シェークスピアの「オセロ」対ヴェルディの「オテロ」

今学期は「オペラ:1875-1925」と言うクラスを取っている。 ビゼーの「カルメン」(仏)、ヴェルディの「オテロ」、ストラウスの「エレクトラ」(独)そしてベルグの「ヴォツェック」(独)をそれぞれ数週間ずつかけて勉強していくクラスだ。今日は私はヴェルディのオテロについてプレゼンをした。 シェークスピアの悲劇に基づいているこのオペラは1500年ごろのヴェニスの、ムーア人の将軍の話だ。ムーア人というのはぺトルーシュカでも悪役として出てくるが、北アフリカのイスラム教を信じるアラブ系の人たち。当時のヴェニスにはユダヤ人などと共にムーア人と言うのも結構居たらしい。このお話の主人公のオテロはキリスト教に改宗したムーア人。とても尊敬される人望の厚い将軍で、役人の娘と恋に落ちて結婚する。が、オテロに降格された軍人イアゴの企みにのせられ、新婚ラブラブの新妻デスデモーナが浮気をしていると言う疑惑に取り付かれ、殺してしまう。このお話の一番の問題はタイミング。シェークスピアの台本からははっきりとは分からないのだが、イアゴにデスデモーナの浮気をほのめかされてから、実際に殺人に至るまでに数日、あるいはもっと少ない、もしかしたら一日。このお話を解釈する上で大切なキーだ。二つの解釈が可能である。 1.ムーア人と言うのは野蛮人である。どんなに努力してヴェニスで認められる働きをしても、ちょっとのきっかけで火がついて野生がむき出しになる。 2. 「ムーア人」と言う事で、どんなに成功してもいつまでも人種差別の対象のオテロが最愛の妻に裏切られるのではと言う恐れから、嫉妬に走ってしまうのは自然な人間の心理である。 色々な文献を読み漁った。シェークスピアは「ヴェニスの商人」ではユダヤ人差別を扱い、「じゃじゃ馬鳴らし」では女性差別を扱っている。オテロも人種差別に関するあるスタンスを持って書いた可能性が強い。よって2. でも、ヴェルディと歌詞を書いたボイトは英語のシェークスピアから直接オペラを書いていない。そして当時イタリア語に訳されていたシェークスピアの批評文や、訳された台本、そしてイタリア語で上演された「オセロ」の多くは1番の解釈だったのである。何年もこの悲劇と付き合ううちに、当時のイタリア一般の解釈よりはずいぶん2番に近寄った二人だが、やはりシェークスピアよりよほど1番の解釈に近い。 シェークスピアは面白い!高校生の時、ロミオとジュリエットを英語で読まなくてはいけなくて、泣いた。まだアメリカに来たばかりで口語の英語もまま成らないのに、古い英語でつづりも文法されも時として違うシェークスピアには全く歯が立たず、日本語訳で何とかこなした。でも、今回、オセロを英語で楽しめる自分を発見して感慨深かった。そしてシェークスピアがオセロを書くに至った歴史的背景や彼の政治的信念などにかんしての文献が面白くてたまらず、一瞬「これからでも文学専攻したい!」と思ってしまった。

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