• パリに行ったり、日本での最後の演奏会の成功にホクホク気を良くしていたら、 ヒューストンから速報! 「明日ヒューストンに帰ったら遊べるのを楽しみにしています」と書いた友達から 「博士課程の総合筆記試験が9月の23、25、27、そしてその翌週が口頭でしょ。 しばらくは会えないもの、と思っています。 去年総合試験受けたL君は11週間、毎日12時間勉強したんだってよ! あなたの試験はもう8週間後に迫っているよね。 パリに行ったり、演奏最後までしっかりやったり…大丈夫?」 と、厳しいお言葉を頂戴して、今ちょっと焦燥感。 私の試験はあと「8週間後」ではなく、実は「7週間後」なのです。 ア~… 23日が音楽史全般。 メソポタミア文明から近代までの一般知識を4時間に渡る筆記試験で試されます。 1.語彙を定義する。 2.エッセー(短い物と、長いものをそれぞれ数本) 3.楽譜を渡され、様式を描写する、その時代と作曲家を当てる 25日が音楽理論 中世以降、近代音楽まで、音楽を分析するノーハウを試験されます。これも筆記で4時間。 1.語彙を定義する 2.2つのエッセーを書く。 3.24日、テストの24時間前に渡された楽譜の分析、自分の分析方法に用いた技術の描写、 27日がピアノ全般知識。 ピアノの起源から、その発展、ピアノ奏法に関する作曲家の著作や理論など。これも筆記で4時間。 4時間と言うと物凄く長い時間に思えますが、 過去にテストを取った人は、及第した人も落第した人も(たくさん落第します) 「時間が足りない。絶対に全部の質問に答えきれない」 と、口を揃えて言います。 さらに恐怖は、これ等の筆記試験は全て鉛筆書きすること。 コンピューターは、カンニングの可能性があるので、使わせてもらえません。 手がもげるほど痛くなるそうです。 だから、鉛筆で速記をする練習もしろ!と、色々な人にアドヴァイスされました。 ああ、私はなんて今までのんきに過ごしてしまったんだ! なんで、もっと勉強しなかったんだ! 昨晩は遅くまで、家族がヴィデオ録画しておいてくれた 「初めてのお使い」三時間スペシャルを見てしまった! そしてこの夏帰国中は段ボール箱一杯分の漫画を読んでしまった! 明日、ヒューストン帰国です。カルガリー経由で21時間の空の旅。 機内で勉強するぞ! 愛の鞭、ありがとうございました。 気を引き締めて頑張らねば。

  • 演奏会の出来で、文字通り一喜一憂する。 そして今夜は一喜、一輝! 千葉県の美浜文化ホールは小さいホールで収容150席くらいなのですが、 ピアノとホールの愛称が良く、音がきらきら面白いように転がって、 それにパリ訪問をきっかけに次々と重ねた発見が良かったのでしょう、 自分で言うのもなんですが、みなとみらいからは何枚か皮の剥けた演奏となりました。 勿論、パリでの見聞の一つ一つがインスピレーションになったであろうことも忘れてはいけません。 色々な方との出会い、そしてご支援に恵まれて、今日の一輝、一喜。 ありがとうございます。

  • パリから戻ってきました。 マレーシアのKuala Lumpur 経由で長旅でしたが、そのほとんどを爆睡して過ごしました。 今日は明日の美浜でのリサイタルに向けての練習日です! パジャマも着替えずに練習しています。 それで、そう言うときに起こる発見が又一つ。 私は間違えていた。 日本人、そして東洋人として西洋音楽を専門としていく上で、 「東洋人」と言うのが何なのか、自分のアイデンティティーについて考えたいと思い 組んでみた今年のプログラム、西洋音楽の描く東洋、「ピアノで奏でる東洋」。 でも、人が自分をどう見ているか気にしてみたところで、 「自分」がどういう人間なのか絶対分かりえないのと同じで、 西洋人が歴史上、東洋のイメージをどう発展させてきたか勉強しても、 自分が西洋音楽を専門する上での自分のアイデンティティーはちっとも明確にはなりません。 その代わり分かったのは、 自分のその質疑の元々が結構東洋人としての自分のコンプレックスを反映するものであったこと、 さらに、「東洋」のイメージは結構西洋音楽上、モテモテだった、と言うことです。 もう一つ分かったことがあります。 それは、東洋を描いたフランス印象派の音楽に物語りや感情移入を求めてはいけない、と言うこと。 これ等のレパートリーは『におい』や『味』と似たようなもので、 五感に訴え、曲の中での変化も在りえますが、発展性は無い、禅問答のようなものです。 でも、美しい。 浮世絵に、 その浮世絵が描かれた同じ時代に生きた日本人は色々な物語を見出し、 感情移入したかもしれませんが、 そう言う浮世絵を購入し、それを通じて漠然と東洋を夢見た西洋人には 浮世絵やそう言う東洋のイメージと言うのはむしろ自然現象のような 憧憬の対象でも、感情移入の対象では無かったのではないでしょうか? もともとドビュッシーを始めとする象徴派、印象派の作品は 発展性、物語性、叙情性を目的としていないところが在ります。 まあ、そんなところです。 つらつら。 時差があるから、時間の感覚が狂っています。 もっとずっと練習できると思っていたらもう5時20分! 音だしは9時まで。後ちょっとがんばります!

  • 今日の午後は学会での発表がありました。 私のテーマは「プロコフィエフの3つのオレンジへの恋に置けるオリエンタリズム」です。 20分と言う時間制限、パワーポイントが上手くできるか、など色々心配で、 朝はホテルで2回、タイマーをかけて練習し、 自分のペーパーを読んで事実確認をしたりして過ごしました。 でも、自分のヴェランダからの景色が余り嬉しくて、 スカイプで何度も家族や友達に見せていたり、 お風呂に浸かって居たりブログを書いたりしていたら、 二回通し稽古をしたところで、もう会場に向かう時間が来てしまいました。 私のパネルは13時半から15時までに4人が話しをします。 始めの発表はオランダ人のとても素晴らしそうな年配の女性で、 トピックは「人間の起源―キリスト教、ユダヤ教、イスラム教におけるアダムとイブの比較検討」です。 とても面白かった。自分がもうすぐ発表することを忘れるくらい面白かったです。 そして、この人の発表からいろいろ学びました。 勿論、その発表のトピックについても感心することは沢山あったのですが、 発表の仕方についても。 まず、この人は物語を語るテンポで話しをしました。 物語を語るテンポは、会話のテンポよりも、スピーチのテンポよりもずっと遅く、 抑揚を豊かにする余裕、相手の想像力を掻き立てる『間』を持ったテンポです。 私はホテルの部屋で練習しているときに 「20分でいかに多くの情報を盛り込むか」 と競争のように喋っていましたが、これは撤回! それから、この人は丁寧に皆が絶対知っている常識的な情報を説明し、 それを発展して言ってその人の提示する見解に到達する、と言う方法を取りました。 私は「皆がすでに知っていることを『教授』するように言ってしまうと、 皆、馬鹿にされたような感じで、気分が悪いのでは」と心配していましたが、 そうではない、と分かりました。 すでに知っていることをまず言ってもらうと安心します。 そして新しく提示される見解をすでに知っている事実に結びつけていってもらうと良く分かります。 逆に、新しい情報が次から次へと来ると、疲れてすぐ聞きたくなくなっちゃう、と良く分かりました。 次に、南アフリカから来た若めの女性が 北アフリカに口伝えで伝承されているハイエナと狼の昔話の進化について喋りました。 この人は、皆で早めに来てパワーポイントの確認を一人づつした時に、 私にとても親切にしてくれた人で、ひそかに応援していたのですが、 南アフリカのアクセントが強く、 しかもあがってしまっていたのか、声がひっくり返ってしまって、 ちょっとかわいそうでした。 それからパワーポイントにびっしり一杯書いてあって、 その人の講義を聞きながら読むのは絶対に不可能な情報量で、 これも良くなかった。 その次がいよいよ私の番です! 私は取りあえず、大きな声できちんと発音して喋ろうと思ってそれに集中しました。 私のトピックは音楽が関わっていてすでに変り種だし、 それだけでも皆ちょっと喰らい付いてくれたようです。 そしてオペラの中から例を幾つかヴィデオ・クリップにして持って行ったのも良かったようです。 ただし、会場に私のコンピューターを接続するスピーカーが無く、 パリの、冷房が無く、窓が開け放ってある部屋で道路の騒音が飛び込んでくる教室で、 私のコンピューター内蔵のスピーカーは余りにもか弱く、 皆耳の後ろに手を当てて、一生懸命聞いてくれました。 それだけで、もう嬉しかったです。 午後はお土産のお買い物。 そして、その後の夕食は最初の晩のProcope! 私のリサイタルを特別喜んでくれた、一番前に座っていた理事会の秘書の方や、 発起人のK氏や、 K氏のご紹介でこの学会で初めてお会いした日本の教授で…

  • 昨日は朝は練習と荷造り、 そしてお昼にピアノ付きの借りていたアパートを引き払い (そのアパートの持ち主が旅先から帰ってくるので) パリの中心地(マドレーヌ広場)にある4.3星ホテルに移りました。 部屋には大きなバスタブと、ヴェランダが付いていて、 ヴェランダからはマドレーヌ聖堂と、マドレーヌ広場、そして遠くにはエッフェル塔も見えます。 そして、私がパリの街を歩きながら見上げては恋焦がれた、 小さなヴェランダの上の小さなテーブルと2脚の椅子も! 嬉しい!! 今、そのヴェランダでお紅茶を飲みながらこのブログを書いています。 ホテルに移った後は荷物だけ降ろして、 ドビュッシーの生家があるパリから電車で20分ほどの郊外、サン・ジェルマン・アン・レーに。 パリはとても凝縮されている、人口密度の高い都市なので、 東京のようにやはり込み合った郊外が延々と続くと思いきや、違うのです! Givernyに行ったときもびっくりしましたが、 Parisからでると草木の生い茂る、ほとんど田舎! Saint Germain en Layeはヘンリー4世のお城もあって、 その前には大きな、物凄くきれいな公園が広がっています。 天気の良い日曜日で、この駅で降りた人は多く、その沢山が公園に足を向けていましたが、 でも、それらの大衆を全部吸収して、 まだゆっくりと人を気にすることなく歩き回り、 皆がゆったりとピクニックできる大きさとデザインです。 ドビュッシーの生家の展示室は生憎日曜で休館でしたが、 ドビュッシーは本当の中産階級に生まれたんだな、と実感できる家並みでした。 一戸建て、と言うよりは日本の小さな住宅街の一軒、と言う感じ。 隣り合わせの家の壁がくっつきあってずらりと何軒も連なっている町並み。 でも、とても可愛いです。 その後、ノートルダム聖堂で6時半からのミサに出席しました。 ノートルダム聖堂と言うのは建設に100年以上かかっている大聖堂で、 音楽史上の最初の部分で特に重要だった場所です。 楽譜の記法がはっきりと設立された、対位法の最初の発展がここを中心に起こった、など。 私はそこでのミサにどうしても出席したかった。 オルガンも、聴きたかった。 しかし、最終的に一生の思い出になるのははきっと 私の前の列に座ったきれいな黒人のお姉さんのことだと思います。 だってミサは全部フランス語だし(歌は時々ラテン語)、 それにこのお姉さんは1時間強のミサの間に実に15個ほどの飴を食べたのです。 はじめはその包み紙をゆっくりとはがす音が気になって気が付いたのですが、 小さな葡萄色の硬い飴をこのお姉さんは飲み込んでいるかのように次々と口に入れるのです。 一個の飴が口に入ったその瞬間に次の飴の包み紙をはがし始めている風です。 そして、あ!その一個をその豊満な胸の谷間に落としてしまいました。 そうしたら、あ!臆すること無く右手を自分のシャツの中に突っ込んで20秒ほどその飴を探し、 あ!食べてしまいました。 強烈な印象です。 観光スポットでもあるこの教会、 沢山の国から沢山の信者と非・信者が出席したミサだったと思います。 私のようなもぐりは聖歌も全然歌えず、どこで立つかも、どこで座るかも、見よう見まね。 でも、そんな観光客の分まで頑張る決意を誇示するかのように、 私の左前のめがねの純朴そうな男性は大きな声で言葉をはっきりと発音しながら歌い、 私たちにお手本を示すがごとく、堂々と座り、堂々と立ち、大きな十字を切り、 頑張ってミサに参加をしていました。 そして聖体拝領の前の隣人に挨拶をするやつ。…