コロナ日記125:作曲家マキコ❕❓

今日はニュースの箇条書きはお休みします。

「Makikoは作曲しないの?」「まきちゃんはどんな曲を書くの?」「オリジナル、聴かせてよ」

今までにもたま~にこういう質問やリクエストを受けた。でも最近、コロナからこっち、(何かの啓示?)と思うくらいの頻度でオリジナルの作曲を即されている。...これは受けて立つべき挑戦なのか?

自分がいなければ無かったものを生み出すのは、楽しい。それは自分の証だ。料理だって、このブログだって、言ってしまえば排泄物だってそうだ...(だから幼児はトイレネタが好きなのかな?そう言えば、フロイトはそんなこと言っていた...かな?)演奏だってそうだ。自分が弾かなければ無い音を、時間の中に紡ぎ出していく...

けれど、その奏でる音楽が他の人の作曲を忠実に再現している場合、どこまでが「自分」の「創造物」なのか、疑問視される。例えばマキコが弾くベートーヴェンは、AさんやBさんの弾く「ベートーヴェン」とは違うのか。

私に言わせると「勿論違う!」。演劇ならローレンス・オリヴィエとメル・ギブソンと仲代達也のハムレットはそれぞれ全部違うと分かるのに、どうしてマキコとAさんとBさんのベートーヴェンが同じなのか!息遣いが違う。姿勢が違う。強調する場が、度合いが違う。音色も歌いまわしもタイミングも必然的に全部違う!

「はっきり言って違い、聴き分けられないよ。(まきさんは上手い!)それだけだよ。もう弾けるんだからいいじゃん。オリジナルが聴きたい。」

...と敢えてはっきりと言ってくれたのは、とある音楽の特殊業界で一目置かれているSさん。今はどんなジャンルでも手掛けているが元々はクラシック。そのSさんに「聴き分けられない」と言われたのは、ちょっとショックだった。しかもSさん、多大な時間を費やして私のアルバムを何枚も丁寧に聴いてくださった後の発言なのである。私を挑発するために言ったのだと思う。

「我々くらいの年代の生き方は洒脱の域に達せられるか達せられないかの分かれ道だと思うよ。普段分けてる音楽と言葉を一緒にして見たら、自分の考え方のパターンから抜け出して、素敵な世界観に達せられるんじゃない?」

...と言ったのは、私がその鋭い人間観察力にちょっとした畏怖すら感じているKさん。音楽愛好家で、絵心もあり、料理の道にも真剣に向き合っているが、本職は全く別。Kさんは私の「どうやればもっと世のため人のためになる活動ができるのか」という問いかけをこちらがたじろぐ程の誠意で受け止めて一緒に考えてくださり、なぜか会話の勢いで私が10代の頃書き溜めた詩を全て読んでくださり、それに曲をつけたら?と進言してくださったのである。

西洋クラシックでは19世紀以降、作曲と演奏と鑑賞の完全な分業が確立している。

SさんもKさんもここの所は重々承知だと思う。その上で敢えて、ピアニストの私に作曲を提言してくれているのだと思う。でも私は博士論文のリサーチの過程でなぜこの分業が始まったのか、その背景にある人種差別や女性蔑視に関するほとんど全く知られていない歴史的背景をも専門的に知っているので、SさんやKさんの提言に、実はかなり動揺している。

リサーチの過程で私が得たこの歴史的背景への見解は決して一般知識ではない。むしろ、この観点を保持している人は音楽学者の中でも世界に有数だと思う。別に自慢しているわけではなく、ここの所は余り研究されていないのです。でも、あまり知られていない事なので、記録のため、そして読者に私の動揺をご理解いただくために、長くなりますが、書きます。

音楽の分業の背景は、勿論白人男性優勢主義だけではなく、色々な社会的・文化的要素が絡まり合っている。産業革命とそれによる都市化、貴族社会崩壊とその結果の社会経済構造や教育制度・理論の変化、キリスト教の衰退などの本当に話し始めたらきりがない複雑な背景がある。ちなみに分業が進んだのは音楽だけではなく、全ての分野です。しかし、音楽で作曲家と奏者と鑑賞者の分業が進んだ背景にはもう一つ、「純粋芸術(ファイン・アーツ)」の概念と、美学が哲学の分野として確立したことが在ります。

「ファイン・アーツ(日本語では『純粋芸術』)」は応用芸術や大衆芸術に対して、「美」の概念の追求するためのみを目的とした、実用的な用途や娯楽性をもたないもの、です。18世紀半ば「ファイン・アーツ」の確立時に、詩・絵画・彫刻・建築と共に音楽(クラシック、それも器楽曲に限るーいわゆる「絶対音楽」と呼ばれるもの。例えば交響曲やソナタ、など)がここに加えられたことが、作曲と演奏の分業に象徴的な意味が加わった過程を説明します。

それまで音楽は、演奏をされた時点で初めて存在するもの、とされていました。そういう意味で、奏者の方が作曲家よりも高い位置に置かれていたと言っても過言ではありません。ところがファイン・アーツの一分野となった段階で音楽は絵や彫刻や建築に匹敵する、手に取って鑑賞できる「作品」としての固体が必要となりました。ここで楽譜の重要性が急増し、作曲家が神格化され、奏者は聖なる楽譜を再現する祭司と成り下がるわけです。そして同時に、神格化された白人男性によって書かれた聖なる楽譜を忠実に再現する「お筆先」ならば、女性や子供や劣等人種でもなれる、ということで女流ピアニストや神童が多く市場に登場します。

国によって違うのですが、20世紀初頭から半ばまで、女性は作曲・高等楽理・指揮法などを勉強する事を禁じられていました。更に、ベートーヴェンなどの崇高な音楽は女性には理解する事は不可能だと考えられていました。しかし「良妻賢母」はピアノを弾くことが良しとされていた。理解は無理でも再生はできる、音楽再生機だったんです。今でも作曲や指揮に極端に女性が少ないのは、こういう歴史的背景の名残です。ピアノ専科は学部生は圧倒的に女性が多いですが、博士課程となると半々になり、教授となるとほぼ全員白人男性です。

人種マイノリティーは西洋クラシックを勉強する事で自分の社会的地位を向上しようと、歴史上いつも務めてきました。昔はユダヤ人、今は東洋人。さらに今日、中近東や南米などでも学生オーケストラの活動が盛んです。しかし、本当の所を言えば、奏者は伝統的には偉大なる西洋音楽の通過口に過ぎないのです。

こんな事、普通の音楽教育では教わりません。教授だって99.9%の人が気付いてすらいない。私は当時の文献などを読み、また音楽史以外の分野の専門研究などの総体でこういう見解を確立しました。そして、愕然としました。

東洋人女性ピアニストである自分って何なんだ…

これも在って私は脳神経科学でデータ化が盛んになってきている「音楽の治癒効果」に集中する事になる訳ですが…

...こ、この私に作曲をしろ、と?

私は反骨精神は人一倍旺盛です。だから、今私がここで作曲をするのは理に叶っている。多分富にも名声にもならない。でもそんなもの、どうせない。そして今、時間はある。

多分ここまでかき乱されるのは、やれ、というサインなのだと思う。しかし物凄い葛藤だ。できるかできないかすら全く分からない。しかし、出来ないわけがない。音楽楽理も歴史も脳神経科学もサウンドマーケティングすら、一通り齧っている。

ああ、しかし...きっとSさんやKさんが私に書かせたいのはクラシックじゃなくて多分「ポップス系」とか呼ばれるもので、私はそういう音楽は一般人が驚愕するくらい無知。そして17歳の時に吐き出すように詩を書いた、そういう突き動かされるものが今でもあるのか...?この葛藤そのものが動力にはなる気もするけど...

ちなみに、Kさんに曲を付けたら?と言われた詩集の中から、自選をいくつか下に書きます。

外は春である
綿雲が温かにゆっくり流れ
新芽がポクポク音たてながら
木々をそっといろどり始める
風はやわらかくほおをなで
冬をサラサラ溶かして行く
外は春である
人々はウキウキと散歩を始め
鳥のさえずりに耳をすます
花びらに触れその香りに笑む
風に髪をなびかせ
小声で歌を歌う
外は春である
体の中をやさしい風が吹き抜ける
外は春である
夜中、目が覚める
突然、闇に気づく
急に、泣きたくなる
だから、息をひそめて
自分がいないフリをする
ひざをかかえて布団をかぶって
まだ生まれていないフリをする
降りしきる冷たい春雨が、音を吸い取ってしまいました

私はバスを待っています

遠くに見える雑木林が雨にぐしょ濡れ、夕闇に溶け込んでいきます
その一瞬一瞬が
絵です
道路は濡れてつるつる光り街の光を反射します
(街灯、店灯、信号灯、それから車のヘッドライト)
雨粒は道路にくだけ、咲くようにはね返り、そして散り
木の枝の先々にはしたたる水滴のしずくがつぼみ

私のバスは中々来ません

この詩の良し悪しすら、自分には判断が付かない。これらの詩は私にとっては人生のスナップショットの様なもので、今でもありありとこの詩を書いた当時の気持ちとか、状況とかを思い出せる。でも個人的な思い出が在るので余計、客観的にこれらの詩に価値が在るのかどうかが全く分からない。詩を読んでも音楽は聞こえない。

しかし、このプロセスで一つ、語彙が増えた。

洒脱。

明鏡止水と同じくらい、カッコイイ。そして洒脱と明鏡止水には共通項がある。

明鏡止水を私に贈ってくれたMさんと、洒脱を提言してくれたKさん。二人に見えている私は似ているのだろうか?

3 thoughts on “コロナ日記125:作曲家マキコ❕❓”

  1. 小川 久男

    お疲れ様です。

    読み応えのある濃い内容でした。
    頭脳明晰な芸術家の本領発揮でした。
    知識の複層は、寄せ来る波のようでした。

    小川 久男

  2. Pingback: 演奏家の誇り - "Dr. Pianist" 平田真希子 DMA

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