明鏡日記㊱:思い出ほろほろの父の日。

2001年1月、私はハンガリアでのヨーロッパデビューの演奏途中で暗譜忘れをし、ショパンの協奏曲2番の途中で止まってしまいました。執筆中の本はこのデビューでの失敗を機に始まった、舞台恐怖症との格闘手記です。このフォルダーは2002年の9月、10日間のツアーに持って行ったものです。毎晩演奏直前は(一気に殺してもらえたらどんなに楽か)と思う恐怖心。子供時代の家族との写真を眺めては慰められ、勇気を出していました。

ネズミは命の危険を察知したり、急激なストレスがかかると脱糞をします。糞の数と脱糞の速度(毎秒いくつ)が、ネズミを使った恐怖心や恐怖症の研究の際のバロメーターで使われるほどです。恐怖心というのは、命の危険を察知(あるいは誤認)した体が生存をかけて生態を急変させることです。消化器官はとりあえず生存には必要ないので、シャットダウンします。中にあるものを排除する事で、より逃げたり戦ったりしやすい状態にするのです。

と言う訳で、人間も過度な恐怖がかかると失禁します。第二次世界大戦中、無記名で行われた兵隊のアンケート結果によると、戦闘中に尿失禁の経験があるの解答が25%、そして便失禁が18%となっています。が、実際にはその数はより多いはずだ、というのが戦場に於ける恐怖心の研究で有名なデーブ・グロスマンの見解です。(このアンケート結果を知ったある第二次世界大戦の将校は「残りは皆嘘つきだ」と言ったそうです。)

実際に舞台恐怖症と格闘している時は私は上の様な研究について全く知りませんでしたが、舞台裏で毎晩、演奏前に下痢をしていました。そういう物だと思っていました。その時は「死ぬほど怖い」というのが言葉の綾ではない、という事すら知らなかった。自分が格闘している相手がいかに圧倒的かという認識があれば、舞台恐怖症に対する羞恥心はもう少し薄かったのでは、と思います。もう少し周りに助けを求めるとか、より良い対処法が在ったと思います。そんな思いもあって手記を書いています。私の体験が少しでも他の人の役に立てば、という強い希望があります。

でもじゃあ、その15年間は無駄だったのかと聞かれると、私は実際には物凄く貴重な体験をさせて頂いたと思って感謝しています。長年かかりましたが(完全克服までザっと15年間)、結局舞台恐怖症が何かを理解し、克服する過程で得たものは大きかったという自負があるからです。その過程で得たものをシェアしたいーそれも手記を書きたい理由です。

ツアーの途中、フォルダーに貼られたこの6枚の写真に何度見入ったことか。私はこれらの写真がどういう経緯で撮られたか、全部言えるつもりです。例えば、フォルダーの左上の写真は、私が生まれて初めてシャッターを切って撮った写真です。母が抱いている妹が新生児なので、私は3歳。当時の私にカメラはかなり重かったです。でもどうしても撮って見たかった。父が何度も「みんなのお顔が線の中に入るようにしてからボタンを押すんだよ」と念を押しました。私は何度も「入ってる、確かに入っている」とうん、うんとうなずきました。確かにカメラからのぞいたら皆のお顔は見えたのですが、父の言う「線の中」というのが、カメラからのぞいた時に見える黄色の四角形の中だという事には、その時は気づいていませんでした。だからこの写真では父が指している母の頭のてっぺんも、その父の頭のてっぺんもちょん切れてしまっています。

そういうことを思い出していると、頭の中はタイムスリップします。どんな恐怖心や感じていても、ちょっとだけ違う時空に行けるのです。そしてどんな羞恥心を感じていても、自分に対する優しさを見つけられます。思い出というのは、貯金や保険の様なものだと思います。将来にあるであろう困難に対する備えです。希望の種、情の井戸です。舞台恐怖症と格闘して得た私の信念の一つです。

6月20日は父の日。私は父が大好きです。喜べる事を思い切り喜ぶ。祝えることを思い切り祝う。笑えることは思い切り笑う。これも習得した事の一つです。

それから、最後になりましたが、6月19日はジューンティーンス、奴隷解放記念日です。Juneteenthの歴史的重要性については去年ブログに書いたので今年は省略しますが、バイデン政権が6月17日にこの日を連邦祝日に制定。連邦機関は振替休日で急に6月18日がお休みになりました。郵便局などが閉まってしまいびっくりしましたが、でも私も、私の周りの人々も、皆嬉しそうです。

2 thoughts on “明鏡日記㊱:思い出ほろほろの父の日。”

  1. お疲れ様です。

    恐怖心からの脱糞。
    徳川家康公は三方ヶ原の戦いで武田軍に敗れ
    居城の浜松城に逃げ帰ったとき脱糞したそうです。その時の表情を絵師に描かせ終生の戒めとしたそうです。
    私は高校生時、セミプロの長距離ランナーで
    特待生なので結果が全てでした。
    スタート前の緊張感はほぼ同じだと思います。
    しかし、ありのままを正直に吐露される潔さは清々しくもあります。

    小川久男

    1. 余りの赤裸々は夢を奪うという意見も承知の上です。
      でもやはりお互い苦しくなるほどの建て前のがんじがらめは非生産的・非人間的だという立場で
      天才バカボンと共鳴します。
      真希子

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