書評:野村路子著「フリードル先生とテレジンの子どもたち:ナチス収容所に残された4000枚の絵」(2011)
音楽家の私にできる社会貢献とは?社会に於ける芸術の役割とは?日本人の私が西洋楽器であるピアノの専門家である歴史的背景、そして意義とは? …模索中です。 (面白い!)と意識に引っかかった一つがバウハウス。産業革命に反発して、合理性よりも人間性や多様性を重視した美学に感銘を受けました。第一次世界大戦後の不安定な政情のドイツで、国籍・宗教・年齢・性別を問わずに沢山の芸術家を招待して一緒に育んだバウハウス。1933年ナチス政権に解散を命じられた後は、バウハウス関係者の多くが世界中に広がり、その思想は後世に多大な影響力を及ぼしました。「フリードル先生(Frederika “Friedl” Dicker-Brandeis (1898 ウィーン – 1944 アウシュヴィッツ) 」もバウハウスで20代の前半勉強し、また教鞭を取りました。 このフリードル先生、1942年にナチスのテレジン強制収容所に送られてしまいます。そしてそこで、強制労働の合間に子供たちに芸術教育を施したのです。アートセラピーと言っても良いかも知れません。収容された15,000人の子供たちの中で戦後生存していたのは100人と言う過酷な状況の中で、実に4000枚以上の絵が残っています。 上の絵の様に状況を記録した絵もあるのですが、多くはもっと幻想的な絵です。 このフリードル先生が1940年、友人宛てに書いた手紙の言葉に、私は共鳴します。「Today only one thing seems important — to rouse the desire towards creative work, to make it a habit, and to teach how to overcome difficulties that are insignificant in comparison with the goal to which you are striving. (今日、大事な事はただ一つに思える ー 創造力を掻き立る事を習慣づけること。そして自分の創造力への精進に比べたら他の困難がくだらなく見えてくるように訓練すること。)」 この本はテレジンの子供たちの創作活動を書き綴る事をライフワークにしていらっしゃる野村路子さんが、生存者の一人のディタ・クラウスさんから聞いた話とご自分で調べられた史実を交互にまとめられた本です。大きな文字の印刷で、難しい漢字にはルビが振ってあり、小学高学年なら十分に読めるでしょう。そしてこの本のメッセージは普遍的な大切なものです。 残されたそれぞれの絵には子供たちの名前が書いてあります。フリードル先生は子供たちに何度も言って聞かせたそうです。「あなたたちには名前が在るのよ。ドイツ兵が、いくら番号で呼ぼうと、お父さんやお母さんが、あなたたちの誕生を心から祝って付けた名前があるの。それを書きましょうね。」(P. 167) […]
書評:野村路子著「フリードル先生とテレジンの子どもたち:ナチス収容所に残された4000枚の絵」(2011) Read More »