May 2007

水がぶ飲みの訳

私は曲と曲の間、舞台袖で何をしているかというとがぶがぶ水を飲んでいる。2時間のリサイタルプログラムで大体2リットルのペットボトルを飲みきる。 練習している時きでも、指を止めて頭の中で復習・予習をやりながらせわしなく歩き回ったり、ボーっと窓の外を見ながら水かお茶を飲む。4時間の練習で1リットルでは足りなかったりする。 これは友達と確認しあったことだが、演奏中、多分私たち奏者はつばを飲み込んでいない。この事実に気がついてからは時々意識して演奏中つばを飲み込んでいるが、それもフレーズとフレーズの間、音の一瞬の途切れ目でのことだ。 実際はのどの奥で一曲弾きながら歌っているようなものなのだ。だから一曲弾き終わった時ののどの状態と言うのは、曲の間中「あーーーーー!」と叫び続けていたようにカラカラ、コンコン、ヒリヒリなのだ。 さらに曲によって、それから舞台照明の熱さ加減によってかなり汗をかく。一般的に指揮者と管楽器奏者、その中でも特に男性、が私の観察する所では一番大量の汗をかく。 タキシードまで汗でグッショリになる。 指揮者とは共演し終わった後、舞台上でハグしたりするので、私までビショビショになってしまったりする。 あと、緊張の為に汗をかくピアニスト、と言うのもいる。私の友達は本番のたびに手に汗をかいてしまい、鍵盤がツルツル滑るそうで、手の汗腺を手術でとれ(本当にそういう手術があるらしい)と先生に言われた、どうしようと相談してきた。 (そんなこと分かりません。) それから一度私が譜めくりをした事のある現代曲専門の美男子ピアニストは、出場直前私にむかって「自分は本番中緊張すると非常な汗をかくが心配しないように」と忠告してくれた。 忠告してくれて良かった。何しろ彼の汗はただごとではないのである!玉のような汗がぽたり、ぽたりと演奏の間中、ずーっと滴り落ち続けるのだ!! 私はよほど手術中医者の横にたってハンカチで汗を拭く看護婦のようにふいてあげようかと思ったが、とりあえず譜めくりに集中して汗は見て見ぬふりをした。随分話がずれてしまったが兎に角、演奏の合間の水分補給は不可欠!と言うことが言いたかっただけである。 そんな訳で私は「六甲の美味しい水」が特に好きですが、舞台袖では水が本当に美味しく飲める。

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プログラム、「初心にかえる、古典にもどる」のこころ

ピアノは比較的新しい楽器です。もともと在ったのは管楽器のように空圧を利用するオルガン、ハープのように弦をはじくハープシコードなどもっと歴史の深い鍵盤楽器。これに続いて、叩いて弦を響かせるピアノの原型が普及し始めたのはハイドン(晩年)やベートーヴェン、シューベルトの時代です。 ですからピアニストがピアノのレパートリーを理解する上で基本にするべきなのが、この古典派の曲たち…ということで今回はベートーヴェンとシューベルトの代表的な名曲をそろえてみました。 (チラシにあるモーツァルトのソナタKV322は時間の都合上やむを得ず今回は割愛することになりました、ご了承ください。) さらにピアノ奏法に大きな発展を見せたロマン派、印象派のリストとドビュッシー。その中でも特にピアノ技巧、並びにピアノのための作曲技法の限界に挑戦している練習曲集を取り上げて、もう一度自分の中のピアノと音楽というものを再認識、再定義してみようというのが今回のリサイタルのプログラムの趣旨です。 バロックから20世紀までの作曲家がそれぞれの時代の鍵盤楽器のための練習曲という媒体を通して何をどう表現するかという興味から造った「Etude, Seriously」も同じ趣旨で2006年末から録音を始め、この5月に仕上がりました。 今まで固定観念にとらわれることを嫌って、歴史や一般的な連想の多い有名な曲を避けてきた私ですが、修士を2001年に卒業してから6年ぶりに学校にもどり、もう一度系統だった勉強を再開しました。 今回のプログラムと新発売のCDはそんな私の「祝・初心、探究心、チャレンジ精神」宣言だと思ってくださると嬉しいです。

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ピアニストの雄叫び

私の妹は演劇専修と言うのを大学で専攻した演劇のエキスパートである。 卒業後、某劇団の舞台進行を腕まくりしながら(かな?)筋肉もりもりで担当していたこともある私の自慢の妹である。 そんな縁で芝居の招待券が時々手に入る。 昨日は妹がプレゼントしてくれたミュージカル「マリー・アントワネット」の招待券を手に母と二人でデートをしてきた。 昔の私の愛読書でもあった遠藤周作の筋の入り組んだ大変複雑な歴史小説(単行本にして上下二巻)を3時間のミュージカルにしようと言うのはかなりの野望、と半信半疑のヒヤカシ・野次馬精神で望んだのだが、私は不覚にも2度も泣いてしまった。 涙を拭くと母にばれて恥ずかしいので、ほって置いたら肌がひりひりしてしまった。  何しろミュージカルと言うのは(オペラもそうだが)歌に入ると、とりあえずストーリー進行を放棄して「私は今、大変悲しい!どうか皆さん、私の苦しみを分かち合って、私と一緒に泣いてくださーい!」と延々と歌うのだ。 歌い手は一生懸命だし、オーケストラもビュンビュン鳴るし、もうこれだけのエネルギーと時間をかけて「泣いてもらいましょう!」と頑張られると、素直な私はすぐ涙してしまう。 そして、やはり皆うまい。 有名な涼風真世さんもうまかったが、新人(なのかな!?)の新妻聖子さんがすごく声が綺麗で芝居がうまかった。 しかし涼風真世さんはマリー・アントワネット役で毎日劇進行上(二回公演の日は日に二度)どんどん落ちぶれて、最後にギロチンで殺されるのだ。このミュージカルは179公演目といっていた。 これは大変! 毎日ちゃんと寝付けるのだろうか。 寝つけても夢見が悪そう...人事ながら心配していたら、ショーの後のトークイベントで「ギロチンがスローモーションで下がってくる間ずっと何を考えているのか」と言うインタビュー者の質問にこんな風に答えていた。 「マリーは、願わくばきっと綺麗な空を最後に見て死んだのでは…と」。 そうなのです! 演じる側にはある程度演じる対象と自分の間に距離が必要なのだ。 何のコントロールも無く感情移入しっぱなしで役者が舞台の上で手放しでワンワン泣いてしまったら話しは進行しないし、観客はしらけてしまう。 涼風真世さんは自分を守る為にも、演技を一番効果的にこなす為にも、マリーになりきってしまってはいけないのだ。 マリーはマリー、自分は自分なのです。 私だってベートーヴェンはベートーヴェン、私は平田真希子だ。 感情だけに自分をゆだねてしまったらミスタッチが多くなる。 でも、このバランスが本当に微妙なのです! この感情移入と距離間の適当なバランスを演奏会で達成するために、練習の段階では色々なことをする。 勿論音を一つ一つ学んで行ったり、ゆっくりさらったり、構築を頭に叩き込んだりする、技術的なプロセスと言うのも踏みます。  が、それに対して、弾き込んでいく段階では感情探索と言うか、自分が曲をどう感じるか、どういう感情をこの曲を通じてコミュニケートしたいと思っているか弾きながらイメージを広げていく、と言うこともする。 ここで私はしばしば泣いている。 大抵は弾き続けながら、涙を静かに流すのだが、一、二回本当に悲しかった時は弾くことを止めて、部屋の隅まで歩いていって「オーン、オーン」と声を上げて、体育座りで泣いた。 勿論、弾きながら「ひゃひゃひゃ」と笑うことも有るし、感情つのって「うおーーー」とほえることもある。  一度、学校の練習室でそうやってほえていたら警備員の人が「練習がうまくいかないのかい?」とチェックしに来た(実はこうやってほえているときは練習はのりのりなのである)。同じ夜、やはり私のうなり声を聞きとがめた友達が「トントントン(ノックの音)大丈夫?」と聞きに来た。この子は私がひそかにちょっと可愛いと思っている男の子だったので、大変恥ずかしかった。 この子もピアニストなのだが、この子はほえないのだろうか?この子は控えめなので、きっとほえないのだろう。もしかして練習中ほえるのは私だけなのだろうか?(ちょっと心配) ちなみに今回(2007年夏)のプログラムの準備中、泣いたのはリストの演奏会用練習曲の2番、雄叫びを上げ続けたのは「熱情」、笑ったのはリストの一番とドビュッシーとモーツァルト、などです。 まあ、これも一般的な話で、日や練習法によっても私の反応もそれぞれですが。  そして勿論、演奏中には私は雄叫びなんか上げていません…多分。

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