美笑日記5.15:演目解説「ハッハッハ長調(Candid in C)」

ハ長調はとっつきやすい。これはそんなハ長調の特徴を活かした曲の中から特にユーモアや茶目っ気溢れる曲を集めたピアノ独奏会の演目解説です。

ハ長調はなぜとっつきやすいのか。

ハ長調では、ドを主音として出発し、ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シという7つの音を主要メンバー(この説明文では『家族』)とします。この7人の『家族』は鍵盤楽器ではみんな白鍵です。そうすると練習曲として、いくつかの利点があります。

  • 譜読みが簡単
  • 初心者は黒鍵と白鍵が多く入り混じると、指の伸縮が難しく感じる。
  • 小さい手(子供~小児)は、特に黒鍵まで指を伸ばして押すのが大変!
  • 『家族』が全員白鍵というだけでなく、鍵盤上の白鍵全てが『家族』なので、客人と家族の見分けがつけやすい。解釈の役に立つ。
このヴィデオでモーツァルトの「きらきら星変奏曲」の例を使ってデモンストレーションをしています。(英語:日本語字幕付き)

とっつきやすいハ長調だとどんな曲が生まれるのか

教則本の導入部や練習曲、曲集の最初の曲などに多く使われるのがハ長調です。ハノンの指の訓練と持久力を培う練習教材なども全てハ長調です。大抵の作曲家は貴族や金持ちにレッスンをすることを収入源としていますが、ハ長調の作品の多くは生徒のために書かれています。

J.S. バッハ(1685-1750): 平均律第一巻前奏曲1番・インヴェンション1番・平均律第一巻フーガ一番

バッハの長男、ヴィルヘルム・フリーデマン(Wilhelm Friedeman Bach, 1710年11月22日~1784年7月1日)が9歳だった1720年1月22日の日付が手書き譜の表紙裏に記されているのが、「フリーデマン・バッハのためのクラヴィーア小曲集」です。平均律第一巻の前奏曲の7番を除く全ての初稿と共に2声のインベンションと3声のシンフォニアも書き記されています。この小曲集に収録されている62作品の中で平均律集の前奏曲やインベンションやシンフォニア集に含まれていない作品には、他の作曲家のものや、フリーデマンの修作と考えられている作品もあります。1番からだんだんと難度を上げていくこの作品集の中で、かの有名なハ長調の前奏曲は14番、そしてハ長調のインベンションは32番目に載せられています。

平均律集第一巻のハ長調のフーガは4声。バルトークがバッハの平均律集第一巻と第二巻の48曲を難易度で並べ替えたバージョンでは48曲中22曲目。それでもこのフーガをここに入れたいのは、このフーガにインヴェンション1番からの引用が隠されているからなんです!バッハの茶目っ気は息子や弟子への愛情とユーモアと読んでもよいのでは…?

ドビュッシー(1862-1918):曲集「子供の領分」(1908)より「グラドゥス・アド・パルナッスム博士」・ピアノのための12の練習曲(1915)より第一番「五本の指のために:チェルニー氏に倣って」

バッハと同じく、ドビュッシーも愛娘、「シュシュ」の愛称で溺愛されたクロード・エマ(Claude-Emma ”Chouchou” 1905-1919)のために曲を書いています。「子供の領分」はシュシュがまだ3歳の時の作品。クレメンティの練習曲集をもじったタイトルに、すでにユーモアを感じます。

ハ長調には、練習曲や、子供時代の練習の思い出をインスピレーションや風刺のネタにした作品が多いのも特徴です。12の練習曲が書かれた1915年、シュシュは12歳、ドビュッシーは53歳。ドビュッシーは第一次世界大戦の勃発と命とりとなる自身の癌宣告に打ちのめされていました。ショパンの作品全集の校正を手掛けたのをきっかけに再び創作意欲を燃やし、書かれた数多くの作品の中に練習曲があります。そのオープニングである一番が、子供の領分のオープニングに更に輪をかけたピアノ練習への揶揄と音楽へのファンタジーであるのは、驚愕です。

ハイドン(1732-1809): ソナタハ長調:XVI/50. (1794) (I. Allegro, II Adagio (in F major), III. Allegro molto

「パパ・ハイドン」の愛称で親しまれた作曲家は子供には恵まれませんでした。このソナタはハイドンが鍵盤楽器のために書いた最後から3番目の曲。練習曲でも弟子や子供のために作曲されたのでもない、今でも演奏会で定番の大曲です。が、ハ長調は古典派では定番の調性でした。ハイドンが鍵盤楽器のためのソナタの60曲のうち10曲はハ長調。交響曲は104あるうち20がハ長調です。

ハイドンは茶目っ気が多くユーモアや機知に富んだ楽しい曲風が多い作曲家ですが、私が特にこのハ長調ソナタを選んだのにはいくつか理由があります。まずこの曲を含むハイドンの最後の3つの鍵盤ソナタはロンドンで書かれています。当時のイギリスでは独特の大きな反響版と広い音域をもつピアノが出回っており、ハイドンはこれを大変気に入った挙句、一台購入してウィーンに持ち帰ることまでしています。そのせいでしょうか。スタッカートや「じゃがじゃが」とかき鳴らすトレモロ、細かいトリルや繊細な装飾音など、新しい楽器を試すように多彩な曲となっているのです。またこのハイドン最後の3つのソナタの献呈に授かっているテレーゼ・ジャンセンという当時のロンドンで一世を風靡していた女流ピアニストであることも喜ばしい史実です。同じ年にベートーヴェンの最初の3つのソナタ、作品2が誕生している時代背景も、この全てを讃え祝うような曲風にぴったりの時代背景です。

プーランク(1899‐1963) 3つのノヴェレッテ(1927)より第一番ハ長調・8つのノクターン(1929)より第一番ハ長調

薬品製造業で成功していた裕福な家庭の一人息子として生まれたプーランクは音楽に慣れ親しんで育ちましたが、音楽を本格的に勉強することは許されませんでした。16歳で母を、18歳で父を亡くしてから作曲家のサティやピアニストヴァインズに育まれたプーランク、やがてLes Six(フランス6人組)と言われる同世代のフランス人作曲家の一人として、20世紀のフランス音楽を形成します。

プーランクは自身もかなりのピアニストでしたが、そのピアノ作品は小品が主で作曲の背景などについても文献は多くありません。が、私にはプーランクのユーモアと無邪気さ、そして特にこのハ長調のノヴェレッテはバッハのハ長調の前奏曲を、そしてノクターンはドビュッシーの音楽ファンタジーを彷彿させます。

練習しながらこの演目解説を今書き上げたこのプログラム、あと2時間後に初演です!

1 thought on “美笑日記5.15:演目解説「ハッハッハ長調(Candid in C)」”

  1. Pingback: 美笑日記5.18:練習と本番は何がどう違うのか - "Dr. Pianist" 平田真希子 DMA

Leave a Comment

Your email address will not be published. Required fields are marked *