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- イギリス:来週月曜日からの規制緩和を発表
- アメリカの次に犠牲者の数が多い国
- ドイツ:規制緩和を徐々に進める意向を発表
私と野の君は、周りが呆れるほど仲が良い。約4年半一緒にいて喧嘩をしたことがない。でも今朝は珍しく意見の相違が並行した。
先週日本食スーパーで大量に必要品を買い込んだ。味噌、納豆、豆腐、こんにゃく、きな粉、青汁、などなど。そして昨日コストコに行って、これまた大量の缶詰や野菜や冷凍野菜、冷凍果物などを買い込んだ。二回の買い物の合計はざっと我々が超貧乏学生をしてた頃の毎月の家賃くらいである。
でも私はまだ足りないと思っている。パニックを感じている。例えば昨日のコストコにはバナナが無い、キウイが無い、ブルーベリーが無い、ヨーグルトが無い。いつも絶対あるはずの品物が無いのである。それにいつも買っている品物の多くがパッケージが変っている。要するに値段を買えずに量が減らしてあるのだ。今買わないと、いくらお金が在っても買えない日が来るかもしれない。
「昨日買えなかったものを早いうちに買って、貯蔵しておこうよ」という私に「でももう一杯買ったよ」と野の君が返した。野の君はめったに私が言うことに反論しない。
「これからどんどん値段が上がるし、第一品物が無くなるよ。今は買う時だよ。」と主張する私に「ご飯と納豆が在ればいい!」と野の君が頑張る。
「私は食べるものを食べないと生産的に生活ができない。お野菜もお肉も果物も食べたい!」「それに、もしかして本当に物が全く買えなくなったり、ものすごいインフレになったら缶詰とかは物々交換できるかもしれないよ・」
そうしたら野の君が笑ったのである!「そこまでにはならないと思うよ...」
私は憤慨してしまった。なんで分かってくれないんだ…精肉所が次々と閉鎖している。流通関係者に感染が広がり、ストライキの話しが出たりする。大量の牛乳や農作物が、流通手段がないためにに処分されて行っている。この状態が数か月は続く。そして失業者がどんどん増えている。大きな会社がどんどん倒産している。ヒューストン市は警察と消防士以外の行政職員を全て一時解雇して予算に当てる可能性を検討していると発表。
確かにマイクを買うお金がないと言っているのに、食べ物をそんなに買い込むのはおかしいと私も思う。でも私は本当に不安なのだ。
取り合えず、時間を置こう。走りに出かけて、そのまま今日は外で瞑想した。瞑想をすると脳みそが構造的に変わる。それはずっと知識としては知っていたけれど、自分でやり始めて、確かに違いを感じる。最終的に私が正しかったか、野の君が正しかったか、将来的には明らかになるけれど、今はとりあえずどうでも良い。買い物の必要も今日明日の問題ではない。野の君が笑いたくなるのも、これもまたそういう可能性を直視したくない生存本能かも知れない。
そういう朝を経て、一日練習とオンライン会議と勉強と収録とと、生産的に過ごして、このブログを書く時間になり、ニュースを一覧としてある記事に愕然。恥ずかしくなった。
Covid-19以降、今食べ物が十分に食べられていない12歳以下の子供が5人に1人という統計が出ていたのだ。これは2008年の大恐慌の時の3倍の数字らしい。NYタイムズの記事によると普通、家庭に食べ物が十分ない場合、親が自分の食べる量や回数を減らすので、子供に十分に食べるものが無いということは家族全員が食べられていないということと思って良いそうだ。
どう考えれば良いのか。どう行動すれば良いのか。自分に何ができるのか...?
お疲れ様です。
食糧難はコロナ禍もありますかが、飢饉に備えることも必要だと思います。
少子化の日本は食料不安があるものの、まだ、パニックにはなっていません。
我が家は、米は岩手県の義姉が30kg定期的に送ってくれます。
主食があることで生活にゆとりがあります。
小川久男
岩手のお米...美味しそうですね。
いつか、私の心配が杞憂だったと笑える日が来ることを願っています。
真希子