完璧に仕上がるまで繰り返すことを求める。 一方アメリカでは子供の能力より少し上の課題を与え、常に子供に背伸びする事を要求して、育てようとする。 芸大のオケは一年に4回定期コンサートをするそうである。 コルバーンは今学期だけで3回が予定され、さらに地域の小学校をいくつも回る訪問演奏会用のプログラムが別にある。 日本の音楽学生は夏の音楽祭などで外国の同年代の演奏家を見て、本番の強さにびっくりする。 私は日本人の上がり症にびっくりする。 もちろん、国民性などもあるのだろうが、でも完璧さに対するプレッシャーがあるかないかの違いもあるのではないか?  さらに完璧を重視する時、人は一般的に細部を固めて進んでいき、全体が仕上がるのは結果に過ぎない。 しかし、大きな課題が締め切り付で与えられた時、全体像をまず把握してから、細部に優先順位をつけて大事な物から固めていく。 効率を考えたら、そうならざるを得ない。 後者をとった場合、確かにおろそかになるディーテイルが出てくるかもしれない。 しかし、音楽学校の定期演奏会に置いて、一番の重要課題は音楽家の育成であって一つ一つのコンサートの完璧さではないのではないか。 さらに若い音楽家にとって、演奏経験とレパートリーを増やすのは一つのコンサートを完璧にこなす事に取って代わるほど重要である。 そして私に言わせてもらえば、昨夜のコンサートは完璧に近かったのではないかと思う。 私の欲目が私の判断を狂わせているのだろうか? いや、そうではない。 みんな超上手くて、そして本番にめちゃくちゃ強い、ツワモノなのだ。 何にせよ、観客総立ちの拍手喝さいだった。

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ベートーヴェンのオペラ「フィデリオ」

9月6日、日本からLAに戻ってきて実に三日目にして始めて学校内から出て 久しぶりに町を探索していたらば、昔良く共演したNYのジュピターシンフォニーの 主席オーボエ奏者だったジェリーにばったりと出くわした。 お互い2、3歩通り過ぎてから「え!?」と言って振り向いたほど意外な遭遇で「何でLAにいるの?」と同時に叫んでいた。なんと知らぬ間に彼はLAオペラの主席オーボエの座を獲得していたのだ。 そしてその遭遇によって、私は今夜のLAオペラシーズン・オープニングギャラのティケットをゲットしてしまった。 さらに嬉しかったのは、演目がベートーヴェン生涯唯一のオペラ「フィデリオ」だったことだ。私はこの頃深くベートーヴェンにはまっていて、来週末のマンハッタン・ビーチでの独奏会はベートーヴェンのソナタ4曲(作品2-1、2-2、54と「熱情」)を演奏しようと張り切って練習している所だったので、本当に運命を感じてしまった。 オープニング・ギャラなので、皆着飾って来ている。ファッションショーみたいで興味深い。そしてロビーではサービスでシャンペンが配られている。 とても嬉しいが、私はベートーヴェン一筋なのでグイっとシャンペンを引っ掛けて猛然と勉強の為にプログラムを読んだ。(お洒落はちゃんと相応にしていったので、ご心配なく) 「フィデリオ」のあらすじは、こうだ。 スペインの貴族であるフロレスタン(Klaus Florian Vogtドイツ人テナー)は、役人ピツァーロに歯向かい投獄されている。 殺されたのでは、と巷ではうわさされているが、彼の妻レオノーレ(Anja Kanpeドイツ人ソプラノ)は彼の生存を信じ、夫がいるはずの牢屋の管理人(Matti Salminenフィンランド人ベース)の下で若い男”フィデリオ”に変装して働いている。 管理人の娘、マルツェリーネに惚れられ、管理人にも義理の息子とまで見込まれながら、レオノーレは間一髪の所で瀕死の危機にさらされていた夫を発見、助け出す。 勧善懲悪のハッピーエンド。 ベートーヴェンは10年以上(1804-1814)にわたってこのオペラの改正を続けた。このオペラがこれほどまでに彼にとって重要だった背景には啓蒙主義とフランス革命、ナポレオンのヨーロッパ占領・統治などの時代背景がある。困難でも正義の最終的勝利を信じるこのストーリーは歴史的背景と、さらにベートーヴェンの聴覚喪失と言う個人的悲劇から生まれた彼自身の英雄精神の反映と言える。 私が一番感動したのは、一幕目の後半で囚人達がレオノーレの働きかけによってそれぞれ投獄以来初めて中庭にでて日の光を浴びる事を許される場面だ。男性コーラスが囚人として生きる苦しみと、日の光を体感できる喜びを交互に歌うのだが、もう鳥肌が全身に立つほど感動した。 逆に可笑しかったのは夫・フロレスタン役のテナーが物凄く健康的な声の人だったことだ。水も満足に飲ませてもらえないほど虐げられているはずの役なのに、実につややかな健康優良児のような声で、おまけにボリュームたっぷり。全然同情が出来ない。これは配役ミス。そして脳天気みたいにどこまでも高い音が苦労なく出てしまう。 レオノーレ役のソプラノはさすがに上手い。夫を思って歌うアリアで思わず涙してしまった。声が良いとか音楽性とかよりも、本当に役になりきっていることが胸を打ったと思う。 男性の振りをしている女性を歌う、という事で音域も広いし、大変な役だろうに、全然違和感無く感動した。 それからもう一つの大きな見所は監督・演出を手がけたPier’ Alliによる映写を使った舞台演出だった。第一幕は単調なセットで、ただ舞台の背後に牢屋の格子を思わせる灰と黒の太い縦縞が描かれているだけ。 休憩を終えて席に戻り相変わらず縦縞を眺めている…と思いきや序奏が始まるとその縦縞が実は映写で、それがゆっくりとズームインされはじめる。始め観客はその縦縞が休憩前の舞台後方の壁に描かれていたのと同じ物と思い込んでいるため、映画が動き始めると、まるで自分が牢屋の中に吸い込まれていくようなめまいのするような錯覚が起きる。 見事にだまされた。 ただ、観客がゆっくりと驚嘆の声を上げ始めそして拍手を始めたので、第二幕の序曲が一部聞こえなくなってしまった。 そのあとは第二幕全体にわたって舞台背景が映写を利用して奥行きが深くなったり、映画と実際の出演者との組み合わせで舞台上の人の数が物凄く増えて見えたり、色々細かい工夫が多くて面白かった。 本当に今日の午後、散歩の道の選択が一本違っても、タイミングが一寸ずれても起こらない偶然のお蔭でこんなに感動してしまった。

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パリからの手紙2

今日は、美術館に二つ行きました。 知らなかったのだけれど、音楽学校の学生証を持っていると、パリの美術館は全部無料なんです!しかも、別料金の特別展示場とかも全てふくめて!嬉しくて、体がゾクゾクしてしまう! はじめはオランジュリー美術館(Musee de l’Orcangerie)でした。 入った途端、文字通り息を飲んだ。 モネが展示室まで設計した、「睡蓮」がいきなりあるんだけど、もう小宇宙と言う感じ。すごく長い楕円形の部屋に4つの睡蓮の絵がそれぞれ楕円を4分(2長2短)にして壁を覆っています。 天井は真ん中がガラス張りの吹き抜けになっていて、日が差し込んできます。こういう部屋が2つつなぎになっていて、計8作の「睡蓮」とこの二つの楕円の部屋で、一つの創作なのだけれど、モネはある世界を創造したかったのだな、と言う感じでした。 そして、その世界に身を置くことはすごい善意を全身に受ける感じで、 何だか言葉で言うと陳腐になってしまうのだけれど、とても嬉しかった。 他にもレノワールや、ピカソやセザンヌや、モディリアニなど、など。 「あ、この絵はここにあったのか!」と言うのが沢山ありました。 次にオルセー美術館に行きました。 1939年まで駅として使われていた旧オルセー駅舎を利用した美術館。 5階までの吹き抜けで、天井ガラス張りの非常に広いスペースに、彫刻が点在している一階からもう何だか別世界。 その中の最上階にある印象派コレクションを集中して見ました。 一つ一つの部屋それぞれに一人の画家の作品が約30~40掛かっています。 こういう風に展示してくれると、それぞれの部屋がそれぞれの匂いと音と世界を持っていて、その画家の視点が肌で感じられる感じがします。 一番印象に残ったのはデガとセザンヌの違いです。 部屋を入った途端に本当に世界が変わりました。 そのほか、ゴッホ、ゴーギャン、ピカソ、モネ、レノワール、等など。 今日も又思いました、パリに住んでみたいなあ!

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パリからの手紙 1.

今パリに夢中になっています。 パリは素晴らしい! パリ市行政も素晴らしい! パリ市はバカンスにいけないパリ市民のために、セーヌ川沿いに大量の砂を運んできて、人工砂浜を作り、ただで公開している。 パリは緯度が高く、夜10時くらいまで明るくて、昨日も10時くらいにセーヌ沿いを散歩していたら家族連れや、学生のグループ、カップルがゴザを広げて思い思い、ワインやデザーとを広げて歓談していた。 それから、いたるところに自転車置き場を設置し、大量に購入した自転車を置き、一日ユーロで使いたい放題。 どの政府運営の自転車置き場から借りても、乗り捨ててもよくて、パリ市民は申請すれば一年29ユーロで乗りたい放題。 そしていたるところに公園があり、本当に美しく管理されている。 キウィが家の枇杷くらいたわわになっている木があったり、バラ園が咲き乱れていたり、小川や滝もあって、そしていたるところで人がくつろいでいる。 みんな幸せそうに見える。 これは「隣の芝は。。。」現象だろうか? 日本でお母さんに作ってもらったお弁当を食べれるところを探して、何十分もうろうろしたことを思い出す。 たま~に見つけた小さな公園のベンチでは、サラリーマンが疲れきったように寝ているか、緊張しまくって「ハイ! ハイ!」と携帯電話口でかしこまっていて、とてもお弁当を食べられる雰囲気じゃなかった。 パリに住んでみたいなあ。

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