音楽効果の提供

学会「NOAH」二日目。

昨日の夜は、私がコンサルを務めさせて頂いているCPAM(Center for Performing Arts Medicine at Houston Methodist Hospital)の音楽療法士やアート療法士などとの夕食会に誘われ、夜の11時まで楽しく語り明かしてしまった。脳神経科学の研究も進んでいるし、音楽療法士と言えば引っ張りだこかと思いきや、まだまだ世論は偏見と無知から脱出していないらしい。「アニマルセラピーと比べられちゃったりするの。ペットの力を否定しているわけではないけれど、私たちは何年も猛勉強して、試験に受かって、認定を受けたプロなのに...」と言う愚痴を聞いて、厳しい現実に結構びっくり。更に、死ぬ間際の患者さんや、精神疾患の患者さんと一対一でやったりすると、見学者がショックを受けるような事件も多いらしい。でも楽しい話しも多い。痛み止めの副作用ですごい便秘に苦しんでいる患者さんにリラックスしてもらおうとギターを弾いたら急に脱糞!患者さんが「奇跡だ!奇跡だ!」と大喜びする様を表情豊かに再現してくれる音楽療法士にテーブル中が大爆笑。(注:この患者さんは「音楽療法のパワーを知ってもらうためにこのお話しを誰にしても良い」とお墨付きをくださったそうです。ただし、この音楽療法士さんは、「なぜギターで便秘が解消したのか科学的説明ができないし、再現性のある効果と言う保証もないので、就職面接ではこの話しはしない」そうです。) そして今日は7時半からの朝食ミーティングに出席するため、宿を出たのが朝6時45分。う~ん。疲れてきたぞ! 今日印象に残ったのは、癌患者の放射能治療の現場に、画家が入り込んで、ロビーや点滴治療の前に目の前で絵を描く、と言うもの。これを8週間続けたそうです。明らかに雰囲気が和み、患者さんのストレス解消や苦痛改善につながり、さらに患者さんに「絵筆をちょっと持っててください」とか「絵具を合わせてください」とか「この花の色を塗ってください」などと少しずつ参加してもらうことで患者さんが治療以外に集中することができ、自信にもつながり、非常に良い効果が出たそうです。更に、癌治療を受ける患者さんはご老人が多く、ご老人は話し相手が少ない日常生活の中で通院を始めると看護婦さんを世間話の相手にしてしまう傾向が在るのですが、絵描きさんが入る事で看護婦さんが自分の仕事に集中できるようになり、看護婦さん自身のストレス軽減につながり、予期せぬ副作用になったようです。 今日良く分かったことを簡単にまとめます。 医療現場に芸術や音楽を取り入れることで「病気を治療する医療」が「人を治療する医療」に代わる。患者さんのストレスや苦痛が軽減し、痛み止めの処方も入院日数も減り、治療への積極性が見られるようになる。 医療スタッフのストレス軽減につながり、燃え尽き症候群で辞める人が激減する。 でも、プライヴァシーの問題で研究者やアーティストに患者のデータがアクセスできないので、その効果をデータとしてまとめるのが難しい。 まだまだ理解と協力が足りない。 Arts in Healthの認識を高め、皆が結束することで、もっと研究が進み、データが増え、ますます加速できる。

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学会NOAHにボストンで出席!

ボストンに来ています。すでに初秋!朝晩は寒いくらいです。 National Organization for Arts in Health(「芸術と医療」全米連盟」)の学会に出席するためです。昨日はハーヴァードとMITでそれぞれ研究をしている私の尊敬する友人二人とそれぞれ会って、夜は学会の前夜祭。ご馳走が並びました。 志を共にする新しい仲間・組織・会社に沢山出会えて、勇気百倍!元気が出ました。ニュースを見ていると悲観的になる事もあるけれど、でもこうして沢山の人たちが、色々な分野でそれぞれ世界を少しずつ良くしようと一生懸命頑張っています。 今朝は8時半から開会式。NOAHの学会はHealthcare Facilities Symposium and Expoと言うより大きな学会の一部です。主に医療器具や建築・施設デザインなどに関わる専門家たちの学会です。全部合わせて参加者は2000人以上!NOAH参加者はその中で237人。開会式は合同でした。 そのスピーチをしたのは、この人です。Yoko Senと言う日本人女性。入院時の病院の音を苦痛に感じた元ピアニストが、その後病院の音環境改善を働きかけています。一時間ほどのスピーチをしました。病に集中する医療を、人間に集中する医療に変えよう。患者さんだけじゃなく、患者を介護する人のケアも行う医療現場を考えよう。死にゆく人が最後に聴く音がこんな音で良いのか。 WHOが病人が耐えられるとしている音量は30dB だそうです。が、現実には病院のノイズレヴェルは40dB.さらに、医療スタッフは「警音が夢の中でもなっている」などと訴えるそうです。どうすれば良いのか。例えば生態モニターが音楽で表される機器と言うのは可能か? その後はもう15分毎に新しいトピックでのプレゼンです。 医療現場に芸術を取り入れる時には地域の賛同と協力が不可欠。それをどうやって取り入れ、お互いに得るものが多い共同発展プロジェクトをデザインするか。 精神病患者にアートセラピー。症例とデータ。 建築と芸術を融合させた医療設計。 アートを使って精神疾患の汚名を払拭する活動。 芸術オブジェを医療現場に置くことの意義。(この人は色々なデータを紹介。アートが在る事で痛み止め服用が減るとか、回復が早くなる、と言うのは有名だけれど、この人は医療経費が減る、と言っていて面白かった。医療スタッフの燃え尽き症候群が減る、とかまあ周知の事実のほかに、オブジェが在ると目印になり、医療スタッフが道案内に使う時間と労力が減少=これを年間節約に換算していて、凄く笑えた) 医療現場で働くアーティストの訓練の必要(医療倫理とか、伝染病・衛生・非常時対応などに関する知識とか) 医療に携わる準備をする学生たちに芸術教育を施す必要性 NEA(国立芸術基金)の代表がこの分野への期待と資金調達方法について 今日初めて知った、面白い概念。 Death Cafe:「死」について真剣に話すために設けられるカフェ。患者さんは勿論、家族の死が間近な人達などにも。最近アメリカで広まっているらしい。 医療現場で不適切な音楽と言うのはあるのか?死に関する曲は避けるべきか? 頭がパンクしそう!しかも明日はもっと長丁場!!

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最近のまとめ。

私の友達には、文字通り世界を世界を股にかけて活躍する人が多い。ヨーロッパから月に数回アジアに出張がある人。日本からほぼ毎週東南アジア・ヨーロッパへと出張する人。出張先から出張先へとアメリカ大陸を所せましと飛び回る人。(すごいな~、かっこいいな~、私もいつかは…)といつも思っていたら、春先にそんな尊敬する友達の一人に「マキコもこれからだよ。そうやって発展がどんどん加速して行くときのチャレンジは、出会う様々な人や出来事や情報を、どれだけ素早く効果的に肥やしとして消化して自分の成長と発展の糧にするかだよ。反芻・復習する時間を忘れないで。」と釘を刺された。 確かに移動が多いと目先の色々に一々気を取られる。その日の宿とか、新しい出会いとか、郷土料理や観光地とか、移動手段とか…いつもは当たり前にこなしていることが、集中力を要するチャレンジとなる。その中で、何気なく耳に挟んだ大きなヒントや、爪を隠す奥ゆかしい「能ある鷹」を、見過ごしてしまうことが在り得ると思う。いかに、表面的なディテールに気を取られずに、自分の大きな目標に一番有効な情報・人脈・機会に敏感でいられるか…グローバル化一年生の大きな課題である。 ヒューストンではいくつか進展が在った。 まず、私のストーカー刑事責任追及に多いに協力してくれたライス大学から、音楽学校を対象にしたプレゼンテーションをデザインしてみないか、と相談された。私は自分の博士論文のためのリサーチで、クラシック音楽の演奏様式の背景に、白人男性優勢主義が在る事、そしてその陰に女性蔑視と人種差別が存在することを初めてはっきり史実として知り、愕然とした。そしてその背景を直視せずに伝統を継承することで、無意識に女性蔑視や人種差別のメッセージが受け継がれているために音楽業界に於ける女性に対するセクハラが67.1%と言う現状があるのでは、と思い至った。一時は「東洋人女性として私はピアニストである事を辞めるべきではないか」とまで思い悩んだ私だが、その後脳神経科学や考古学で、音楽一般が人間の生態や脳神経にどれだけ効果的かと言うことに関しての探求も進め、思いとどまった。そして今では、セクハラや人種差別や性暴力を経験した私がこうしてまだ楽観的に誇りをもって音楽活動を続けていけているのは、音楽の治癒効果と音楽コミュニティーの支援と協力を得ることが出来たからだ、と感謝している。これをプレゼンテーションにまとめてみたらどうだろう、と相談されたのである。かなり個人的な話しになるので、正直ビビっても居るのだけれど、でもやりがいのあるプロジェクトに発展すると思う。考察中。 次に、私がコンサルを務めさせて頂いているHouston Methodist HospitalのPerforming Arts Medicineで取締役を務めるTodd Frazierと、新しく研究者として入ったMei Ruiととても有意義な話し合いの時間を持つことが出来た。 Todd はNational Institute of HealthやNational Organization of Arts in Healthなどの大きな機関でもいくつもの重役をこなす業界の有名人。でも本人はいたっておっとりと、どんなに忙しくてものんびりしゃべる、絶えず微笑んでいる癒しキャラである。 US-Japan Leadership Programに私を推薦してくれた人でもある。 Meiは生化学と分子生物物理学で学部を修めた後、ピアノ演奏で修士と博士を取ったツワモノ。彼女は、楽器演奏に於いて最高レヴェルの技術を取得した奏者たちは脳の構造が変わるため、こういう人たちは脳に脳溢血などのトラウマを受けた後、特殊なリハビリで効果的に回復できるのではないか、と言う研究をしている。 Molly Gebrianは私と同じくライス大学で博士号を取ったヴィオラ奏者。学部時代は音楽と脳神経科学のダブル専攻で、現在は「音楽と脳」と言うコースを教えたり、脳神経科学を使った効果的な練習法についてのワークショップなどを行っている。彼女とは現在アリゾナの大学で教えているのだが、たまたま同じ時期にヒューストンに居て、一緒にお茶をした。Meiもそうだけれど、同志と共感する時間を持てるのは、元気と勇気が湧いてくる。 今回は音楽と関係無い会合にも顔を出した。World Affairs Council of Greater Houston(全米国際問題評議会ヒューストン支部)でイラン政府の代表として核交渉に携わったSeyed Hossein Mousavian元ドイツ大使の講義に出席した。中東の政治や、イランとアメリカの関係などに関して、歴史的背景も踏まえながらイラン側の見解を2時間にわたって語る会だった。歯に衣を着せない毒舌で、特にトランプ大統領については容赦なく「でたらめばかり言う無知」などと言って会場を沸かせた。ヒューストンは2016年の選挙ではヒラリークリントンに投票した人が多かったけれど、テキサス全体的は共和党寄りで、ヒューストンにもいまだにトランプ支持者は居る。それでもこういう発言に会場が湧く、と言うことが興味深かった。私は世捨て人の様にピアノの練習ばかりして最初の数十年を過ごしてしまったと思っているので、遅ればせながらこれから世界の事についてもっとお勉強をさせてもらって、自分の音楽をどういう形で提供すれば一番世のため人のためになる事ができるのか、参考にさせてもらいたいと思う。

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「音楽ワークショップ」急成長中!

「音楽には社会資源としての大きなポテンシャルが在る!」これが、私の信念です。音楽をどう使えば、私たちの生活や社会をよりよくするために有効活用できるのか?私はこれからの音楽人生をこの課題の研究と考察をしたい。そして音楽の効用を演奏や講義や執筆活動を通じて、出来るだけ沢山の方にお届けできれば、と思っています。 その試みの一つとして始めた、「音楽の効用を職場で活用!」ワークショップ。( こちらでワークショップのプロトタイプの概要をお読みいただけます)。 この数か月で様々なクライエントにご提供させて頂き、参加された方々に大変喜んで頂けています。予想以上の反響に私も多いに勇気づけられ、この音楽ワークショップのポテンシャルを確信し、これからの意欲を燃やしています。さらに良いワークショップをお届けするべく、復習とこれからの更なるグレードアップ計画を公開するのが、今回のブログ内容です。 そもそもワークショップとは何なのでしょう。 伝統的な『授業』では、先生や専門家・権威と言った一人の人間が講義をし、残りの参加者はそれを静かに聞くと言った受動的な学び方が主流です。それに反してワークショップでは、参加者同士で意見交換したり、自分の体で体感したり、グループで共同に実験してみたりして、能動的に学びます。自分の体と言葉と五感を総動員することで、学習内容が体感や思い出に結びつき、より個人的な実感に基づいた学習になります。また共通の課題を受けて意見を交わし、力を合わせることで、参加者同士の交流と理解が深まります。 静かな聴衆に向かって、壇上から音楽を投げかける伝統のあるクラシック音楽の分野で教育を受けてきた私。その上、修士課程を勉強中から大学などの教育機関で、授業やレッスンを教えてきました。特に教え始めたころは、相手の興味の対象や、どの情報を必要としているのかも考慮する余裕も無く、(自分の持っている知識を全てシェアするのが義務)と、真面目に、一方的に、喋りまくっていたと思います。(意見を聞いても、皆シャイで手を挙げない)(参加型授業は先生の怠け)...生徒や非専門家に対する不信感や「教える」と言う行為への誤解は、実は私だけのものではなく、工業革命以降現在に至る教育現場に、歴史的にあるのではないでしょうか? ワークショップをデザイン中も、音楽家としての修行中に自分が体得して来たことをいかに効果的に皆さんの職場や日常に役立てることができるか、それを伝えることに集中していました。 しかし、このワークショップのファシリテーターとしての活動を始めて驚きました。 参加型にすればするほど私が提示するメッセージが波紋を広げ、参加者の中で生きて成長し続ける考えとなっていくのです。これは、ワークショップの最中の参加者の表情やボディーランゲージの変わり様、そして意見交換がどんどん活発になる様、笑い声の出る頻度の増加、さらにその笑い声がどんどん楽しそうになっていく感じなどで、痛いほど感じられます。 「聞く→聴く」「理解→体感→体験」と、能動性を段々強めていき、シャイな参加者でも違和感なく参加できるようにデザインしたこのワークショップですが、頂いた感想を見ると圧倒的に皆さんの印象に残っている部分は、一番能動的な「指揮でリーダーシップ考察!」の所です。最初のワークショップでこれに気づいて以来、どんどん能動的・体験型学習の要素を前倒しにしているのですが、参加者の方々は、臆すること無く、どんどん食らいついてきてくださっています。 頂いた感想からいくつか抜粋をご紹介します。(参加者の了承は頂いています。) 『 飲料事業の経営をしていると、五感の中の聴覚以外についてたくさん考えます。味、デザイン、香り、商品を持った感じなど。平田さんのワークショップを通じて、聴くという動作を、飲み物、そして人間が集まって活動する事業の中でどう設計していくのか、新しい視点をいただきました。受講した社員たちの眼差しも、平田さんのリーダーシップに触れて一層輝きを増し、またチームとしてお互い発信してぶつかりながらも協業し推進力を持って取り組む姿勢が見えました。是非定期的に実施していきたいと思います。』(株式会社チェリオコーポレーション専務取締役 ) 『指揮のワークショップは...音に対する感覚、リーダーシップに関する体感、実感ができて、頭の中だけの理解でなくて感覚を使うので良い。人前でやるので自信を持つ体感の練習になる。自分がしきる!と言う気構えの練習になる。感覚をオープンにする機会になった。こういうワークショップの短いバージョンもありますか?』(ございます!注:この時は5時間のワークショップをさせていただきました) 『指揮のワークショップから、指示(動作)が明確でないとみんなの心を一つにできない、ついてこれない事が分かりました。「音楽」と聞くと苦手意識が先行してしまい、これまでさけてきたけど、今回のワークショップをきっかけに自分の好きな音楽をみつけて探求していこうと思いました。』 『 音楽と脳、からだの関連を身をもって体験できた時間でした。自分が思っている以上に音楽とからだは連携していて、音学の素晴らしさを改めて感じました。』 このワークショップはそれぞれのグループのご要望にお応えして、常にニーズに合った形にしています。今までにファシリテートさせて頂いたワークショップのクライエントやトピックの例は以下です。 Webrain Think Tank LLC. 「音楽でリーダーシップ!」ワークショップ (参加者7人、2時間半)聴覚の再認識→声の抑揚への気づき→生態リズム//音楽のリズム→指揮でリーダーシップ考察 Terumo BCT, Inc. 本社 「『音楽は世界の共通語』を科学する」(参加者約45名、1時間)脳神経科学の側面から、なぜ私たちは音楽で一体感を得ることが出来るのかのデモンストレーションと、それをどのように職場で活用すればうまくコミュニケーションと連帯感を創り上げることが出来るのか、ワークショップ。 Terumo 「サウンドマーケティングと、サウンドロゴデザイン」(参加者8人、90分)なぜ音は感情に直結しているのか、どのような音がどのような感情を醸し出すのか、それを使って効果的にマーケティングするためにはどのような方法が在るのか。最後にサウンドロゴを試験的に作るワークショップ。 チェリオコーポレーション滋賀工場 「『第一部:音楽でより良いチーム、より良いチェリオ』『第二部:音のパワー&聴覚で市場開拓』『第三部:指揮でリーダーシップ体現』」(参加者:中堅以上22人、5時間)部下とのコミュニケーションの向上と、連帯感を醸し出す引率に注目しながら、音楽の効用について再考察。単純作業中の音楽での効率向上や、サウンドキューでのチーム認識など。 チェリオコーポレーション新人研修「音楽でより良いチーム、より良いチェリオ」(参加者15人、4時間)新入社員が、同期としての連帯感を高め、社員としての自覚を確立し、さらにこれからのキャリアに関する展望をより期待に満ちたものにするためのお手伝い。音楽や聴覚を考察しながら、「上がると言う現象」とは、そして「ストレス」とは何か、どう克服できるのか、など。

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音の影響力

ちょっとお付き合いください。 想像力の翼をはためかせて、18世紀のヨーロッパの田舎の農民になってみてください。日中は畑に出て、自然の音を一日中聞いています。働きながら一人で、あるいは周りの農民と声を合わせて、歌っているかもしれません。夜は暖炉を囲んで歌ったり踊ったりしているかもしれない。近所に楽器を弾く人が居たりするかもしれません。 そして日曜日になったら教会に行きます。パイプオルガンが聖堂中を振動させます。オルガンの強音に耳が鳴り、体が共鳴します。そのオルガンと、他の参列者と声を合わせて歌う時、どれだけ神聖な気持ちになるでしょう。 今度は1853年の横須賀の住民になって見てください。220年ほど鎖国が続いて、もう代々日本の音しか聞いていない。 そこに突然黒船がやってきます。その巨大な船の群れの脅威と共に、西洋音楽隊の軍艦マーチは横須賀の住民にどう聞こえたのでしょうか?金管楽器が空気を割き、打楽器が轟いた時、どんなにびっくりしたことでしょう。 1878年4月18日、トーマス・エジソンが全米科学アカデミーの前で蓄音機のデモンストレーションを行ったとき、複数の聴講者が気絶したそうです。なぜ気絶するまでびっくりしたのか、私たちに想像することは難しい。でも論理的に考えることはできます。蓄音機の出現まで、音の出現とその聴き手が時空を共にすることは必須と考えられていた。ところが、蓄音機の出現で、発音の出どころと聴き手が時空を隔てることが可能になった。心理学者でも音楽学者でもあるエリッククラーク博士によると「聴覚の機能とは音の発生の場所と理由を突き止め、それにどう対処するか決めるためのもの」と言うことになります。しかし時空を隔てた音が在りえる時、聴覚の本来の機能は意味を成さなくなってしまうのです。 そしてデジタル化された音が溢れる現在、音源と言うのは仮説的なモノになりました。私たちは今、こういうヴィデオを見ても面白がりこそすれ、気絶をすることなんて思いもよびません。   …むしろこちらの方を気味悪がるくらいです: 人類の歴史の中で様々な文明が音楽を使って人の絆を強めてきました。しかし今日、人はデジタル化された音楽をヘッドフォンやイヤフォンを使って聞くことで自分と世界の間に壁を作ろうとしています。 これはもしや人間性への脅威、ある一種の危機なのでは?

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