「作曲すれば?」…コロナで演奏会が全て無期延期になった時、複数の人にそう進言された。客観的にはその論理は分かったし、皆が音楽家としての私の保身を考えてくれているのも嬉しかった。実際にアメリカ国内でコロナでアート関連の失業者が63%に上っているというアンケート調査結果もある。作曲家真希子…!? 自分でもそれなりに考えて五線譜にオタマジャクシを並べて見たりもした。でも何となくしっくりこないまま練習や執筆のデフォルトにいつも戻ってしまう。
そんな時、毎晩就寝前に一つづつ観る朝の連ドラで、胸を揺さぶられる演技に出会って開眼した。「カーネーション」の主人公の幼馴染、人が良いけど気弱で頼りがいのない安岡勘助役の尾上寛之さん。招集され退役して帰って来た時の演技。

汗と涙と鼻水とよだれが全て混ざった溶けたような顔でもう何時間も身動きせずに一人で茫然自失と座っていた、ということが一瞬で分かる。この体勢を創り上げるために、尾上さんはどれだけ第二次世界大戦の訓練や戦地やPTSDについて調べたのだろう。そしてこの場面を撮影するためにどうやって気持ちに入り込んで、どれだけの時間を要してこの収録された一瞬に至ったのだろう。この人は過去の傷痍軍人や戦死したりPTSDに一生を脅かされた人々と、この役を通じて繋がったんだ、と思った。
この尾上さんに「戯曲を書け」と言う人はいないと思う。台本を書くためには、物語に対するある程度の距離感が必要だ。全体像を常に念頭にそれぞれの場面のバランスを取らなければいけない。一方役者は、全体像も客観性も放棄して役に入り込む捨て身の覚悟が必要だ。
そして私は、この尾上さんが役者であるのと同じように、自分は演奏者なのだと思う。晩年のシューベルトの作品を弾くとき、私は死に至る過程への不安と同時に、死後の解放に希望の様なものを見出す。そしてそれはシューベルト特有の表現をもってしても、万人が共感できる気持ちだから何世代もの世界中の人々が揺さぶられ続ける音楽なのだと思う。晩年のベートーヴェンを弾くときは人類愛、そしてバッハを弾くときは神や万理への畏怖。
人と人との境を取り除き、共鳴・共感・共存を呼び起こす事が究極の芸術だとしたら、戯曲を書くのも演じるのも、作曲するのも奏でるのも、根本的に違いはない。でも視点と距離感に大きな違いがある。私はのめり込む没頭タイプなので、やはり作曲家ではなく奏者なのだ。執筆はするけれど、それは言葉という媒体に対する不信感がいつまでも言葉での表現に距離感を持たせるから。
3歳の時から何十年も練習を重ねてきて、世界各地で演奏経験も積んで来たけれど、このコロナ禍で最後の生演奏からもうすぐ一年。博士号まで取ったけれどピアニストとしての収入はほぼ皆無。自分の音楽人生の価値を疑って苦しくなったりもする。でも、ある日ふとショパンの練習曲をさらってみて、その美しさに息をのんだ。私の苦悩がそのまま音符になっている気がして、パッセージを何度も何度も繰り返した。
…そう言えば…「Chopin to Japan」を収録した時、録音技師のジョーが「君のショパンは本当に良いね。まるで黄金時代のピアニストの様だ。もしショパンの練習曲のアルバムをリリースする気があるのなら、いつでも無料で録音するよ。」と言ってくれたのを思い出した。もう6年も前の事だ。「あの時のあの言葉、覚えてる?...今でもその気ある?」「ああ、勿論覚えている。君さえ良ければコロナが終わったらすぐNYにおいで。是非一緒にやろう。」私のピアニズムを本気で買ってくれている人が、NYに1人いる。
もう少し、練習を続けてみよう。


Leave a Reply