マイスタージンガー(レヴァイン指揮)

今日のビッグ・イベントは二つ在って、
一つは研究生の学費を寄付してくれるスポンサーたちと研究生の昼食会、
もう一つは夜、研究生たちのオーケストラとボストン交響楽団付きのコーラス、
そして世界的に有名なソロの歌手たちによる、
マイスタージンガー3幕目(コンサート・バージョン)の演奏会があったことです。
昼食会は、芝生の上に建てられた巨大なテントの中で行われました。
研究生たちの2か月の滞在費、教授費、などでかかるお金は大体一人、2万ドルだそうです。
研究生たちの出演する演奏会のティケットの売り上げなども、
タングルウッドの運営にもちろん当てられますが、
それだけでは足りず、個人や財団、企業などが寄付をしてこの音楽祭の運営を可能にしています。
寄付は、生徒一人をスポンサーする、と言う形で行われ、
それぞれの生徒には「あなたのあしながおじさんは、何々ご夫妻ですよ」
とか、「何々財団ですよ」とか知らされて、
礼状を書くことが義務付けられます。
そして、スポンサーの中で出席できる人は今日の昼食会に来て、
自分のお金が誰の為の、どういう投資になっているか、確認することができるわけです。
私のスポンサーはフロリダ州在住で、今日の昼食会は欠席でしたが、
私の友達のソプラノのスポンサーが、
なんと私が数年前サロン・コンサートをさせていただいた豪邸の持ち主で、
思わぬ再開にお互いびっくり、そしてまた是非、と招待されました。
こういうお金持ちと芸術の関係、と言うのはずっと昔からのことですし、
私はこう言う会とか、対面とかには慣れているので、
(美味しい昼食が食べれて嬉しい)位にしか思いませんでしたが、
他の、特にもっと若い研究生たちには緊張する場面だったようです。
そして、ある厳しい現実を見せつけられて、いろいろ考えるきっかけになったようです。
先週メンデルスゾーンの三重奏を一緒に演奏したヴァイオリニストは、
とっても才能があると思うし、人間的にもずいぶん熟していると思うけど、
まだ20歳で、こういうことは経験がなかったようで、
「お金持ちを喜ばせなければキャリアが上手く行かないような、
そんなのが現実だったら、音楽を愛する気持ちを最終的に汚されるんでは、と心配」
と、なんだかびっくりするほど一生懸命あとで話しかけてきました。
こう言うとき、私は後輩たちに、なんと言えば良いのでしょう。
「とりあえず、学校にいる間はそういう現実からは守られているわけだし、
君はきっと素晴らしい先生になるから、そしたら教授職をゲットして、
ずっと学校にいることになるかも知れないし・・・」
などと、言ったのですが、それで良かったのでしょうか。
悩みます。
夜の演奏会は素晴らしかった。
一幕だけでも2時間半もかかるのですが、
皆集中途切れることなく、歌手に合わせて自由自在に音楽が創り上げられていきました。
単純明快のストーリー展開と音楽で、オケの研究生と共に気分が高揚して、
結局終演は11時を回ったのですが、お客さんも立ちっぱなしで拍手がずっと止みませんでした。
でも、レヴァインはユダヤ人なのですが、ワーグナーをやることに抵抗ないのでしょうか?
マイスタージンガーの3幕目の最後にも、フィナーレで
「こうして歌い続けて、世界で最優秀なドイツ文化を純粋に保ち、永遠に残そう!」
みたいな歌詞があります。
ワーグナーはナチスがプロパギャンダに使ったと言う過去や、
ワーグナー自身もユダヤ人を差別するような人だったことなどから、
また今あげた例の様に、排他的にドイツ賛歌みたいな要素があることから、
イスラエルでは上演禁止になっています。
イスラエル人のバレンボエムは中近東とイスラエルの子供たちを混ぜたオーケストラを作り、
それを自ら指揮して世界ツアーをするなど、
政治的な活動を意欲的に行っている指揮者・ピアニストですが、
数年前に、イスラエルで振った演奏会のアンコールに
トリスタンの序曲を演奏して、大変な物議をかもしました。
良い音楽は、歴史や、単純な善し悪しの基準を超越する、と言う考え方は
概念的には理解できますが、悩みます。

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