洒脱日記162:「WHY」ではなく「HOW」

今日は本のプロポーザルにかかり切りで疲れてしまったので、掲載中のコラム「ピアノの道」から9月3日に発表予定の40回目に少し手を加えたものをここに載せます。

「なんで・・・しなくちゃいけないんだろう?」…時々誰でもこんな考えに取り憑かられることがあるのではないでしょうか?こんなに頑張っていて何になるんだろう…?

まだ自分の演奏のキャリアがどうなるのか全く不透明だった学生時代。単独のニューヨーク。背水の陣。朝から晩まで必死に練習する毎日でした。演奏会と言う目標に向けて頑張っている時は良いのですが、演奏会が終わり、次の演奏会が無かったりすると突然「自分は何をこんなに我武者羅に…何のためになぜ?」という思いに駆られて泣きたくなる時がありました。

でもその頃(90年代です)私はNYに在ったチベット仏教のお坊さんたちと少し知り合いになるご縁に恵まれていました。中国がチベットに攻め込み、チベット人の多くが避難民となった頃の話しです。アメリカ人の多くが中国の行為に反対して中国製の品物を買わない!というボイコットをしていた頃の話しです。

チベットのお坊さんは読経と言う行為が世の中に平安をもたらしていると考えているそうです。苦渋の避難民生活を送っているチベットのお坊さんたちが、それでも読経を続けている。私は始め、全然分かりませんでした。怒りとか、嘆きとか、復讐とかの方がずっと良く分かる、と思いました。でも数か月経った頃、ハッと思いついたのです。私も、どんなに苦しい時でも、ピアノを弾いている時は良いことしか考えていない。幸せや美しさや温もりや優しさや情熱を音楽に織り込んで、一音一音送り出している。音楽は、私の読経なのかもしれない。発表の場が無くても、誰にも聞いてもらえなくても、心を込めて毎日弾けばそれで良いのかも知れない。

脳神経科学的に言うと「やる気」は待っても絶対出てこないそうです。取り合えずやり始める。やり始めて段々出てくるのが「やる気」。どうしても練習する気になれない日は私は20分タイマーをかけます。20分やってそれでもやる気が出なかったら休んでよし!大抵タイマーが鳴る時には練習を続けたくなっています。なぜやるのかの「Why」ではなく、どうやったら出来るかの「How」を一緒に考えましょう!

毎日月曜日から金曜日まで、朝の6時から30分間バッハのゴルトベルグ変奏曲の一つずつライブ配信しています。ある日こんなメールを頂きました。「毎朝の参加は無理ですが、あなたが頑張っていると思うと、私も毎朝元気になります。」私も、あの頃親しくして頂いたチベットのお坊さんたちとは疎遠になってしまいましたが、今でも彼らが読経を続けていると思うと、私もピアノを弾き続けようと思います。

この記事の英訳はこちらでお読みいただけます。https://musicalmakiko.com/en/life-of-a-pianist/2020

もっと高く!もっと元気よく!頑張れ、私のユーチューブ!!

2 thoughts on “洒脱日記162:「WHY」ではなく「HOW」”

  1. お疲れ様です。

    きょうも内容が深くて感銘しています。
    読経は世のため人のために祈るものです。
    次の言葉がありました。

    至誠通天なる言葉は吉田松陰の言葉で「誠を尽くせば、願いは天に通じる」といった意味の言葉

    小川久男

    1. 読経は世のため人のためですか。
      私は個と世の境を無くすためのものの様な気がします。

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