今日のブログは日刊サンに連載させて頂いて3年目になる私のコラム「ピアノの道」の9月18日発表の記事を基にしています。
4泊5日の和歌山への弾丸出張から昨日帰ってきました。
それまで電子メールとズームの交信のみだった方々との初対面は、何となく安堵してどちらからともなく笑い声が始まります。これから大志を現実にするために力を合わせてプロジェクトに共に取り組む方々との濃密な協議。美味を囲んでの歓談中に通じ合った本心。体温が伝わる握手。ハグ。デジタル音のズームや無機質な電子メールでは不可能な生身の信頼を培えました。出発時には人間の平均体温をはるか超える猛暑だったロサンジェルスは、降り立ったら風が涼しく夏が終わった感がありました。長旅から帰って来たような感傷の中で、浦島太郎の昔話を思い出しました。時間の流れ方がいつもとは全く違って感じられたからです。
「時間の芸術」と言われる音楽を本職として、よく時計の無意味さを感じます。2分の曲でも弾き終えると旅を終えた気持ちがする事があります。2時間の練習があっという間に終わってしまったように感じる事もあります。時計やカレンダーに縛られる生活をしていると忘れてしまう主観的な時間は、現世では贅沢なのかも知れません。
1ドル144円の記録的な円安の中の帰国では、物の値段という事についても考えさせられました。和歌山名物の醤油豚骨ラーメンは一杯700円。和歌山県の歴史を縄文時代から年代を追って現代まで紹介する壮大で素晴らしい和歌山県立博物館の入場料は280円でした。安値を単純に喜べなくなった私は、ようやく大人になったのかも知れません。市場価値と真価に必ずしも関係性が無い事は演奏で身を立てて来た私が痛いほど承知している事ですが、同時に食うや食わずを何年も経験した芸人として、安くて美味しいB級グルメにはちょっと通じている自負もありました。が、本場の名物ラーメンが、ロスで食べるラーメンの半値以下の時、故郷の経済が心配になります。
「王様は裸だ!」と指さして笑える人間になりたい。そんな思いもあって「あーちすと」の道を選んだ私は、数字に惑わされずに自分の感覚を信じて物の真価を追求します。物より人を。数より質を。周りの評価より真理を。
この記事の英訳はこちらでお読み頂けます。https://musicalmakiko.com/en/life-of-a-pianist/2741
お疲れ様です。
和歌山城が目の前とは。
人気の和歌山ラーメンもご堪能。
そして、有意義な出会いがあって。
すべの勧興お疲れ様です。
和歌山城が目の前とは。
人気の和歌山ラーメンもご堪能。
そして、有意義な出会いがあって。
すべの感動と興奮が、見事に凝縮されています。
小川久男