美笑日記2.16:日本人ピアニストの歴史的背景

このブログエントリーは日刊サンに連載させて頂いて3年目になる私のコラム「ピアノの道」の2月19日発表の記事を基にしています。

転勤族だった平田家の長女として、私は1歳から6歳まで香港で暮らしました。日本語の両親と広東語の乳母と英語の外出の日常のせいか引っ込み思案だった2歳のマキコは、外で遊ぶより家のアップライトを好む幼児だったそうです。「音楽は世界の共通語なんだよ。ピアノが弾ければ世界の誰とでもお友達になれるよ。」母はそう言ってピアノを習わせてくれました。「世界の共通語」の音楽とは西洋クラシックのことだと、誰も疑わない時代でした。

誕生日のケーキはいつも母の手作りでした。

1974年に一般家庭のピアノ普及率10%を記録した日本は、バブル経済成長と共にアメリカを超えて世界一の出荷台数を誇るピアノ大国となりました[1]。香港からの帰国子女として編入した東京下町の公立小学校では大半の女子がピアノを習っていて、5分休みには各教室のペダルオルガンで順番こに「ねこふんじゃった」を何度も繰り返し弾いていました。開国からの歴史がまだ鎖国の年数の半分だなんて我関せず。五嶋みどりが天才少女として世界のトップニュースに躍り出た時(私もいつか…)と思った小学生は私一人では無かったでしょう。

コロナ禍でアップした動画—幼少期の歌からジュリアードプレカレッジを卒業するまでの演奏のクリップのまとめです。

私をピアニストたらしめた時代背景というのがあるのだなあ、と最近しみじみ感じ入るのです。なぜ日本人の私がピアニストなのか…思い悩んだこともありました。西洋音楽史に於ける人種差別や女性蔑視や業界のパワハラを目の当たりにしてピアノを辞めるべきかと思ったこともあります。でも最近思い直しています。古今東西、文芸を通じた精神鍛錬に心身を捧げる人間というのはどの世にも必要なんだ、と。武士道が21世紀の世界の人生訓と成り得るように、ピアノの道は西欧と東洋、英語と日本語、論理と心、体制と個人との橋渡しを担えるはずだ、と。

この記事の英訳はこちらでご覧いただけます。


[1] Tanaka, Tomoaki. (田中智晃) The Competition Superiority in Japanese Manufacturing of Musical Instruments: The Economic Growth and the Marketing Strategy that Enabled the Piano and Reed Organ Market (日本楽器製造にみられた競争優位性: 高度経済成長期のピアノ・オルガン市場を支えたマーケティング戦略),  March, 2011. The History of Economy (経営史学), 45th Volume, 4th Installment, 第45巻第4 号、Page 52.   

1 thought on “美笑日記2.16:日本人ピアニストの歴史的背景”

  1. お疲れ様です。

    ピアノの入り口は、愛らしいく。
    もっともっとうまくなりたいと欲望が膨らむ。
    貧困に耐え、恐怖に怯え、今はここ。
    天辺はすぐそこかも。

    小川久男

Leave a Comment

Your email address will not be published. Required fields are marked *