公開演奏での暗譜の最初の例として良く引き合いに出されるのが
1837年、クララ・シューマンがベルリンで行った
ベートーヴェン「熱情」のソナタの全楽章演奏である。
ところが調べてみると、クララは同じプログラムでバッハもショパンもメンデルスゾーンも
暗譜で弾いたようなのである。
なぜ「熱情」だけ特別扱い?
しかも、この1837年のベルリンのクララの暗譜は「高慢」とされあまり評判が良くなかった、
と思われている。
この理由はBettina von Arnimと言う女性が
「How pretentiously she sits at the piano, and without notes, too!
(「なんて傲慢にピアノの前に座ってるの!しかも楽譜も使わないで」)
と言ったと言う逸話がこの演奏にまつわる記述の半数以上出てくるからである。
しかし、Bettinaがどういう所でこの発言を記述したのか、あるいは言っただけなのか、
いまだに私には分からないのである。
これについて探求を始めると何時間でも費やせてしまう。
私はドイツ語はかじっただけで、到底文献を読むところまで至らないので余計に探偵仕事。
要するに、古い伝記がそういう逸話を乗せて、それを音楽学者が次から次へと引用して
なんとなく本当っぽくなってしまった、と言う事でまあ間違えないと思う。
今の所私が見つけた一番古い記述は
1902年にBerthold Litzmannと言う人がドイツ語出版したクララ・シューマンの伝記。
(ドイツ語版第一巻107頁)
https://babel.hathitrust.org/cgi/pt?id=hvd.ml169u;view=1up;seq=121
しかしそこに出展の記述は無い!
しかもBettinaの発言の記述はこのLitzmannからの引用か、
それをまた重複引用したものを引用している!
でもそれにしても、Bettinaは本当にそう言ったのか?
その意見は発表されたのか?
例えこの発言が実際にあってなんらかの形で発表されていたとしても
なぜ彼女の意見だけが他の批評(手放しの賛辞)を差し置いて重視されるのか?
Bettinaと言うのは十代の頃ゲートやベートーベンと交友関係にあり、
その書簡を題材に自由に加筆した書簡体小説で有名になった。
ベートーヴェンからベッティーナに宛てたとされる手紙も信憑性が疑わしい物があるらしい。
(1812年のもの)
そんな人の在ったか無かったか分からない発言がどうして重要なのか?
ベートーヴェンの伝記(1840)を書いたSchindlerと言う人も
ベートーヴェンの秘書を務めたりしたのだが、
難聴だったベートーヴェンのための「会話帳」に死後加筆したり、
自分に損な部分を消去したりしてしまっている。
音楽月刊誌の編集長もモーツァルトの手紙を捏造したりしている
(Rellstabと言う人です!)
そういう中でやっぱり大事になってくるのは歴史的傾向。
ベッティーナが本当にそういう発言をしたかどうかはそれほど重要ではなく、
そう言ったかもしれない、出展不明の意見が歴史が発展する中でずっと重要視され続けた。
何故か。
そして言ったにしろ言ってないにしろ、暗譜は定着した。
何故か。
そこを書くためにはBettinaに何時間もかけていられない!
それにしてもやっぱり歴史は曲者…