久しぶりにモーツァルトのピアノ四重奏を弾いている。
今夜演奏するためのリハーサルなのだが、至福のとき。
モーツァルトは何が凄いのか、と最近親友のピアノ技師に聞かれた。
ピアノ技師だから音楽にとても近いが、音楽家とは少し違う視点からの発言が聞けるので
いつも彼と会話をするのはとても刺激になる。
おまけにガラス細工をしたり、詩を書いたり、蝋で絵を描いて賞を取ったり、
中々芸術的なピアノ技師さんなのである。
NY時代からのもう10何年来の親友の一人。
そのピアノ技師さんの「モーツァルトは何が凄いのか」。
確かに、古典派の時代にはまだ作曲家の個性よりも社会的な音楽の役割の方が重視された。
教会音楽にも、宮廷音楽にも、それぞれフォーマットのような物があって
だから、今は大方忘れ去られているモーツァルトと同時代の作曲家の曲は
皆モーツァルトっぽく聞こえる。
だからもっと後世の作曲家に比べて
「何がモーツァルトをモーツァルトたらしめるのか」と言う問いかけが
もう少し微妙になってくるのだ。
モーツァルトは何が凄いのか。
特定の曲をを分析して、同時代の他の作曲家の同類の曲と比較して
モーツァルトの天才を説明することも出来るのだが、
一言で言うと、モーツァルトの天才は
「一見完璧に自然に見せる中での微妙な創意」
と言えるのではないだろうか。
弾いていると本当に自分より大きな物の一部になれる感じがする。
バッハを弾いている時の感覚も同じ言葉で表現できるけれど、
バッハの時とはまた全然違う。
ああ、幸せ。