人は変われる―為せば成る。それがマキコ初マラソンの学びです。

幼少時から病弱で10歳で一か月、20歳で一か月入院。体育は見学が多く、逆上がりは泣きながら練習してもできず、運動は苦手と思ってました。練習や執筆にかこつけて、食料買い出しとトイレまでの歩数を万歩計に加算して満足するような生活をしていました。

そんな私が去年、LAマラソン2025を走る友人を沿道で応援して感動したのです。ひたすら走る数万人の老若男女。それぞれ色々な人生事情を抱えたり、世界情勢に不安を感じながら、でも取り合えず一生懸命走っている。見知らぬ人々と肩を並べて、笑顔や挨拶を交わしたり、励ましの言葉を掛け合ったり、沿道で応援する人に手を振ったりして走っている。

(美しい!『人間みな平等』そのものだ!私もやる!)大興奮して2026年のLAマラソンに登録したのが一年前。リトル東京ランニングクラブ(以下LTRC)の先輩ランナーたちに色々教えてもらってちょっとずつ距離を伸ばしていきました。

棄権する言い訳はいくらでもあったのです。登録当時は3月15日に予定されていたLAマラソンは、オスカー授賞式とかち合って一週間前倒しになりました。その結果私はメリーランド州である学会から帰宅した翌朝初マラソンという超絶日程になってしまったのです。その上夏時間の開始日とマラソン当日が重なり、睡眠一時間損!更にLAマラソンの日は30度近くまで気温が上がるという天気予報を受け、主催者からは「熱中症には十分注意してください」という発表メール。極めつけに先月末のイラン攻撃に伴い「テロ攻撃の可能性」をほのめかした大統領のインタビューがマラソン数日前に発表され2013年のボストンマラソン爆弾事件が重なって、何だかマラソンに出るのが非常な危険に思えてきたのです。

でも有言実行。決めたことはベストを尽くす。

今年のマラソン登録者は2万7千人。その内9,100人が私と同じ初マラソンランナーズです。7時にスタートのマラソンの為には、みんな3時半や4時起き。スタート地点付近の駐車場に車を停め、シャトルバスに乗り、ゼッケンや栄養ジェルなど配布されるものを受け取り荷物を預けトイレ―その全てが長蛇の列です。そんな中警察官をしている友達からメッセージ。「頑張れ!今日は仲間とコース周辺をパトロールしているからマキコ探すよ。」にわかに勇気百倍になります。

出発はドジャースタジアム。この写真を撮るのにも列に並びました。

長い上着は、紫外線カットの特殊ウェア。フード付き。野の君のプレゼント。

7時にレース開始。タイムが早いグループから走り始めます。自他ともに認める我々の様なゆっくりランナーズはスタート地点に立つのは7時半過ぎ。そこから象の群れのようにぞろぞろとみんなで走り始めます。日中の猛暑警報があってもLAの朝は寒いです。周りの人の体温が嬉しい。

実際に走るまでコースの地図を予習するなどという知恵はなかったのですが、走ってみるとLAの名所を沢山見られる、よく考えられたコースです。ドジャースタジアムを出発して中華街、1781年LA発祥のEl Pueblo de Los Angeles広場、リトル東京、タイ・タウンなどLAの多様性も見られるし、ハリウッドで歴代スターの星形プレートの歩道が続く「ウォーク・オブ・フェイム」やチャイニーズシアター、そして高級ブランド店が並ぶビバリーヒルズ、サンセット・ストリップを抜けて最後にサンタモニカの海岸近くでゴールです。なるほど、これは世界の主要都市にマラソン旅行をしたくなるランナーズ仲間の気持ちも分かります。そしてLA歴が長い私でも、普段車で通り抜けるだけの道をゆっくり走っていると奇抜なお店や、公園の池や、人間観察で飽きる暇がありません。

もう一つ面白いのは沿道で応援している人々です。水や食べ物の配布所や医療休憩所などの正式なボランティア・ステーションも点在しています。制服の警察官たちもテロが入るスキがないくらいそこら中にいて、目が合うと応援してくれたりします。でもそれ以上に(何事⁉)と思うくらいの数の人々が、沿道にいて、大声で応援したり、笛を吹いたり、太鼓を叩いたり、旗を振ったり、プラカードサインを掲げたりしています。マラソンというのは10万人事業なんだ!初めて知りました。こりゃ、お祭りだわ。

大抵のサインは一般向けです。「You are running better than our government!」というのはそこら中で見かけました。「Run」という動詞は「走る」と「(政府などを)運営する」と言う意味両方あるのでそれにかけて「政府よりもよくやってるよ!」と言う意味です。中には特定個人向けのサインもあります。「頑張れ、メアリー!」とか「完走したら一緒に飲もう、マイク!」とかそういう感じです。家族総動員に応援されてるランナーもいます。疲れか暑さか、私は一瞬自己憐憫に負けそうになりました。16歳で家族が日本に帰国した私は、人生の節目やお祝いの多くを家族と共にしていません。(みんないいな~)…

でもそんな時、まるで啓示の様にLTRCの皆が朝から準備して待機してくれているステーションが見えてきたのです。丁度中間地点です。

一口サイズのお稲荷さんと冷たい栄養ジェル。本当は超ゆっくりなのですが、みんなに「早い!」とおだてられてまた走ります。

そういえば小学生の時多摩川沿いを5キロ走る毎年恒例のマラソン大会があって、お母さんが応援に来てくれた。低学年の頃はお母さんが見えると嬉しかったけど、高学年の頃はびりっけつでぜーぜーしてる自分が恥ずかしくて悔しくて、にらみつけた記憶がある。お母さん、ありがとう。そしてごめんね。

マラソン苦境と言われている18マイルを過ぎた個所で更にLTRCの仲間が待ち構えてくれています。氷を入れたビニール袋と、冷たく濡らしたタオルを情動脈に充ててもらって、リングコーナーのボクサーの様な応援をしてもらいます。

ここではおかか梅干のお握りとポカリスエット。

この頃からだんだん感じて来た疑問。この2枚の写真両方に映っているオレンジのシャツとブルーのサングラスのTさん=100Kやトライアスロン経験者のウルトラマラソンランナー。このTさんがなぜか私と野の君の周りに神出鬼没。見えなくなったと思ったらLTRCのステーションでなぜか待ってて、そして私と野の君の再出発に合わせて走り始める。18マイルを過ぎ、暑さと疲れでどんどんペースダウンしてきた私の頭に洗礼のように何度も何度も水をかけ、医療ステーションに連れて行ってくれ、見えなくなったと思ったらマイルごとに出ているサインのところで待ち構えていて写真を撮ってくれる。後にLTRC全体メールで初めて知ったのですが、Tさんはなんと初マラソンの我々を「陰ながらサポートしようと」このLAマラソンに参加登録して下さったとのこと!えええ~~!!??(Tさんって照れ屋さん?)

不思議なアングル。これは芸術性?

前にはTさん、後ろには野の君。そして沿道には数えきれない応援隊。私はだんだん圧倒されてきました。みんな何て優しいんだ!なんて頑張り屋さんなんだ!人間の体は凄い!友情は素晴らしい!(今から思うとこれがランナーズハイですね。)

ゴールした後は足の付け根が痛くて、出産直前のゾンビの様な歩き方しかできませんでした。

何度マラソン走っても、どれだけタイムが早くても、フルマラソンの後はみんなよちよち歩きになるようです。

メロスは一人でも走って偉かった。私は沢山の人に支えてもらって成し遂げることができました。一等賞ランナーの3倍の時間をかけましたが、みんなのお陰で42.195キロ走り切った今、これからの人生に希望と可能性を沢山感じています。

人は変われるー為せば成る。

3日目の今日は足の痛みも消え、元気いっぱいです!


2 responses to “美声日記3.10:マラソン賛歌”

  1. 小川 久男 Avatar
    小川 久男

    お疲れ様です。

    長距離ランナーでしたが、フルマラソンの経験はありません。
    為せば成る、成さねばならぬ何ごとも。
    感服しました。

    小川久男

    1. Makiko Hirata Avatar
      Makiko Hirata

      恐れ入ります。文中にもありますが、沢山の方に支えられてやっとできました。
      ところで5月23日(土)にまた横須賀8Kサロンで演奏いたします。会場での再会楽しみにしています!
      真希子

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