私はこのブログも含め、公開でする発信は全てプロ活動だと思ってやっています。ご縁が在った方々には、私の発信する内容で元気や勇気やちょっとした気づきや新しい観点など、何かを得てもらいたい。だから主に良い事のみを書いています。
でも、これには副作用がある事も承知しています。私だけではなくSNSなどの副作用の社会問題としてメディアや学会の研究などでも取り上げられていますよね。SNSなどで周りの人間がいつも調子が良い様に見えると、自分の現実とのギャップがまるで自分の欠陥を反映しているかのように思えてしまい、自分や自分の人生を卑下してしまう結果を一般的に生み出してしまうということです。
だから敢えて今日は書きます。私は凄く落ち込む時があります。特にコロナ禍では、(もう自分はこのまま廃人になるのではないか)と思った事もありました。コロナももう2年目にして、コロナ禍の自分のアップダウンも段々慣れて色々学びました。今日はその事について少し書きます。
コロナ禍になって一番大変だったのは本番や旅行や締め切りがめっきり減った中で、自分のモチベーションを落とさずに健康的・生産的に過ごす事でした。パンデミックになってすぐに(これはやばい!)と思って、起きてすぐのルチーンを自分に課しました。①外を歩いたり走ったりすること。②ヨガなどの軽い運動。③15分ほどの瞑想をする事。④ピアノでウォームアップとバッハの平均律を最低3曲弾くこと。でも本当に落ち込んだ時は、これすら放棄してしまいます。(何のために...)という自分のネガティブトークから逃げきれず、兎に角ちょっと歩いたりストレッチしたりすることすら面倒に感じたり、苦しくなったり、本当にやばい時は肉体的な痛みとして感じてしまったりするのです。
同居人がいること。そしてその同居人である野の君が、そういう私をすごく大きな目で温かく優しく見守ってサポートをしてくれたことは計り知れない救いだった。それからやはり音楽の効果というのも凄くあったと思います。ピアノを弾くことで慰められたり勇気づけられたリ快感を感じたりすることも多かった。でも同時に音楽が生業で無かったら、コロナ禍でももう少し世の中に関わりを持ち続け、ここまで自発性のみに頼らなくても良かったのではないかと、自分の音楽の道の選択を恨んだり、他の道を考えたりしたことも一度や二度ではありません。特にコロナ禍になってから同業者の何人もが消防士や救急隊員やグラフィックデザイナーなど別のキャリアに移行していきました。そんな中毎日ピアノを弾くのは後ろめたくもあり、そして(本当に自分はこれで良いのか)という懐疑心も生まれました。更に、収入源を断たれた不安から精神異常をきたした同僚の風の噂も伝わって来たりして、そういう時は既婚の自分の幸運に罪悪感を感じたりもしました。
昨日の様な30分の演目は、コロナ前だったらちょっとしたアルバイト程度の小さなお仕事だったのです。それなのに心拍数が早まるくらい、コロナ禍で演奏の場数が減りました。コロナ前の次から次へと演奏をこなしている時のバランス感覚が亡くなってしまったのです。一つ一つの演奏に向けてコンディションを整え、そしてそれぞれの本番の後の高揚感から急に目標を見失った喪失感へと叩き落されます。でも、それも段々分かってきた昨日は、普段よりも上手くやれたと思います。
昨日の午前中、会場入りする前に「収録が終わったらすること」のリストを作りました。これは車検や買い物などの日常的な用事から、NPO設立に関する調べものなどの大きなプロジェクトの目標に向けたステップ、更に次に練習するべき演目も含みます。これをやったのは本当に良かった。今朝は起きて何をするべきかが手書きのリストになっていて、何も考えずに自動的に作業に入る事が出来ました。
もう一つ、幸運な事に今の私には長期的に楽しみにしている本番があります。5月にロサンジェルスのダウンタウンにあるThayer Hallという演奏会場で、トッホのお孫さんのナレーション付きで、トッホの曲のリサイタルをする事が決まっています。まだコロナで色々不透明要素が多い中準備が進められていませんが、この演目は出来れば他の会場や都市でも発表したいとお孫さんと話し合っている企画です。トッホの曲は今譜読み中ですが、やはり良い作曲家です。これからの練習が楽しみです。
今日は物凄い快晴でした!色々な鳥の鳴き声が近所に鳴り響き、日中は20度まで気温が上がる1月の小春日和でした。裏庭で野の君とお仕事をしていたら、隣のおじさんが大きな声で鼻歌を歌っているのが聴こえてきて、二人で声を立てないように笑いました。
お疲れ様です。
ドクター・ピアニストの苦悶は、使命です。
使命であれば、艱難辛苦は、すべて想定の範囲です。
衆生救済の使命であれば、やがて至福に至ります。
小川久男