今日の本番を振り返って

今日の演奏会場は前もって「非常に残響が多い」と色々な友達から聞いていたので、気持ちの準備は出来ていた。
でも、弾き始めて、ペダルを気を付けて加減して、出る音に集中して弾いていたら段々楽しくなってきた。
「その楽器、その部屋の音響と言うのは共演者と考えて、その性格やくせと『共演』することを楽しもう」と云ったのは私の友達のライアンだけど、今日はばっちりそれが出来た感じ。
しばらく新しい、「音響設計」がばっちりなされたホールばかりで弾いていた。クリーンで、完璧でかえって気が飲まれてしまう感もある。今日は久しぶりに古い、計算されて設計された訳では無いホールで弾いて、ちょっとゲーム見たいで楽しかった。残響が多い、と言うことは残響をコントロールできればピアノと言う打楽器的な、発音だけしかコントロール出来ない楽器でもかなり「歌う」ことができる、と言うことだ。
こういうのも悪く無いなあ、と思った。

2 thoughts on “今日の本番を振り返って”

  1. 洋琴の獨奏でも管弦楽合奏でも、聴衆への音樂の傳達という點で非常に繊細な問題ですよね。 過度の残響は、雰圍氣は出すかもしれませんが、傳達の點では必ずしも「良し」とはいえません。 御記事にて、演奏者の工夫や感覺處理技術のことなど、あらためて勉強になりました。 ありがとうございます。

  2. >enesco-bachさん
    コメント、ありがとうございます。私もまだまだ試行錯誤ばかりですが、でもこの頃自分のコントロールが出来ない要素と言うのを楽しい挑戦、と感じる心の余裕が出来てきました。ピアノの場合、そこにある楽器で調理するしかありませんから。。。
    でも、もう一つ昨日感じたのは「音響設計」と言うのが科学的に計算・デザインされるようになり、全てのホールの音響が画一的になると、つまらないなあ、と言うことです。このごろヤマハがマイクを天井に埋め込んで「どんなスペースでもコンサートホールの残響」をスピーカーで流す、と言うのを売り出しています。「カーネギーホールの音響」とか「どこそこホールの音響」とか、プログラムされて選べるようになっているのです。面白いアイディアだし、理屈にはかなっているのだけれど、なんだか不自然な、ちょっぴり悲しい気がします。
    真希子

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