春先から公共図書館との契約でレクチャーシリーズを提供している。支部によっては電子ピアノだったり、グランドがあったり...臨機応変に電子ピアノの場合は説明の補助に音を出し、簡単な短い曲や曲の抜粋を弾く程度。グランドの時は講義内容に沿った曲を披露したりもする。お客様も一番少ない時は10名に満たない時もあったし、多い時には立ち見が壁に引っ付く状態で60名とか入る。非常に貧しい地域も、非常に豊かな地域もある。CDがバンバン売れる時もあるし、帰ってみるとインスタグラムのフォロワーがバッと増えている時もある。「自分は90歳を超しています」と自己紹介してくれる方もあられるし、昨日は2年生(8歳)の男の子がお父さんに連れられて来てくれた。
昨日の支部は運転して一時間弱。「天上の音楽:聞こえない音楽」と言う題目で電子ピアノとパワポでのプレゼン。
途中で音楽が人間の生態に及ぼす影響などの言及でセラピー効果なども説明中に、眼鏡を取って泣き出した年輩の女性が居た。本人がうずくまって顔を隠したので取り合えず見て見ぬふりをしたが、終了後彼女が最近弟さんを亡くされたこと、音楽の治癒効果に感極まってしまった事などをお話ししてくださった。「そうだったんですか…涙されているのは気が付きましたが…」と返したら、隣にいた彼女の友達が「私だって泣きましたよ!」と唇をとんがらかす感じで訴えてきた。なんだか幼女の様で愛らしくて、ちょっと笑ってしまった。嬉しかった。
昨日、目覚めがけに夢見心地に突然「余命が後一年だったら...」と思い始めた。そしたら思いがけないことに、ものすごい解放感を感じる自分が居たのである。今実は執筆中の本で「自分の事を書いたら名誉棄損で訴える」と言ってきている重要人物がいる。余命一年ならそんなことを心配せずに何でも書ける。しかも絶筆のPR効果でもっとたくさんの人に読んでもらえるのでは...と思ったのである。そして余命一年なら人生の優先順位が否応なしにはっきりしてくる。素晴らしい!色々な悩みが一挙に解決!
今朝は起き掛けの夢でスーツケース一杯の現金をもらった。ここでもまたお金の心配が無かったら執筆と好きな曲の練習に集中できる...と人生の優先順位の明確化に頭が行った。
明日は誕生日。人生の節目。色々考えています。
お疲れ様です。
なんで疲れるのかと言えば、生きる人は時々刻々空気を吸ってはいているからです。
人の死は、宇宙から肉体を借りて100年経ったら否が応でも返さなければなりません。
生きていればこそ平田真希子物語が続きます。
たった一人でも真剣な眼差しで待っている人に芸術家であり音楽療法士でもあるあなたによって
絶望の淵にある人が生きる勇気を得られるかも知れません。
「天上の音楽:聞こえない音楽」
いい言葉です。
心で聞けば様々な音色が響きあっています。
小川 久男
小川さん
いつも心のこもったコメントありがとうございます。
そうですね。息をしなければ、環境とのギヴアンドテイクが無ければ生きられない事が悲しくもありますが、呼吸は喜びでもありますよね。
昨日は素晴らしいバラの香りをかぎました。今朝はレモンの木全体の芳香を胸いっぱいに吸い込みました。
平田真希子
追伸。私は音楽療法士ではないんです。「Dr. Pianist」として音楽の治癒効果を謳ってはいますが、音楽療法士の資格は持っていませんし、私がやっていることはいわゆる音楽療法ではなく音楽そのもののパワーを見直そうと言う提唱です。