ヴィルチュオーゾを敵対視する、と言う19世紀の動きは19世紀の様々な側面を反映している。
1.ヴィルチュオーゾの流行
2.ヴィルチュオーゾの音楽体現性に真っ向から反対する精神性を重要視した「ばりばりクラシック」と言う考え方の浸透
3.②の背景にあった音楽の抽象性を神聖化する哲学の動き。
これをまとめたのが、この本。
Zarko Cvejic著、The Virtuoso as Subject: The Reception of Instrumental Virtuosity, c. 1815-c. 1850 Cambridge Scholars Publishing. (2016)
この本はヴィルチュオーゾと言う現象はあまりにも19世紀に敵対視され、事実上音楽史から抹殺されてしまった。でも、演奏様式や演奏者を検証すると言う立場から音楽史を見直すと言う最近の動向に賛同して、1815から1850年くらいまでのヴィルチュオーゾとその抑圧について検証する、と言う本である。
この本はフランスとドイツとイギリスの批評の引用が非常に多いし、それから最近の学術論文の引用も多い。それから考えをまとめてリストにする。と、言う意味では参考になった。しかし、内容は私が知らなかった事にはあまり言及せず、むしろ(そろそろ私もこの狭い分野の中では物知りになってきた。そろそろ書けるかな?)と勇気づけてくれた。