週末余暇の後は…

さて、今週末は土曜日の午後からきっぱりと日曜の終わりでお休みと決め、勉強もピアノもノータッチ!でした。が、今は月曜日の朝。「小春日和」と言うより「大夏日和」と言うような20度の陽気が延々と続いていたヒューストンの12月が、一晩で大幅に冷え込み、今朝は摂氏5度。気持ちも引き締まります。
次の課題は、水曜日に締め切りの音楽理論のテイク・ホーム試験です。このためには大きな茶封筒を二つもらってあります。一つは「締め切り24時間まえ、開封」と書いてあり、もう一つには「締め切り3時間15分前、開封」と書いてあります。24時間前の封筒の中には楽譜が入っており、それを20時間45分かけてじっくりと分析します。3時間15分前の封筒の中にはその曲に関する質問が入っています。これは博士課程最終試験と全く同じフォーマットです。
今日から今学期総復習をした分析技術のおさらいをするつもりです。今学期教えた「非音楽専攻のための音楽理論」の授業の中でこの分析技術の基本も少し出てきたので、来学期用に教えるノートを整理したり、そう言うこともこの二日で片付けよう、とたくらんでいます。そして練習も怠りません。作戦的には、30分練習して、1時間勉強し、と言うことを日中やり、夕方から勉強に集中しようと思っています。
それでが、頑張ってきます!

4 thoughts on “週末余暇の後は…”

  1. >kawashimaさん
    物凄く生意気で恐縮ですが、私はこの方のような悲嘆的な意見こそ、平和な時、物質的に恵まれた人にしかできない、と思っています。理由は悲観することが直接自殺行為的になりえないからです。それから、この方は『ショパンは貴族のサロンで演奏して恵まれた生活を送ってきたけれど名作を残した云々、故に平和であるから芸術作品が生まれない説は間違っている』と論議していますが、ショパンは確かに貴族のサロンでも弾きましたが、彼はポーランドの政治避難民だったし、貴族のサロンで弾いたからと言って本人が裕福だったわけではありません。後半生は結核患者でしたし、本人は決して幸せだと言う自覚は無かったと思います。
    どういう状況で自己ベストを出せるか、と言うのは個人差があると思います。が、芸術が無い時代、無い国と言うのは、ありえないと思います。どの時代のどんな状況下でも、創造そする、少なくともする努力と言うのは皆がそれなりにしていて、それをローカル的に支援・応援すると言うのもまた、芸術活動の一つのあり方だと思います。支援も応援も、また自分から創造する努力(どんな小さなレヴェルでも―まあ、この方はブログを書くという創作活動はなさっているわけですが)もしないで、現状を嘆くのは甘えだと思います。
    斜め読みしたので、私が何か読み間違えたのかもしれませんが。。。
    マキコ

  2. >ピアニスト、makichaさん
    確かにこの御仁は何不自由ない大学教授・著作家です。わたしもこの人に賛成しているわけではありませんし、そこまで厭世的に今の日本をとらえてはいませんが、けっこうこのように考えている人が多く存在しそうなのでお勧めしました。世の中は多様です。

  3. >kawashimaさん
    私もこういう意見を聞いたことはあります。ただ、言葉にする意見と言うのは、自分がそれを発表することで期待できる効果が自分にとって好ましいかどうかと言う事に関しても責任を持つべきだと思います。この方は警告を発しているわけですが、私は「今世の中が好ましくないわけ」を言うよりは「より好ましい世の中にするには」と言う視点から意見した方がより建設的だと思います。…と生意気に言っていますが、私もきっと似たようなことを似たような言い方で言ったことも在ると思います。
    それにしてもカワシマさんは凄いですね。色々お知りで、沢山お読みになっていて、頭が下がります。コメント、ありがとうございます。
    マキコ

Leave a Comment

Your email address will not be published. Required fields are marked *