先週木曜日の午後。夕刻に受付開始のルネッサンス・ウィークエンドにそろそろ出向こうかと荷造りをしていた私に携帯メッセージ。
学部時代お世話になった先輩から「モーツァルトの協奏曲20番、大昔弾いてたよね。今週末弾ける?」
「えっと...それは学生さんの為にオケパートのピアノ編曲を弾いて差し上げるということかな?それとも独奏パートを弾くということ?オケと一緒に?」
先輩からの素早い返答。「オケと独奏」...にわかに動悸が激しくなる。
オケをバックに協奏曲を弾くのは久しぶり。モーツァルトの20番なら、ある時期東欧のオケとのツアーで毎晩弾いた経験もある...弾きたい!
RWを抜け出して演奏する事は可能だろうか…?ああ、でもリハーサルがある。自分のパートの練習も何時間も~いやいや、少なくとも十数時間、しなければいけない。その上RWでの私の登板は毎日ある。両立は無理だ。どっちを取るのか...
オケとの共演の誘惑は甘かったけれど、結局あまり悩まなかった。モーツァルトの20番を弾ける・弾きたいピアニストは沢山居る。でも音楽の効用を語れる音楽家は少なく、さらに影響力を持つ人々に訴える好機にたまたま恵まれている面の皮のぶ厚い音楽家はもっと少ない。
後悔は全くない。あれで良かった。でも5日間のRWを経て、私は今練習熱に浮かれている。私の強みは演奏が出来る事だ。私の主張は、弾いて見せられることで説得力を増す。そして私はやっぱり演奏が好きなのだ。演奏に抱く情熱が私の活力。脳神経科学の研究や音楽による環境運動やスタンフォードでの講師活動で、演奏以外にかける時間も得る収入も比率が増えてきたけれど、私はやっぱり根っからピアニスト。毎日の練習と定期的な演奏で成長の糧と滋養を得ている。
そしてピアニスト魂を維持する為には、常に新しい挑戦が必要だ。新曲・難曲で自分の限界に挑戦し続けなくては。棚ぼた的な演奏会の話しに挑戦を求めてはいけない。自分で意欲的に新しい演奏企画や新曲の開拓をしなくては。
振り返ると、あの一瞬の動悸は戒めだったのかもしれない。RWで舌先三寸で拍手喝采を頂いた事に気を良くしてはいけない。スピーチの受けのみでは、風潮や未来は変えられない。もっと地道に。基本に戻って内省と野心を見据える為に、私には練習と演奏が必要だ。
お疲れ様です。
枯淡の魅力は、独立自尊。
わが道に障りなし。
目指すは、鍵盤の賢聖とお見受けしました。
小川久男