洒脱日記197:王様は裸だ!

この間訳したイーユン・リーのエッセーで、彼女は「人は生きる努力の多くを自分のための内なる言葉を外と交わす言葉から守るために費やしている。」と主張した。イーユン・リー自身はそうなのだろう。彼女はフィクションに自分の内なる言葉を昇華させることで、自分と世界の折り合いをつけて生きてるのだと思う。私は彼女の言うことが分かる。でも、私は多分、彼女と同じところに立ちながら、彼女とは背中合わせで逆方向を向いている。私は、音楽に精進し、ノンフィクションを書く事で、自分の内なる言葉と、他人の内なる言葉を共鳴させようとしている。私は集団意識というのを信じている。私は人は生きる努力の多くを孤独を解消するために費やしていると思う。私は知ってるー真心は通じる。

幼少の頃、自分には他の人には知らない事を知り得る力がある、という根拠のない傲慢さが在った。なんでだろう。分からないけれど、小さなマキコは多分非常にオシャマで、そして極端に生意気だったのだと思う。周りの大人からすごくひいきされるか、凄く嫌われた。私は今でも、裸の王様を指さして笑う子どもになりたい。

2年生の時、不正を指摘する私に怒り狂った大人が「お前は被害妄想で、躁鬱症で、もしかしたら分裂症も入っている!」と言い放ったことが在った。2年生だったと分かるのは、国語辞書の使い方を学校で習ったばかりだったからだ。すぐに子供用の小学館の辞書で言われた3つの言葉を調べた:ヒガイモウソウ、ソウウツショウ、ブンレツショウ...定義を読んでびっくりした。心臓がバクバクした。(当たっているかも知れない!)と思ったからだと思う。

自分の認知する世界が、他の人の現実とは違っているかも知れない...という新しい認識は、私をひどく哲学的にした。じゃあ、現実って何なのだろう。例えば私が、妄想症の宇宙人で、異星の精神病院で「チキュウ」を妄想して自分は「ヒラタマキコ」というニンゲンのオンナノコであると主張しているという可能性だってある。そうでないとは証明できない。

多分そこからだったのだと思う。私は自分は実は地球人のサンプルで、異星人にチキュウ環境に似せて作られた大がかりな似非の実験場で生活している可能性を思いついた。異星人が地球人の着ぐるみを着て演じる私の知人に囲まれて、観察されながら生きている...のかも知れない。そうでないとは言い切れない。私の状況把握がばれてしまうと、サンプルとしての役目を果たさなくなるので、私は殺される。だから、誰にも言わずにこのゲームに付き合わざるを得ない。隣で爆睡している妹が化けの皮をはがさないか、夜中にじっと見守ったりした。もし本当だったら大変なので、誰にも言えなかった。5年生の時親友に「子供のころはこんな事考えてたんだよ~」と笑いながら打ち明けた夜は、実はちょっと怖かった。

自分に感知し得ない世界が在るという認識。それを理解したいと思う探求心。『死』の概念に折り合いをつけて生きる人間の定めなのだと思う。古代文明が宇宙の真理や自然現象について限りある技術と知識を駆使して説明を付ける。望遠鏡の発明、顕微鏡、こういう物が一つ一つ発明される毎に、人々は自分が感知し得る以上の世界が在る事を知る。自分の顔は自分には見えない。未来が分かり得ない。時間という物の不思議。人類の知性の進化は、子供の成長のマクロ版なのだと思う。

私の父は色弱だ。緑と赤の区別がつかない。

その日の夕食は麻婆豆腐が出た。夜遅く帰った父に母が「唐辛子が沢山入っているから出してから食べてね」と告げてからしばらくして、私は麻婆豆腐から根気よく物凄い量のニラを一々箸でつまみ出している父を発見して、仰天した。父の色弱は知識としては了解していたけれど、その時初めて父に見えている世界が自分に見えている世界とは違うということを経験として理解したのだ。

でも父の視界と私の視界に、誰が甲乙を付けられるだろう?

一般的な価値判断も疑問視するようになったのは、「天才」について書かれた本を読んだからだ。レオナルド・ダ・ビンチ、モーツァルト、アインシュタインなど、いわゆる天才の逸話や統計を基に、天才の特徴を検証する一般教養書だった。その本は天才の条件の一つに「一般的にトラウマとされ、凡人の多くが意識下に追いやる出来事を、差別や価値判断することなくインプットとして記憶する。」と上げていた。常識やタブーを全てひっくり返して考えてみる癖がついたきっかけの一つだったと思う。

13歳で父の転勤に伴い、渡米した。読めない・書けない・喋れない・聞き取れないというのは、言葉に自我を頼り勝ちな私には、本当に苦しいことだった。世界に日本語以外の言語を喋る人がいる、というのは自分を苦しめるための大がかりな芝居じゃないかと思った。時々英語の会話に日本語の様に聞こえる音が混ざると(あ、今しくじりそうになった!?)(今、しっぽを掴みかけた?)と本気で思った。学校の廊下で素早くクルリと振り向けば、私に気づかれないように日本語で会話をしているアメリカ人の学友を見つけることができるのでは、と思っていた。

英語の習得に苦しみながら、言葉の限界について考えるようになった。例えば父は言葉としては「緑」と「赤」を知っている。でも実際にはこの二つの区別ができない。そして私と父の視界のギャップを言葉で理解し合うことは難しい。でも父の色弱はすでに診断が下されている。原因も分かっている。現象も麻婆豆腐で観察した。一方例えば私が塩をなめて感じる「しょっぱい」が妹の「甘い」だったとしても、それは絶対分かり得ない。それでも言葉がただ単に共同生活を営む上での相互理解の便利を司るための一種の協定の合図なら良い。でも厄介な事に、言葉というのは常識として認められている定義以外の連想が在る。個人的な連想もあるし、文化的な物もある。そしてその多くが感情や衝動を伴う。

16歳で父の帰国の辞令が出て、私一人音楽の勉強を続けるために、アメリカにホームステーして残る事になった。イーユン・リーのエッセーにあった「言葉に頼らずに考えること・感じることは可能か」というのを自分なりに探求していた。音楽は「世界共通語」とか「言葉で表現できない物を表現する」など、言葉と比べられることが多いので、なおさらだった。音楽と言うのは、言葉の限界を補うものなのか?だったら私はなおさら言葉の限界を見極めなくてはいけない。「黙考」というか「黙る修行」というのをやろうと思った。「言葉なしに考えられるか実験中なのでしばらく喋りません。」というカードを作って、ホームステー先の老夫婦に渡した。学校ではのどが痛いフリをした。でも自分が言葉を発さなくても、言葉は容赦なく私の周りを埋め尽くす。世捨て人になりたかった。ソローのウォールデンの森の生活をやりたかった。あの頃の私は、イーユン・リーに近かったと思う。

皆多かれ少なかれ、自分の感知し得ない世界が在る事を知っている。力を持つということは、自分の説く世界がより真実に近いと主張する事なのだと思う。歴史的・社会構造的に、大人は子供に、男性は女性に、白人は有色人種に、エリートは無教育者に、持つ者は持たざる者に、勝者は敗者に、支配者は支配される者に、自分の説く世界観の方がお前たちが感知する世界よりもより真実だ、だから信じろと主張する。でも「王様は裸だ!」と叫ぶのが子供なのには、訳が在る。それは私たち皆が経験的に、固定観念には盲点が出来ることを知っているからだ。だから、説く立場にある人はいつも説く対象にある人々から盲点を指摘されることを恐れている。恐れるから威圧的になる。暴力的にさえ、なり得る。

私は有色人種の女性、ピアニスト、在米日本人、そしてフリーターとして社会的にかなり弱い立場にある。そして私は言葉を超えるとされる音楽の道を精進する事で、固定観念を超越することに専念してきた。私は「王様は裸だ!」と叫ぶ立場の人間だ。私は叫ぶことに使命感を感じている。だから書いているのだと思う。

アンデルセンの『裸の王様』で「王様は裸だ!」と叫ぶ子供は、面白がっているだけである。自分の言動の社会的影響を考えていない。自分に見える世界を描写したいという衝動は、常に自分の世界観を周りの物と照らし合わせて安心したいという、人間の社会動物性を表したすごく自然な物だと思う。「王様の耳はロバの耳!」と穴を掘っても言わざるを得ない大人に比べて、子供は社会制約に気を配る知恵がないだけだ。「王様は裸だ!」と叫ぶ子供は、ただ人間の裸が面白い、裸の人間が堂々と行進する姿が面白い、それを崇め奉る群衆が面白い...。

一方、実際の現実では「王様は裸だ!」と叫ぶ人間は、出る釘は撃たれる覚悟が必要だ。

私は自分を美人に見せることに極端に興味がない。私は五体満足な健康体ではあるが、美人ではない。それなのに大小のセクハラを数えきれないほど受けてきたのは、「王様は裸だ!」と主張し続けたからだと思う。私は嘘をつくことができない。表情がすぐ顔に出る。真心に信念を置いて生きたい。まっすぐな勝負しかしたくない。そんな私を「面白い」「可愛い」と描写し、そして性的対象にする事で、私は矮小化されて封じ込められたと思う。考えてみて下さい。「王様は裸だ!」と叫ぶのはいつも男の子ではありませんか?もし叫ぶのが木に登ったやんちゃな男の子ではなく、可愛らしい女の子だったとしたら、彼女の主張のインパクトは男の子の主張のインパクトに劣るとは思いませんか?私と私の主張の多くは「女性性」として片付けられたと思う。女性は理屈が苦手だ。女性は感情的になる。女性は妄想癖が在る...私にセクハラを働いた全員がそれを意識していたとは思わない。でも、女性蔑視という社会的な大きな深層心理として、結局そういう文化風潮が在ったのだと思う。

ある時、とある日本の片田舎で演奏会をする事になった。一年目、関係者が興奮する大成功だった。2年目も呼ばれた。当日到着すると駅に迎えに来てくれた主催者が私を見つけるなりハグをしてきた。日本人としては珍しいが、まあ私が在米なので合わせてくれてるのかなと思い、ハグを返した。そしたら耳元で「まきちゃんの夢を見るんだよ」と言われた。会場に向かう車の中で「一緒に旅行に行こう」「まきちゃんのピアノで眠りにつきたい」「誰も知らなくて良い、二人だけの秘密。」「きっとこういうことは君の音楽にとっても良いと思う」「この界隈で一番大きなホールで演奏会をさせてあげる」などなど。この方よりかなり年下の美人な奥様も演奏会の企画・運営に積極的に携わっていらして、前年随分お世話になっている。更に言わせて頂くと、この主催者は黒々とした豊満な頭髪で随分若作りをされていたが、多分80代前後のご高齢だったのではないかと思う。私はとりあえず「( ̄∇ ̄;)ハッハッハ」と笑って、あまり言葉を返さなかった。そして何となく「まあそれは無理でしょう」みたいなことを態度で示した。

演奏は上手くいった。演奏後の打ち上げレセプションが別の場所であり、私が着替えている間に荷物をそちらに運ぶから、と主催者とスタッフは先に車で一度そちらに移動された。着替えが終わり準備が整ったら電話をすれば迎えに行くから、と言われて私は一人会場に残った。私の荷物は全て持ち去られ、私は日本に帰国中のレンタル携帯(通話とテキストしかできない)とドレスのみの状態だった。何度電話を入れても応答がない。私は財布も無かったのだ。身一つで、携帯を握りしめて、右も左も分からぬ地で、途方に暮れた。(私はこのまま放置されるのか。)(警察に電話をして駅まで送ってもらうか。)財布があれば、そのまま横浜の実家に帰ってしまったかもしれない。(実家に電話して迎えに来てもらうべきか。)でもまだギャラももらっていない。演奏の成功の高揚感との対照で余計惨めで情けなかった。一時間くらい待たされたか、と思う。主観的にはもっと長かった。しばらくして「ごめんごめん」と何事もなかったように電話に出てこられ、そして迎えに来ていただけて、会場の打ち上げに遅刻して到着した。私の思い過ごしと言われるかもしれない。でも絶対違う。勿論、翌年の再演には呼ばれなかった。

大事なのは演奏の質ではないのか。私の音楽性ではないのか。

この例は取るに足りないものである。笑い飛ばせる類の例だ。でもこうい事が次から次へと起こる、と想像してみて下さい。どれだけ萎えて虚無感に襲われるか。勿論、どんなに多くてもこういうセクハラおやじに対して20倍30倍...100倍くらい本当に良い男性も沢山沢山いる。私はそういう男性たちとの友情やご教授の幸運に恵まれてここまで来れている。でも67.1パーセントのアメリカの女性音楽家がセクハラを受けるという統計があったり、自分自身の受けたセクハラの頻度を考えても、やはりこれは社会現象であって単発の例外ではないと思う。だから敢えて言っている。

私が声を大にして言いたいのはこういうことだ。

① 現実は広大で底知れず、複雑で流動的で、だから一人では到底分かり切れなくて、視点が違えば見えるものが違う。そして皆、見極めたい気持ちは同じ。真心が在れば「誰がより正しい」ではなく「皆それぞれ正しくて、その総括を出来るだけ全部包容したものが一番現実に近い」となり得る。

② 人間は社会的動物。協力体制が一番自然で幸せ。私たちは自分を相手に重ね合わせてみる習性を持っている。あなたの幸せは私の幸せ。あなたの痛みは私の痛み。あなたの痛みを助けることは、私自身の痛みを和らげる。相手への共調を切り離して、敵対心を持った瞬間、人間の本性に逆らってしまって結局楽しくなくなる。

③ どうしてみんなフリをするんだ?私は、私を口説いた人が全員私と本当に性交渉を持ちたかったとはどうしても信じられない。私が「Yes」と言ったら、困った人だって沢山いたと思う。でも、そこまで自覚してはっきりといじめや嫌がらせでやったとも思えない。私が思うに、皆「男性というのは性欲を誇示するものだ」という固定観念に固執して、高齢になればなるほど意固地になるのではないか?そして自分の性欲の誇示が、相手にどういうメッセージ性を持って受け止められるかとかどういう気持ちにさせるかとか、そういう事には思いが及ばないほどそこに捕らわれてしまっていたのではないか?そんなに性欲とか性交渉は大事か?文化風潮にそう思い込まされているだけではないのか?皆、そんなに悲しい言動に自分の貴重な時間を使ってしまって本当に良いのか?

④ みんなでもっと本質を見極めよう。周りの人間の幸せは、自分を幸せにする。一番大事なのは、総合幸福度だと私は思う。若さへの固執は体力への固執、男性への固執は女性に対する優勢の固執。全部視野が狭すぎる。人生は、お互いの足を引っ張りあわずとも、もう十分困難に満ちている。親しい人は亡くなる。自分の若さや体力は減っていく。自然災害も病気もある。そしてみんな死ぬ。お互いの優勢なんか競い合ってる場合じゃない。喜び合えることを多いに喜び合って、お互いを尊重し合って協力体制・共調体制を整えて、そして生活の質向上を目指した方がずっとずっと総合幸福度が上がる。

こういうことを考えているのは絶対私だけじゃない。私一人の声は取るに足らない。でも皆が本当に思っている真心を形にしたら(言葉でなくても良い。行動でも作品でもお料理でも笑顔でも)絶対、絶対世界はよくなる。真心が多くなればなるほど共鳴が大きくなる。皆フリを辞めよう。自分の本心を見極めよう。

...ということを、もっと間接的に本に書きます。

2 thoughts on “洒脱日記197:王様は裸だ!”

  1. お疲れ様です。

    内容が濃くて理解力の乏しい自分には難しい一文でした。
    感じたことは、若いエネルギーが漲っていることでした。
    年寄りの特権は、すべての単純化だとしきりに思いました。
    人間の深層心理はそれらしきことを述べる方もいますが実のところ誰も解明できません。
    人は、裸であろうとなかろうと与えられた今を生きるしか仕方がありません。
    芸術家は、目が輝いていますから、魅力的です。
    パトロンは、この宝石をもっと輝かせるたいという妄想の中で性交渉と言う代償を求めるのではと思います。
    所詮、功利的であり打算的なのがパトロンだと思います。

    小川久男

    1. 長い文章を全てお読みくださったのですね。
      ありがとうございます。
      パトロンと一言に言っても本当に千差万別・玉石混合です。
      私は「男性は全て」とか「パトロンは全て」などと言う様に、十把一絡げではモノ申さないようにしたいと思っています。
      自分が「女性」「若い」「アジア人」と十把一絡げにされることにも問題の根源の一部があったと思うので。
      真希子

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