演奏道中記3.31:「伴奏者」ではないピアニスト。

リストはピアノを「ワンマン・オーケストラ」と呼びました。

鍵盤楽器の特徴に、多くの音を一度に鳴らせることがあります。この特徴故のピアニストに対する需要というのがあります。弦楽器・管楽器や声楽などの単旋律楽器との共演です。

元々はオーケストラと独奏者の為に書かれた曲のオケパートをピアニストが一人で弾けるように編曲した物があります。また、旋律を受け持つ弦や菅や歌に合わせて、ピアノが「ブンチャ!ブンチャ!」などと言った確立したパターンでリズムとハーモニーを提供する楽曲もあります。

が、これとは別に「デュオ」というジャンルの楽曲があります。これらの多くは「ソナタ」という3つや4つの楽章から成る20分から30分のピアノともう一つの楽器の為の楽曲です。

これらの全てを一括りにして「伴奏」と呼び、ピアニストやピアノパートを従属的な位置づけにするようになったのは20世紀に入ってからです。英語ではAccompanist—日本語の「伴奏」と同意義です。この呼び方の妥当性と、それに伴ったピアニストへの扱い(位置・賃金、など)を疑問視する声が最近どんどん大きくなっています。今では「伴奏」や「Accompasnit」という呼び方をする人は自分の音楽的無知を露呈している、あるいは失礼、として白い目で見られることも多くなりました。じゃあどう呼べばよいのかと言うと、「共演者(Collaborator, Collaborative pianist)」とか、単純に「ピアニスト」です。

私は2000年から2006年までジュリアード音楽院のスタッフとして主に楽器を専攻する生徒さんのレッスンや演奏などに付き添ってピアノを弾いていました。自分自身の独奏者としての活動と両立しながらだったので、ドレスを着てオケをバックに協奏曲のソリストとして拍手喝采を浴びた翌朝、ジュリアードのレッスン室で、挨拶どころか振り向きもしない学生ヴァイオリニストに無言で調弦の為に「ラ」を弾くことを顎で要求される、という両極端の扱いを受け、しばし戸惑いました。このピアニストの扱いの悪さは低賃金に如実に反映されていました。2006年当時、時給が$15.25(約1800円)だったのです。勿論、準備の為にしていく練習に対しての報酬はありません。更に、自分の予定や都合に関係なく、「ここからは生徒と別の曲をやるから」と言われて30分でレッスン室を追い出された場合は、半分の報酬しかもらえない、などという理不尽なルールがいくつもありました。また指示通り準備した曲とは全く別の楽譜を出され、初見をする羽目になる事もしばしばありました。一週間でリサイタルの準備をしたりもしました。自分の演奏の質を下げずにこれらの仕事を全てこなすことは、不可能でした。でも自分の音楽が雑になっていくのも嫌で、結局睡眠時間を削ったり、無茶をするしかありませんでした。

それでも私がその仕事を6年もしたのは、経験値とジュリアードの教授陣や生徒とのコネを培いたかったこと、ジュリアードでの勤務実績が欲しかったこと、ピアノを持ち込める大きさのアパートに手が届かずジュリアードの練習室で練習するほかなかったこと、そしてジュリアードの図書館で楽譜や関連資料を借りられる特権が欲しかったからでした。

そう納得はしていたものの、何度も悔し泣きをしました。一番泣いたのは、あるジュリアードの教授とリサイタルを弾いた直後です。ジュリアードの教授がジュリアードの主催するイベントへの共演者にスタッフの私を抜擢してくれた時は天に上る心地だったのですが、自己ベストを尽くして拍手喝采を受けた後「ありがとう」という言葉と共に教授にもらったのが、忘れもしない家財道具専門店の商品券だったのです。(私はその時極貧で、食費もひねり出す感じだったので、家財道具なんていう物には縁も興味も全く無かったのです。)その時は近くの公園に行って声が枯れるかと思うほど号泣しました。その後一大決意をして、泣きはらした目で教授のスタジオに行き「あの商品券が私への支払いですか?」と疑問形にして尋ねたらば「ああ、支払いはまだだったか。忘れていたよ。」と、教授は何気なくそれなりの小切手を切ってくれたのですが。

私が今なぜこんなに昔の話しをぶり返しているか、理由は二つあります。一つは今この問題が主にジュリアードでの伴奏経験のあるピアニストの間でSNS炎上しているから。2022年現在、ジュリアード音楽院のスタッフピアニストの時給は21㌦だそうです。しかも米国の法律では違法であるにも関わらず「この時給は他言無用」というお達しまで在るそうです。もう一つは、私が最近久しぶりに音楽学生のヴァイオリニストと弾いたリサイタルで、実に心温まる感謝をされたからです。安心してください。このブログはハッピーエンドで終わります。

歴史的に、ソナタなどのデュオの楽曲でピアニストを従属的な立場にする事は間違っています。

19世紀の演奏会の評論文などを読むと「クララ・シューマンのピアノ演奏を伴奏したのは、ヴァイオリニストのヨアキム...」と言うように、明らかにピアノが主体です。これは作曲家の多くが(モーツァルト・ベートーヴェン・シューベルト・ブラームス)鍵盤楽器奏者で、しばしば自作自演をした、ということからも分かります。更に楽譜を読むとピアノに主体メロディーが多く在ったり、構築がピアノ無しではあり得なかったり、要するにピアノの方がもう一つの楽器よりも音楽の構成上、大事なことが分かります。まあ、当たり前です。ピアノの方が音が数倍から数十倍、多いのですから。(その分練習も大変です。それなのに低賃金...)

でもこういうことが当たり前の様に横行しています。

一番左のイメージ、作曲家サンサーンスの手書きのタイトルページでは「ピアノとヴァイオリンの為のソナタ(1885)」となっていますが、インターナショナル社によって出版されている同じ曲の楽譜のタイトルページでは「ヴァイオリンとピアノの為のソナタ」そしてCDのカヴァーには同じ曲が「ヴァイオリンソナタ」と表記されています。(ちなみに最後のCDカヴァーの他の曲ですが、フランクは作曲家の命名は「ピアノとヴァイオリンの為のソナタ(1886)」そしてラヴェルは「ヴァイオリンとピアノの為のソナタ(1923)」です。このCDカヴァーでは字数制限もあったのでしょうが3曲とも「ヴァイオリンソナタ」とされていますよね。最後のラヴェルは間違えとはいませんが、この曲に於いて命名の由来は作曲様式の反映というよりは、ピアニストを従属的とする時代風潮の反映に思えます。)

なぜこんなことになったのか。一つには、ピアノと言う楽器が大きく、チェロでもヴァイオリンでもクラリネットでも前に立たせないと見えなくなる。それが視覚的に前に立っている奏者の方が後ろに座るピアニストより偉そうに見える、ということがあると思います。もう一つに、ピアノは女性が一番弾きやすい楽器だったということがあります。蓄音機などの音楽再生装置が普及するまでは、ピアノは料理と同じく子供の教育やお客様へのもてなしに必須な女性のたしなみだったのです。更に、ピアノは他の楽器と違い、体や顔を余り妥協する事なく座って弾ける楽器なので「女性に相応しい」とされて来たのです。よく観察してください。いわゆる伴奏者には、女性や有色人種が多い事にお気づきですか?

ジュリーアドのスタッフとして過ごした20代の後半は、私が一番セクハラに悩んでいた時期でもありました。そういう時にジュリーアドの男性教授人たちに容姿の事でとやかく言われたり、「女の子」呼ばわりを一々されることも、ひっかかったりもしました。私はそういう自分の体験や音楽史の理解などの全てを踏まえて、もう二度と「伴奏者」の仕事はしない、と心に誓っていました。

でも、まあパンデミックがあり背に腹は代えられなくなり、強く誘ってもらって嬉しくもあり、色々な事情からコルバーン音楽学校のスタッフピアニストとして正式に登録する事になったのです。支払いもジュリアードの数倍。更に音響の整った演奏会場できちんと調整されたフルコンで定期的に演奏できる、そして真剣に音楽人生に向き合っている音楽家達と共演出来る...色々な魅力もありました。でも、正直に言って、非常に複雑な心境でした。

2月に、一番最初の出動要請がありました。ヴァイオリン専攻の四年生。上に楽譜の例を挙げたサンサーンスのソナタ一番ニ短調と、ファヤ・クライスラーの「スペイン舞曲」を卒業リサイタルで演奏するためのピアニストのお仕事。素直で一生懸命な音楽学生とのリハーサルは楽しく、先輩という立場からしたアドヴァイスを真剣に受け止めてもらえた時は本当に嬉しく、更に音楽人生に対する疑問や悩みも少し聞いてあげられたりして、意義を感じました。でも一番嬉しかったのは、本番を迎えた火曜日の夜です。

プログラムです。下のハイライトしてあるところに「マキコ、私の素晴らしい共演者:本当に感謝しきれません」と書いてあります。

そして、演奏後、聴衆として来てくれていた私の後輩にあたる音楽学生ちゃんたちも「あなたの様なピアニストになりたい!」とか、「いつか私とも一緒に弾いてください」とか、私の演奏を喜んでくれて、私は本当に本当に嬉しくなってしまいました。

時代が変わった。私の年齢と立場が変わった。そしてもしかしたら私の音楽家としての力量や見解も変わったのかも知れません。一昨日の演奏会の成功は本当に嬉しかったので、ここにシェアさせて頂こうと思いました。

最後にリハーサルの一場面からのエピソード。蛇足かも知れませんが、仰天したので。

ヴァイオリニストちゃんが余りにも熱心に私の講釈に耳を傾けてくれるので、私もついつい調子に乗って、サンサーンスの生涯が時を同じくしている工業革命の音楽様式への影響ということを語り始めてしまいました。例えば時間に対する概念。それまでは主観的・地域的だった時間という概念が、列車の時刻表と共に欧州で統一される必要性から時計が大量に出回り、客観的に計測できるものへと変わっていく。この曲はその移り変わりを反映しているとも言えるのでは?そして私は、全く無責任にプルーストの「失われた時を求めて」の浅墓な知識をそこで引用してしまったのです。ああ、今から考えると恥ずかしい。

ところが、生真面目なヴァイオリニストちゃんは、リハーサルの後にサンサーンスとプルーストの関係性をリサーチし、そして飛んでもない発見をしてしまったのです。

次のリハーサルでヴァイオリニストちゃんは「待ちきれない!」という感じで、本のページをスマホで写真に収めたものを見せてくれました。「マキコ、凄い!」とか言って。
何と、プルーストはサンサーンスを崇拝しており、更にこのヴァイオリンソナタに着想を得て自分の他の作品で言及している...
私は椅子からずり落ちるほどびっくりして「ええ~、そうなの~~???」とか「いや~、凄い偶然もあるもんだね~。というか、これぞ集団意識??」とか言って、笑ってごまかすしかありませんでした。

チャンチャン♪ 音楽人生万歳!

1 thought on “演奏道中記3.31:「伴奏者」ではないピアニスト。”

  1. お疲れ様です。

    艱難汝を玉にす。
    時を経て脳科学者のピアニストマキコは、アメリカで光り輝く存在となりました。
    名声と富は、やがてレールの両輪となります。
    きっと。

    小川久男

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