私の子供時代、平田家では就寝時の「読み聞かせ」が重要日課でした。私は1歳半から6歳半まで香港だったので、両親が日本語教育を心してくれた事、それから二人共読書家だったことがあると思います。香港の大丸の本屋さんで本を買ってもらったり、帰国されるご家族の絵本を譲り受けたりして、我が家の絵本ライブラリーは充実していました。読むことと同じように書くことも自然に感じるように成りました。
3年生の時、狛江第一小学校で素晴らしい先生に担当していただきました。佐藤典子先生です。クラス全員に一人一冊ジャポニカ学習帳をプレゼントしてくださり、「日記でも、先生へのお手紙でもなんでもよいです。宿題ではありません。書きたい時に書いてね。」とおっしゃってくださいました。私は先生が大好きだったので、嬉しくて嬉しくて毎日書いて朝一で提出しました。そうすると先生が赤ペンで毎日私の本文よりも長いお返事をくださるのです。それが、私が定期的に付けた日記第一号です。
4年生の5月に一か月入院しました。10歳にはかなり劇的な人生展開です。入院中は色々在りました。同室だったななちゃんは10か月の赤ちゃんでした。いつも笑っていました。仲良くなったかおるちゃんとはトイレにも一緒に行きました。私のベッドの右となりは中学生のお姉さんで、吸血鬼の漫画を貸してもらったら怖くて夜眠れなくなりました。看護婦さんに怒られたり、優しくしてもらったり、お母さんが面会の度に図書カードで借りられるだけの本を借りて来てくれたり、本当に色々在ったのです。でも全然書く気にはなりませんでした。
それから書き続ける時と、全く書かない時が交互に来ました。渡米直前の中一の時、第38回横浜市立中学作文コンクール創作の部門で最優秀賞を頂きました。渡米してからも、日本語を書くときは英語を混ぜないように、分からない漢字は漢和辞典で調べるように心がけて、日本語を忘れないためにも手紙や日記を心して書くようにしていました。16歳の時に家族が帰国した後は、ホームステイ先で日本語への飢餓感と、そして家族恋しさで、手紙を沢山書き綴りました。
でも、本当に書くことが沢山あるはずの人生の転換期とか、大きなイベントの時は、私はあんまり書いていません。例えば私は18歳の時に初めての国際演奏旅行で、ボリビア国立交響楽団とボリビアの主要都市をラフマニノフの2番の協奏曲のソリストとして演奏してまわりました。ボリビア政府のVIPに演奏会に出席していただいたり、色々な国の総領事公邸に呼ばれたりと、中々華やかな演奏旅行でした。しかも南米の土着文化に触れる機会も多く、また初めて植民地の歴史や問題に触れる機会になり、色々考えさせられることも多かったのです。それでも書きませんでした。
(私は書くために生きているのでは?)と不安になる時が在ります。何をしていても(今起こっている事をどう書こう)と考えてしまい、その瞬間瞬間に没頭できないのです。辛い体験をしている時は、書き手の立場で達観して救われたときもあります。修羅場や、吐き下しの舞台恐怖症との葛藤や、ストーカー刑事責任追及の時は(いつか書いて見せる!)と乗り切ったと思います。でも、最近脳神経科学からの理解や、自分自信の実感として、インプットとアウトプットは同時にできない、とつくづく思います。そして時にはアウトプットの事を考えないでインプットをしたい、幸せな時間があるのです。
昔は心配する家族から「手紙が来ない」「ブログが更新されない」と催促が来たりもしました。(今は全くそんなことはありません。)でも、特にコロナの初期は毎日日本へのリポートのつもりで書き綴ったこともあり、書かない日が続くと(定期的に読んでくださっている方々にご心配をおかけしているのではないか)と思ってしまいます。
でも大丈夫!ブログ更新が無い時は、(今マキコは人生満喫しているんだな~)と暖かく思ってやってください。
今週末の独立記念日も、私たちには珍しく、毎日イベント盛沢山の3連休でした。ゲティーセンターで美術鑑賞をしたり、ご馳走を囲んだ友情交歓をしたり、そしてカタリナ島というロサンジェルスの港からフェリーで一時間程の島で、命がけの大冒険をしたりアザラシやイルカの群れを観たりしました。
皆さんも、素晴らしい夏をお過ごしください!
お疲れ様です。
起承転結、読み手には有難い文章です。
尾根道は、山歩きを連想させます。
遥か昔、北穂高岳と南岳を結ぶ「大キレット」で恐怖のあまり立ち往生しました。
けれど、登山者が列をなし順番を待っており、勇気を鼓舞してわたりました。
山歩きは人生にも似て、偽りの快晴など天候が急変したりします。
ザックは、乱に備えて重装備となります。
頭脳明晰の人は、整理整頓がうまく、自然を相手に沈着冷静です。
槍ヶ岳の山頂は、まさに絶頂でした。
「大キレット」で滑落すれば、この世の人ではありませんから。
人は、この先が判らない生きていられるようです。
小川久男
小川さんは登山家でいらっしゃるのですね。
思い出の数々、ありがとうございました。
真希子