音の影響力

ちょっとお付き合いください。 想像力の翼をはためかせて、18世紀のヨーロッパの田舎の農民になってみてください。日中は畑に出て、自然の音を一日中聞いています。働きながら一人で、あるいは周りの農民と声を合わせて、歌っているかもしれません。夜は暖炉を囲んで歌ったり踊ったりしているかもしれない。近所に楽器を弾く人が居たりするかもしれません。 そして日曜日になったら教会に行きます。パイプオルガンが聖堂中を振動させます。オルガンの強音に耳が鳴り、体が共鳴します。そのオルガンと、他の参列者と声を合わせて歌う時、どれだけ神聖な気持ちになるでしょう。 今度は1853年の横須賀の住民になって見てください。220年ほど鎖国が続いて、もう代々日本の音しか聞いていない。 そこに突然黒船がやってきます。その巨大な船の群れの脅威と共に、西洋音楽隊の軍艦マーチは横須賀の住民にどう聞こえたのでしょうか?金管楽器が空気を割き、打楽器が轟いた時、どんなにびっくりしたことでしょう。 1878年4月18日、トーマス・エジソンが全米科学アカデミーの前で蓄音機のデモンストレーションを行ったとき、複数の聴講者が気絶したそうです。なぜ気絶するまでびっくりしたのか、私たちに想像することは難しい。でも論理的に考えることはできます。蓄音機の出現まで、音の出現とその聴き手が時空を共にすることは必須と考えられていた。ところが、蓄音機の出現で、発音の出どころと聴き手が時空を隔てることが可能になった。心理学者でも音楽学者でもあるエリッククラーク博士によると「聴覚の機能とは音の発生の場所と理由を突き止め、それにどう対処するか決めるためのもの」と言うことになります。しかし時空を隔てた音が在りえる時、聴覚の本来の機能は意味を成さなくなってしまうのです。 そしてデジタル化された音が溢れる現在、音源と言うのは仮説的なモノになりました。私たちは今、こういうヴィデオを見ても面白がりこそすれ、気絶をすることなんて思いもよびません。   …むしろこちらの方を気味悪がるくらいです: 人類の歴史の中で様々な文明が音楽を使って人の絆を強めてきました。しかし今日、人はデジタル化された音楽をヘッドフォンやイヤフォンを使って聞くことで自分と世界の間に壁を作ろうとしています。 これはもしや人間性への脅威、ある一種の危機なのでは?

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