コロナ日記92:なぜ多忙?

今日はコロナニュースの箇条書きはお休みします。

昨日マイクなどの機材がやっと届き、それのセットアップに色々かかりきりになり。

これから集中して待ちに待った収録を始めるぞ!と気合を入れて散髪に出かけ。(第二波でまた閉店になるかもしれないし)

そうこうしている内に今日はなぜかゲスト出演したポッドキャストが2本同時に公開となりお礼やご挨拶や広報や...

練習も3時間。

明日は一か月前に亡くなった友人の追悼式。その為にもマイクのセットアップにアクセルを踏み込み、サウンドチェックをし、選曲をし、誰がどんなスピーチをしても、みんなが悲嘆しても、泣いても、故人の逸話などで和んでも、なんにでも対応できるように兎に角多くの曲を揃え。

そして打ち合わせの電話とメールが何本か。その延長で夜9時半に、英語の詩を二本、日本語訳して!と。

野の君がとっくにいびきを書いている中、秋の虫が外で鳴くのを聞きながら、窓から吹いてくる夜風を感じながら、聞いたこともない詩人の聞いた事もない詩を訳しながら、ほろりとしてしまう。友人の死。Covid-19で浮彫になる将来の不透明さと世の中の不平等さ。そんなものを全て含蓄しているような詩。

IF WE’RE ALIVE 『生きていれば』 詩人Abdukérim Dawut Semender 英訳 Joshua L. Freeman

Perhaps おそらく

if we’re alive 生きていれば

tomorrow or the next day 明日か明後日

somewhere in the world 世界のどこかで

we’ll meet each other; 我々は出会う

on the seashore or the road 海岸でか道端でか

we might even walk holding hands; 手なんかつないで歩いたりするかも

and perhaps そしておそらく

we’ll silently celebrate 静かにお互いの

our birthdays 誕生日なんかを祝う

that come one after the other 誕生日が近かったりして

that we’ve never marked before; それまでは知り得なかったのに。

Perhaps おそらく

if we’re alive 生きていれば

those days we’ve waited breathlessly for ずっと固唾をのんで待っていた日

that never came, that tarried for centuries, 何世紀も来なかった、永遠に来ないかとに思えた日が

will come up to greet us; あっけらかんと来たりする。

Perhaps おそらく

if we’re alive 生きていれば

the things we thought impossible 不可能だと思えたことが

that we never believed 信じられなかったことが

and couldn’t imagine 想像もできなかったことが

will with the passage of time 時間と共に

come to be 実現したりする

while 同時に

days as hard as we expected 思ってた通りの苦労に

make us sweat 汗をかかされたり

or never seek us out again… 見放されたり...

perhaps おそらく

if we’re alive 生きていれば

we’ll even reach our hopes 希望なんかに満ちたりして

and even have kids 子どもなんかつくったり

we’ll laugh, we’ll weep, 笑ったり、泣いたり

we’ll quarrel, we’ll make up, 喧嘩したり、仲直りしたり

we’ll travel, 旅したり

write a book, 本を書いたり

do as we choose 思うままに

if only we have time… 時間の許す限り...

as time passes 時間は流れる

perhaps we’ll even see grandkids’ faces おそらく孫の顔なんかみて

and tell them stories おとぎ話なんか聞かせて

if we’re alive… 生きていれば...

sitting, paging through the past’s thick album 座って昔のアルバムのぺージをめくって

we’ll sink into memories, 思い出にひたって 

perhaps おそらく

just tomorrow one of us will die 明日には我々のどちらかが死ぬ

and I or you そして自分か君が

will swallow grief 悲嘆を飲み込み

and pass our bitter life, 苦い生涯を送る

perhaps おそらく

with the passage of time 時と共に

this wound too will heal その傷も癒えるかも

or not 癒えないかも

we’ll shed tears 大した想いもない物にも

for the things we never thought much of, 涙を流したり

perhaps おそらく

humanity’s great progenitor 人類の偉大なる創造者が

wouldn’t bring such days to us; そんな日を許すはずがない

perhaps おそらく

however we meet 我々がどう出会うにしろ

we’ll part the same way, 我々は同じように分かれる

perhaps おそらく

you and I 君と私は

for thinking too much 考えすぎて

for petty things つまらないことで

for … reasons 理由はなんにしろ

will turn against each other, いがみ合う

I don’t know 分からない

what will arrive tomorrow in the world; 明日の世界を何が待ち受けているか

I don’t know 分からない

when death will come; いつ死が訪れるか

I don’t know 分からない

when our thoughts will become facts; 考えがいつ事実になるのか

I don’t know… 分からない

Perhaps おそらく

if we’re alive 生きていれば

it won’t be too late 遅すぎることはない

for anything なんにせよ

if we’re alive 生きていれば

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