サラソタ音楽祭

6月の下旬、日本は梅雨の盛りでしょうか。 今日まで三週間、フロリダ州のサラソタ音楽祭に参加して参りました。サラソタは粉の様にきめ細かくて真白な砂浜と体温より温かい海水に恵まれた亜熱帯地区に在る町です。観光も盛んですが、むしろ引退した人が多く移住して来たり、「スノー・バード」と呼ばれる、避寒の為に冬だけサラソタの別荘に越してくるお金持ちの多く住む、観光地よりも落ち着いた雰囲気の町です。芸術支援にも熱心で、町の至る所に彫刻が見られ、音楽祭でも数多くのボランティアと個人や企業の寄付金で運営がなされていました。地域の人々の関心と熱意は、生徒に寄せられる晩御飯の招待の数でも明らかです。毎日の様に掲示板に「水曜日の夕飯、3人、お迎え5;30」と言った招待状が数多く貼り出され、ソコに名前を書くとご馳走になる事ができます。地域の誇りである音楽祭の支援を通じてのコミュニティーの一体感、そして芸術や若者の育成に関わっているのだという意気込みがひしひしと感じられます。私もボランティアの方に一度日本食レストランに連れて行ってもらってご馳走になった他、ピアニスト全員で動物園に招待されたりもしました。海水浴もちゃんとしましたし、プールでも何回も泳ぎました。そして毎晩、こう言う音楽祭では恒例の呑み会が生徒・教授混同の無礼講で行われます。 と言っても勿論、遊んでばかりいた訳では在りません。 振り返ってみて3週間でどうやったらこれだけの事をこなせたのか不思議ですが、以下が私がこの音楽祭で演奏した曲目です。 6/8  ブラームス、ピアノ四重奏3番、三楽章(Selby Libraryでのコンサート) 6/10 ブラームス、4つのピアノ曲、作品119 (クローデ・フランクの公開レッスン) 6/12 プーランク、木管三重奏、二,三楽章(Holley Hallでのコンサート) 6/13 ドビュッシー「月の光」音楽祭の大口個人ドーナー宅におけるコンサート 6/15 プーランクの木管三重奏 (地域の教会でのコンサート) 6/17 ブリテン、オーボエとピアノの為の変奏曲 (オーボエの公開レッスン) 6/17 ベートーヴェン、6つのバガテル、作品126(ジョン・ペリーの公開レッスン) 6/18 ベートーヴェン、「ハンマークラヴィア」(ボブ・レヴィンの公開レッスン) 6/19 モーツァルト、クラリネット三重奏、三楽章 (Holley Hallでのコンサート) 6/21 シューベルト、ピアノ五重奏「ます」5楽章 (オペラ・ハウスでのコンサート) この音楽祭で演奏した4曲の室内楽はすべてそれぞれ4時間から8時間のリハーサルと2~4時間の指導を経て、演奏に備えます。そして勿論、自分の演奏だけでなく、教授や受講者の演奏会も聴衆の一員として参加します。自分が演奏した音楽会のほかに、聴衆の一員として参加した演奏会が約12回、時間にしてざっと20時間位です。 この音楽祭で私はいくつもの忘れがたい経験をしました。ひとつは伝説的なピアニスト、クローデ・フランクの人柄に触れ、演奏を聴くことができたことです。シュナーベルの生徒だったフランク先生はすでに80代半ばです。指は勿論、体中の関節炎のためまっすぐ立つことも、歩くことも不自由で、こう言ったら失礼かも知れませんが可愛いヨチヨチ歩きです。ステージの昇り降りの際は思わず回り中の人間が手を差し伸べてしまうほど危ういのに「よっこらしょ」と転びそうになりながらピアノに向かって歩いていきます。 公開レッスンでは幸せそうに生徒の演奏を聴き、「素晴らしい!何と美しい! 本当にどうもありがとう!」と生徒が恥ずかしくなるほど手放しで褒めてから後、細かい、細かい指導があり、そしてお手本で弾いて見せてくれるとこれがまた、まるで別の曲の様に素晴らしいのです。 ここで生徒は「じゃあ、最初に褒めてくれたのは何だったんだ」と思うのですが、これは生徒同士の話し合いの結果「演奏を褒めたのではなく、曲を褒めたんだ」という結論に至りました。 ヴァイオリンの教授として同じ音楽祭に参加していた娘のパメラ・フランクさんによると、フランク先生はもう演奏することは苦痛なようです。関節炎の為、指が伸びず、ミスタッチが多くなり、納得の行く演奏ができないことを悩んでいるようです。でも、フランク先生がベートーヴェンの最後のソナタ、作品111を演奏したときは、私は言葉で表現するのが難しいひとつの体験をさせてもらったと思いました。彼の体の中に曲の最初の音から最後の音までがすでに完結した一曲としてはっきりと存在しており、彼は聴衆のためにそれを一音ずつ体から出してくれているだけなのです。そしてその体の中の音楽があまりに確固たる物であるために、ミスタッチで演奏が惑わされることは全くなく、音楽が絶対的な世界として実感できるのです。私は80代、90代まで生きて、ああいう演奏家になりたい、とはっきりと思いました。新しい志を見つけられた、と思いました。 もう一つの忘れたくない経験はピアニスト、ロバート・レヴィンに出会えたことです。ロバート・レヴィンは音楽祭の総監督、かつピアノの教授として参加していたのですが、彼は古楽器演奏の一人者でハーバードの教授でもあります。この人は本当に浮世離れをした、知識の泉というか、とにかく一旦音楽についてしゃべりだすととまらないのです。興奮して、どんどん、どんどん話が広がっていき、そして言っていることのすべてが文献や彼が実際にリサーチした事実に基づいているのです。私は何回か20分から50分くらいハンマークラヴィアやそのほかのことについて会話をする機会を持つことができましたが、50分話を聴いたあとは頭ががんがんして、すぐに自分の部屋に戻って教えてもらったことをノートに書き出して整理をしないと勿体無い、という強迫観念で大変な気持ちでした。 第一日目に出会って初めて講義を聴いたあとは、感動して、私はピアノ演奏をやめて、音楽学者になってロバート・レヴィンと勉強するべくハーバードに行こう!と興奮しましたが、何回か話をしているうちにとても及ばないことがわかったので、やはり素直にこのまま練習・修行を重ねよう、と気持ちを新たにしました。 実に、実に、充実した3週間だったと思います。新しい友達にたくさん出会い、知らなかった曲をたくさん発見し、いろいろ考え、いろいろ話し合い、人の考えを知り、自分の考えを深めるきっかけとなりました。

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