愛の形

ヨーガのクラスは音楽をかけながら、行われる。
音楽の選択はインストラクターがするのが通常らしい。
日本のヨーガもそうだったし、LAのヨーガもそうだった。
(そう言えば、私のヨーガ歴は結構長い。しばらくお休みしていたけれど。)
普通ヨーガのクラス中の音楽はまあ、瞑想的な
ベルのような打楽器が「チ~~~~ン」とか、
弦を弾いた音が「ボヨヨ~ン」とか
メロディーとか、ハーモニーとか、つかみどころを出来るだけ少なくしたような、
まあ、インド風雅楽と言えばよいか、ニューエージと言えばよいか、そう言うのが多い。
でも、ライス大学のヨーガインストラクターは結構揃いも揃って、
ワリとヨーガにしては珍しい選曲をする。
はっきりとした歌詞があるものや、クラシックの選曲をする人も居る。
クラシックをかけられると、私は困る。
先生の言っていることよりもずっと音楽を聴いてしまうのである。
私は絶対音感がある。
絶対音感のある人すべてが同じかは知らないが、私の場合クラシック音楽が鳴っていると
ずっと頭の中でそれぞれの音が
ドの音は『ド』、レの音は『レ』、と自己紹介をしながら
耳の中に飛び込んでくるのである。
(なぜか他のジャンルの時はこの現象は起こらない)
これと一緒に人が話すのを聞くのは、とても大変。
と、言うか普通あきらめてしまう。
レストランとか、ガヤガヤしている中で、音楽が明らかにBGMの音量の場合は問題無いが、
ヨーガのクラスのようにシーンとした空間の中でタイースなどがかかった日には
私の脳みそはタイースで一杯になってしまうのである。
私は「ボヨヨヨヨヨ~~~~ン」「チ~~~~ン」の方がヨーガの時は良い。
(普段はそう言う音楽は余り好きではないですけれど)
今日のインストラクターはクラスの最初に座って瞑想的な深呼吸をしている時に、
音楽をBGMにしながら、詩の朗読をしている録音をかけたので、びっくりした。
私は最初の「Love is beautiful」で思わず一人で吹いてしまった。
(なんて陳腐なんだ!)と思ったのである。
しかし、最後にはしっかり感動してしまった。
Love is beautiful, fierce, and strong.
An insatiable, all-consuming fire.
A lion pacing on the red hot embers of desire.
Love is a thirst that’s never quenched,
A sacred flame that can’t be drenched
By icy showers of sobriety
Or a society
Strangled by notions of propriety.
So what kind of love is this,
This love that dares not speak its name?
This love that hangs its head in shame?
Is this so-called love even worthy of its name?
True love doesn’t lie,
It doesn’t hide,
And it will never be denied
The right to sing its furious song
In the sad, empty streets from dusk ’til dawn.
Love laughs at fear
And cries out its name for all to hear.
Love is beautiful,
Fierce, and loud.
But most of all,
Love is PROUD!
(シルク・ドゥ・ソレイユの「メディテーション」)
私が一番感動したのは
『True love doesn’t lie, it doesn’t hide, and it will never be denied the right to sing its furious song in the sad, empty street from dusk ’til dawn.Love laughs at fear and cries out its name for all to hear』と言うところである。
簡単に訳すと『愛は嘘をつかない、隠れない、そして夕暮れから明け方にかけての人気の無い道路でその怒りの歌を歌う権利をあきらめない。愛は恐怖を目前に笑い、皆に聞かせるために自分の名前を叫ぶ」
と言う所。
何故そんなに感動したかと言うと「これは、私の音楽だ!私の音楽は愛の形なんだ!」
と思ったからです。
しかし、ヨーガのクラスから帰ってきて、改めてこの詩を読み、
そして感動した箇所を訳してしまうとなんだか、
「フ~ン、ヨーガ中と言うのは、感受性が鋭くなっているのか、
はたまた惑わされやすくなっているのか」
と、ちょっと悩む。

10 thoughts on “愛の形”

  1. ヨーガはもともと解脱にいたる修行だから、感受性も鋭くなるのかもしれないですね。それにしても、ヨーガに愛の詩とは、愛とニルバーナは対局にあるような気がしないでもないですが。
    そういうところが欧米の方々の感性なんでしょう。

  2. >kawashimaさん
    私はニルヴァーナに関しては余り良く分かりませんが、多分愛を執着ではなく、許容とか融合、と言う風に解釈しているのだと思います。
    お元気ですか?
    コメント、ありがとうございます。
    マキコ

  3. 記事検索から見つけちゃいました(`・ω・´)ゞ文章力があって羨ましいです♪更新って大変ですよね汗。でも頑張りましょう☆ぺたの代わりでした~失礼しました!!

  4. 遊びに来ました♪アメンバーさんのブログから色々回ってたら来ちゃいました♪良い記事ですね!私のがチーン・・・ってなります(^^;)更新されたらまた来ますね!!ヘ(゚∀゚*)ノ

  5. >まこママさん
    私は子供の頃から家族に「まっこ」とか「まこ」と呼ばれているので私の母がコメントをくれたかと思ってしまいました!
    とても嬉しいコメントです、ありがとうございます。
    更新は大変ですが、でもこういうコメントをいただけたり、沢山の方に読んでいただけると、続ける意欲が沸いてきます!私のは日本語保持の意味もありますし!頑張りましょう!!
    マキコ

  6. >ツカくんさん
    コメント、ありがとうございます。
    音楽にそう言う音が主体として使われるのは好きでは在りませんが、でも仏壇の前で鳴らす「鈴(りんー名前が分からずに今グーグルしてしまいました。[輪」とも書くそうです」の音は大好きです。ピアノの音もそうですが、一度鳴らされた弦や打楽器の音が段々消えていくのを聞き入っていると、邪念が消えて、別世界に連れて行ってもらえますよね。
    マキコ

  7. 遊びに来ました、ななこといいます♪ブログ読んじゃいました~^^素敵なブログですね☆更新がんばってくださいね^^ また遊び来ます♪ 良かったら私のブログものぞいてみてください☆

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