ロサンジェルスの音楽界では「Recovered Voices Project」というのが在ります。「プロジェクト:声々の復興」とでも訳しますか?ロサンジェルスオペラが2006年に始めたプロジェクトで、今では他の音楽団体も参加しているようです。1930年代からナチス・ドイツに「退廃音楽」とのレッテルを張られ、埋もれてしまった作曲や作曲家たちにもう一度スポットライトを当てて再考してみましょう、というプロジェクトです。
バッハ。モーツァルト。ベートーヴェン。シューベルト。ブラームス...これらの作曲家たちは「Test of Time(時の試練)」で選抜に選抜を重ねられ、何時代も生き抜いている、だから天才である、という考え方が在ります。それは必ずしも本当なのか?例えば石井宏著の「反音楽史ーさらば、ベートーヴェン」などはこの考え方に真っ向から反対されています。『いやいや、現在我々が知っている「音楽史」は実はドイツ優勢主義のプロパガンダですよ。バッハもモーツァルトもベートーヴェンもその天才性は後付けですよ。』...という主張。
じゃあ、誰にも認められない天才というのは、ありえるのか?
第二次世界大戦中、多くのユダヤ人がナチス政権下職を失い、身の危険を感じてヨーロッパを去りました。こういう人たちの多くが学者や芸術家たちでした。日本にも、アメリカにも、中国にも、沢山のユダヤ人たちが避難して来ました。例えば日本が第二次世界大戦直後から国際コンクールで賞を取る優れた音楽家たちを沢山海外進出できたのは、戦時中日本で沢山の世界的ユダヤ人音楽家たちが教鞭を取っていたからという史実が在ります。
私は今、5月末にトーマス・マン・ハウスで収録するピアノ独奏曲を選曲するため、これらの作曲家たちについて研究しています。彼らは確かに強制収容所を免れた。でもじゃあ、幸運だったのか、というとそれはまた別の話しです。彼らの多くが、ヨーロッパにまだ残っている家族・親戚をアメリカに呼ぶための手立てや金策に奔走しています。その尽力が成功して家族や親せきが実際アメリカに来たら、この人たちの面倒を見ます。そういう人たちの面倒を見ながら、それでも次々と救いきれなかった家族・親戚の命乞いや訃報が届き、ニュースも暗澹たるものです。戦争がいつ終わるかも分からない...芸術性とか、勉強とか言っている時間も余裕は無くなってきます。
これらの作曲家の多くは故郷では映画音楽なんか鼻をならして軽蔑した様な硬派で名声もあった作曲家たちです。でも、戦時中背に腹は変えられなくなり、映画音楽や教えに転向した...ハリウッド映画音楽は避難して来たユダヤ人作曲家により素晴らしいものになりました。その歴史的な良し悪しはともかく、彼らの多くは「身売り」の自責や屈辱に苦しんだようです。
この中で特にトーマス・マンとの交友関係が近しく、更に「ファウスト博士」執筆中のマンに音楽関係の助言をしていた作曲家の一人として、選曲が決まりそうなのが、エルンスト・トッホと言う人です。1948年に心臓発作を起こし、そこで一大決意をして映画音楽も大学の教授も辞め、作曲を再開します。この人は1955年に交響曲3番でピューリッツァー賞を取っています。にもかかわらず、現在彼のピアノ作品の録音はほとんどありません。私自身、この人の名前はこのリサーチを始めるまで全く知りませんでした。
人は、いやこの際私は、世の風潮や同調圧力に影響されずに、芸術作品の良し悪しを判断する能力はあるのか。アンデルセンの「裸の王様」が頭に思い浮かびます。私はこのトッホの作品68に共鳴する自分を発見しています。この曲を弾きたい!6つの小品を集めた「プロフィールズ」という組曲。私の演奏で、私が感じるこの曲の良さを世界に伝えられるか。
お疲れ様です。
歴史は勝者によって作られると言われます。
人のは、生き残るためには、何でもします。
「散る桜、残る桜も散る桜」特攻隊員の辞世の句です。
人は100年で肉体を宙へ還します。
人の一生は、明日の知れない儚い夢です。
YouTubeでErnst Toch – Op.55 10 Etudes For Piano (1931)を聴いています。
旋律は、平田真希子さんの文体を感じます。
小川久男
人の一生は確かに儚いですね。
でも文明は地球の生態をも変えます。
その中で個人として、どういう一生を生きるか。
面白いです。
平田真希子
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