美笑日記1.24:心を込めて挑戦

とある大聖堂の演奏会シリーズでブラームスの作品118「6つの小品」を弾きました。

一番長い曲でも6分半とそれぞれは小品ですが、組曲として全部弾くと25分ほどの大曲になります。しかも久方ぶりの新曲。最近は十八番をトークの合間に一曲ずつ弾く本番が多い私が敢えて自分に課した挑戦です。私はまだまだ進化中。そしてもっともっと弾きたい!

先週の木曜日に一度本番を終えていました。聴衆の方々には手放しで喜んでいただけたのです。「沢山の人を聞いてるけれど、あなたが私の一番のお気に入り!」「これからのコンサートの予定を全部教えてください。」「私の母はウィーンのピアニストでした。母が聴いたら喜んだでしょう。」本当に最高の誉め言葉を沢山頂戴してしまいました。

「お客様が喜んでいらっしゃるときに『ここで失敗した』とか『ここがうまく弾けなかった』とか自分の傷心でお客様の演奏会体験に水を差すのはプロとしてあるまじきことである。」と我々は教わります。ですから心中どんなに落ち込んでいても、笑顔で「ありがとうございます」「楽しんでいただけたのなら嬉しいです」と返します。

でも…自己評価は80点といったところでしょうか。練習中には絶対しないミスをしてしまったり、歌いまわしたいねばりたい(ここぞ!)というこだわりの部分で指が先走ってしまったり… 少々気落ちをしていました。正直に言うと本番の録画なんて観たくありませんでした。でも(この反省をバネにして次の本番に活かすぞ!)と思って意を決して翌日観たらば、意外や意外。(…悪くない!というか、ミスはあるけどいい味出してる!)演奏中は取り返しがつかないように思えたミスがかすった程度でほとんどわからない。むしろそのほぼ聴こえないミスにビビってその結果しているミスの方が大きい。

多いに反省しました。ミスタッチでビビる完璧主義は音楽家の魂を病む現代病だ… 最近の録音は素人でも簡単に編集してミスのない演奏に仕立て上げることが当たり前です。その機械的な完璧さを普通と思っている聴衆。その機械的な完璧さを目指した練習法に時間をかけるピアニスト。これはその瞬間のインスピレーションとか、個性的な音楽性というものを潰しているのではないでしょうか。だから画一的な演奏や演奏家が出回ってしまう。私はミスがあっても真希子節のブラームスが弾きたい!そう思って、自分の録音に肯定的な思いを抱いた後はまだ編集という概念がなかった古いふる~い録音を探して聴いたりし、ブラームスとクララの恋愛について思いをはせて今日の本番に挑んだのです。

パンデミック前に比べて聴衆が一割以下に減ってしまっていたシリーズ…のはずが、今日は開けてびっくり。高齢者施設からのマイクロバスで聴衆がワイワイと降りてきました。車いすの方も、歩行器を使われる方も、かなり重度の方もいらっしゃいます。パンデミック前にレッスンをして差し上げたことのあるピアノ愛好家がお友達を連れてきてくださいました。(ああ、あの人は今コルバーン時代の私のライバルにレッスン受けてるんだよな~。)なんだか心拍数が上がってきています。(ああ、ワクワクしてきたなあ~)と自己暗示をかけようとします。(適度の興奮はピークパフォーマンスには必須なんだよ~)…しかし、『適度』というのはこんなに速いのか?

セミコンの低音の震えを会場いっぱいに響き渡らせる快感。使い古されたピアノで音が割れやすいので、「力いっぱい」の大音量ではなく共鳴させることと溜めることでダイナミズムを醸し出す。そうそう、なかなか良い…と思った瞬間にズルリ!ミスタッチ。

乗らないときの演奏の苦しさは、なかなか描写が難しい。溺れそうになってもがいている感じ。泳ぎ方を知っていても一回溺れてしまうととにかくパニックになります。(ああ、また泳ぎ始めた…よし、リズムに乗ってきた…)と思っても、また溺れないかという懸念が頭を離れず、音楽に没頭したいのに邪魔をします。

でも、その瞬間客席で人がフレーズの最後に目を閉じてため息をついたのが見えます。高らかに歌い上げるメロディーで、目を上げて胸を深呼吸で膨らませた人がいます。それぞれの人がそれぞれの音楽体験を一生懸命してくれている… 一方、途中で退出する方もいらっしゃいます。(わざわざ舞台の真ん前を横切らなくても良いのに…私の演奏が不満なのかな?もしやこれは無言のプロテスト??)演奏中はエスパーの様に神経が研ぎ澄まされています。一秒が十秒くらいに感じる。

ちょっと腕に違和感を感じたり、ちょっと客席からノイズが出たりすると、『ピピ‼』と神経が警戒し、一気に呼吸が乱れたりします。そして始めはかすりそうになった程度のぶれが実際のミスに繋がり、さらに大きなミスに繋がり…3曲目の展開部で提示部に戻りそうになり、提示部に戻ったなら戻ったで、そのまま弾き続けてもよかったのですがそんな判断をする冷静さはなく、条件反射的に一小節弾き直してしまいました。(あああ…)

場数を踏んでいることの強みは、良い舞台だけでなく苦しい舞台も沢山踏んでいることです。そして年の功で、自分の精神やテクニックがどんなに暴れても、それなりに乗りこなすだけの経験と達観も身についています。どんなに苦しくても弾き終えるというプロフェッショナリズムも骨身に染みています。(終わりまでベストを尽くす!気を抜かない!心は込める!!)最後の和音の余韻を丁寧に空気中に漂わせ、笑顔で立ち上がります。

お客さんはカーテンコールを3度も出してくださいました。最近人生相談にのることが多い友達がずっしりと腕に思い華やかな花束を舞台で贈呈してくれました。彼女から花束を受け取り、ハグをして、お辞儀をしても、まだ拍手が鳴りやまないのです。

舞台から降りたら沢山の人がお礼と褒め言葉を投げかけてくださいます。「どうもありがとう。」「素晴らしい演奏でした。」「君は本当に才能がある。素敵だったよ。」みんな笑顔です。私も笑顔で挨拶を返します。

でも心の中は寂しさでいっぱいです。(みんなどうしてウソをつくの?)(私はどうして演奏し続けてるんだろう。)(全然だめだ。へたくそ…)このシリーズは演奏会の一週間後に演奏の動画を編集してHPに公表します。「とっても良かったわよ~。本当、いつも良いけれど、今日もよかった~。」笑顔でにハグしに来てくれた会の主催者に、そっと動画公表の中止が可能か聞いてみます。「3曲目でちょっとミスっちゃって…」一瞬びっくりした顔をした主催者は、即答してくれます。「あなたの芸術性を尊重します。大丈夫。可能です。」

自分を持て余して帰宅します。(「舞台での堂々ぶりが素晴らしい」ってまた褒められちゃったよ…これじゃ私は役者だね…)これからどうやって生きていけばよいのか…そんなに大げさなことを言わなくても、兎に角今日一日をどう過ごせばよいのか、途方に暮れます。とりあえず帰宅。とりあえずドレスから普段着に着替え。とりあえず頂いた花束を生ける…ゆっくりゆっくり自分をなだめすかすように一つずつ進めていきます。お花をばらすと、バラや松の芳香が一瞬我を忘れさせてくれます。(そっか…演奏後に頂く花束にはこういう効用もあったんだなあ。)少し元気になったとき、メールの着信に気が付きます。主催者からです。

「録音技師が、動画は非公開ではなく、不満が残った楽章だけ編集でカットするという代案を出してきました。どうですか?」

急いで返します。「音源聞かせてもらった後にお返事をしてもよいでしょうか?」この段階では9割、公表は無しだと思っています。でも後学のために何が実際どれだけダメだったのか聞いておきたい。

10分もしないうちに音源が送られてきます。そういえば腹ペコで食べ始めていた残り物のシチューを横にのけて、かぶりつくように聞き始めます。(え?ええ??)…悪くないのです。というか、自画自賛を承知で言うと、なかなか良い!ミスはあるけれど、構築感がしっかりしている。ピアノが古いせいも、ミスがあるせいもあるけれど、ちょっと1920年代の録音を聞いてみるみたい。ノーミスの演奏を目指さない時に取るリスクを取って、そうでなければできない表現をしている。3年前の私にこの演奏はできなかった。今日は自己ベストは発揮できなかったけれど、私は確かに進歩している。

メールを書きます。「完璧主義に毒されて演奏中は聞こえなかった自分の音楽観が録音から聞こえてきて再認識しました。この動画を公表することを勧めてくださってありがとうございます。3楽章にはかなり明らかなミスもありますが、組曲の構造を大切にし、また生演奏ならではのハプニングの良し悪しを全て人間味と受け止めて、全曲公表しましょう。」

下は木曜日の演奏会の動画です。ドビュッシーのアラベスク1番、ショパンの別れの歌、と弾いた後、ブラームスが始まるのは12分8秒から。

1 thought on “美笑日記1.24:心を込めて挑戦”

  1. お疲れ様です。

    直球勝負の完璧主義者であれば、ノーミスは当たり前かもしれません。
    演奏家の完璧と聴衆の完璧には差があります。
    生演奏は、過ぎ去った音の感動です。
    それが極上であれば拍手喝采です。
    演奏者に求めるのは、非日常の感動です。
    聴衆は、骨董の名品の傷を味わう余裕があります。
    打ち上げられた花火がまん丸でなければならないとはだれも思いません。
    風の吹きようで形が変わります。
    どのような形であれ、花火は瞬時に消えます。
    演奏は、そういうものだと思います。

    小川久男

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