• 昨日のブログには、あのあと録音するはずだったし、自分にハッパをかけるつもりで前向きな書き方をしたが、実は録音セッションその一は中々困難な物だった。慣れ親しんだはずのスタジオ、スタインウェイのフルコン、そして長年の今では友達の録音技師なのだが、ピアノは最後の録音からずいぶん音色もタッチも変わっており、マイクのポジションも新しい ―スピーカーから聞こえてくるプレイバックの音も予想よりもずいぶん、はっきりとしており、それが硬くも聞こえる。正直、戸惑った。一瞬プロジェクト全体への疑惑に頭がいっぱいになってしまった。 でも、深呼吸をして対応策を練る。 ピアノは最後の録音(「ハンマークラヴィア」のCD)以来、ずいぶん弾きこまれているようだ。鍵盤が軽くなった感じがする。ハンマーが薄く、硬くなっている感じがする。それなら軽いタッチで、優しく、可愛系の着眼から弾いて見よう。「ドイツ」を意識してしっかり弾くのではなく、ゴールドベルグはフランス舞曲に多くの変奏曲が着想を得ていることにより注目し、「おろす」「つかまえる」「重み」と言うのを「浮かせる」「遊ばせる」「軽さ」と変えて見よう。ピアノと格闘するのではなく、ピアノと遊ぼう。 そして昨日のセッションは自分で言うのも何だが、とても上手く行ったと思う。これからプレイバックを聞く作業をするので、まだはっきりとはなんとも言えないが、少なくとも手ごたえははっきりと在った。セッションが終わってホッとした開放感で、世界中の今までお世話になった人みんなにお礼を言いたいような高揚感!道ですれ違う人に全てにこやかに挨拶した。(そしたらなんと珍しいことにナンパされてしまった。そしてそれも嬉しかった―蛇足) とりあえず、ご報告。ありがとうございます!

  • 金曜日に約2時間ゴールドベルグを録音した。 土曜日(昨日)は4時間かけて、その録音した物を聞き返し、 今日のセッションに向けての反省、さらに取り直したい部分のリストアップをした。 今日は3時間のセッション。ペース配分が重要である。 栄養補給を朝のうちにしっかり行い、軽食をスタジオに持っていく。 常に十二分な水分補給を行う。 録音している時と言うのは、生演奏の時の意識とかけ離れやすい。 効率良いセッションにするために、間違えた音、やり直したい部分をメンタル・チェックしながら弾いてしまい、 音楽に入り込みづらくなってしまう。 しかし幸い、金曜のセッションで一応のバックアップはほとんど出来ているはず。 カヴァーしなければいけない最低限は一応リストアップしたので、 そこの所は一番最初にこなしてしまい、 後は自由に、自分の音楽に専念して見よう。 「私がゴールドベルグの何をなぜこんなに好きなのか聞いてください!」と言う気持ちを大切に 楽しい、と言う気持ちを重視してリラックスして弾こう。 何度も録音しているスタジオの、もう10数年来の友達の録音技師との仕事だけれど、 スタジオのスタインウェイは最後にハンマークラヴィアを録音してからずいぶん変わった。 鍵盤が軽くなり、高音、特にアリアの最初のメロディー部分の音域が薄くなっている。 あまりがちがち弾くと、きつい音になってしまうので、 優しく、優しく、子供に言い含める様に、 軽いタッチで愛らしさ、軽快さ、ホンワカさ、陰り、そういったメルヘンチックな音色を大半に使おう。 この前はあまりに鍵盤のそこまでがちがち弾きすぎてしまった。 がんばって正確に弾こうという意識が鍵盤の底にこだわらせたのだと思うが、 疲労が早く出てしまった。 この頃は睡眠もばっちりとっているし、栄養も十分だし、健康管理にも気を配っている。 今日は、楽しくがんばるぞ!

  • 明日初日を迎えるゴールドベルグの録音を前に、今週の月曜日、友達の家で最後の通し稽古をした。 「月曜日の夜に友達のピアニストがゴールドベルグの通し稽古をするけれど、聞きたい人!」 と夜の11時にメールを打ったところ、次の朝の8時までに13人から出席の希望があったとの事 さらに、出席希望者の数はどんどん増えて、最終的に月曜日には25人ほどの人が集まってくれた。 私の友達でこの会を快く開いてくれた歌手のマルチェラは、華やかな軽食と飲み物を用意してくれていて、 会はさらに盛り上がった。 熱気溢れる会場で、ハドソン川に落ちる夕日を背景に始まったゴールドベルグは 終わるころには外は夜景で、その間1時間10分、会場はピーンと緊張した注目が続き、 弾き終わったら、長い、長い、私が照れてどうしていいか分からなくなってしまうほどの拍手が続いた。 演奏後の質問討議もこれまた充実した熱気を帯びた物で、私はそれだけで天国に上る気持ちだったのだが、 ボーナスは次の日の朝。 演奏後、片付けと積もる話のためにマルチェラの家に一晩と待った私は 翌朝、近くの公園までマルチェラと散歩に行った。 そしたらたまたま出勤途中の、昨晩の会に出席してくれたマルチェラのお友達と出くわした。 「ああ、今もあなたの演奏の事を考えていたのだけれど」 と、そのお友達はせきを切ったように、質問の数々を口にし始めたのだ! お世辞じゃなく、本当にゴールドベルグの事で今の今まで頭が一杯だったんだなあ、と言う勢いだった。 私は本当に嬉しくなってしまった。 私の演奏がどうの、というよりこれはやはりゴールドベルグパワーだと思う。 これからこの曲をCD録音する私がこんなことを言うのも変だけれども、 この曲は録音を聞くのと、生で聞くのとでは雲泥の差が出る曲なんだと思う。 録音で聞くのは、それはそれで価値があると思う。 聞き手が個人的に曲に入り込みやすくなるし、色々な音量で聞くのも醍醐味だと思う。 でも、生で、鍵盤奏者が汗しながら、息を曲に合わせてするのを感じながら聞くと、 この曲は本当に聞き手と弾き手の一体感を促す曲なのだと思う。 この曲は、CDを録音してからも、一年に一回ぐらいライブで一生弾いていきたい。 この曲は本当に人間賛歌、音楽賛歌、そして「生きてて、ピアノ弾いてて良かった」賛歌なのだ。

  • 一昨日の夕方から昨日の深夜にかけて、マンハッタンで非常に盛りだくさんな一泊二日をして来た。忘れてしまうのには忍びないような、貴重な体験を沢山したので、反芻するつもりで書き出してみたいと思う。 まず一昨日、マンハッタンのイーストサイドのモダンな感じの教会で行われた、木管五重奏、Imani Windsによる演奏会に行ってきた。Imani Windsのオーボエ奏者とバスーン奏者は私の学部生時代の先輩で、共演したり、同じ音楽祭に一緒に参加したりした仲間である。彼らは5人とも黒人だ。クラシック音楽界において黒人はまだ少数だ。クラシックの世界そのものが、黒人社会や文化とは少し異質だ、と言う雰囲気も否めない。私も過去に住民が半数以上黒人の町で演奏会をした時に、聴衆は真っ白で、しかし演奏会後街中を歩くと黒人の方がずっと多くて、その落差が印象深かった思い出がある。ハーレム弦楽四重など、今は黒人メンバーから成る室内楽グループと言うのは他にもある(このハーレム弦楽四重のヴィオラ奏者は私の友達で、Youtubeでブラームスのソナタなどを共演しているミゲールです)が、Imani Windsはその先駆けで、今年で結成14年目になる。このグループのホルン奏者とフルート奏者は作曲家でも在り、彼らの人種的背景を面に出した曲の書いたり、委嘱したりしてプログラムに入れたり、また黒人やラテン系の子供が多い学校での出張演奏などの積極的な活動を通じて、かなり注目を浴びている。アルバムもすでに5枚収録しており、その一枚「The Classical Underground」(2006年)は、グラミー賞候補にも挙がっている。 プログラムの最初の二曲は「Afro Blues」と言うMongo Santamariaの作曲をこのグループのフルート奏者が編曲した曲と、ホルン奏者の作曲した「Homage to Duke(デューク・エリントンに敬意)」と言う、非常に人種アイデンティティーを意識した選曲だった。彼らはそれぞれ一人一人奏者としても技術的にも音楽的にも非常に上手く、アンサンブルとしての呼吸、音のブレンドも最高で、最近ピアノやピアノ曲ばかりを聴くことに偏っていた私の耳は飢えていたかのようにこの音を喜び勇んでむさぼった。が、しばらくして落ち着くと私の理性はこういう風に人種的ステレオタイプに甘んじて利用するのに抵抗を感じたりもした。その後の二曲は現代曲でも普通のクラシックが二曲。特にその二曲目のストラヴィンスキーの「春の祭典」を木管五重奏用にJonathan Russellが編曲した物は、技術的難度も高い、長くてスタミナも要する曲で「あっぱれ!」と言う感じで会場全体が拍手喝采で盛り上がった。しかし、私が泣いたのは最後に彼らが演奏したKlezmer Dancesである。日本でどれだけ浸透しているジャンルの音楽か知らないが、私自身が長いこと知らなかったので少し説明させて頂くと、クレズマーと言うのは東欧ユダヤ系の民族音楽である。彼らがクレズマーを、しかも私が聴く限りかなり正確にスタイルに乗っ取ったクレズマーを演奏し始めた時、私は涙がこぼれてしまった。黒人の彼らが少しアフリカ音楽やジャズの影響を作風に取り入れた曲を演奏することに抵抗を感じるのに、白人であれば19世紀の西洋音楽を演奏することを何の問題意識も無く容認する私、そして東洋人であり西洋音楽のピアニストで在る私は一体何なんだ!彼らの美しい、物悲しい、そしてノリノリのクレズマーに向かって、私は涙するしかなかった。そしてさらに私を感動させたのは、そういう問題意識を超越して彼らが実に楽しそうに、自由に、そして本当にお互いを気遣いながら、音楽を作り、会場全体に一体感を投影させたことである。ああいう風に楽しく演奏する、楽しいから音楽をする、と言う姿勢を何だか忘れていたのではないかと、自戒した。 彼らがプログラムのトリに敢えてクレズマーを起用した理由の一つには、聴衆の中にクレズマークラリネットでは今や第一人者であり、彼らの恩師でもある、David Krakauer が居たからでも在る。このDavid Krakauer は学部生時代の私の恩師でもある。非常にエネルギッシュで、純粋に情熱的なこの教授は、色々な生徒に積極的に目をかけ、応援してくれる熱血先生だ。私はまだ若干1年生だった時に、彼にメシアンの「世の終わりのための四重奏曲」をコーチング頂いたのがきっかけで、私の色々な演奏会にありがたくも駆けつけて頂いたり、彼の生徒の伴奏にアルバイトとして起用して頂いたりしてお世話になり、卒業直後に、リサイタルでの共演と言う身に余る光栄を受けてから、何年か一度は共演して来た。私が彼と共演するのはブラームスのソナタなどの普通のクラシックだが、彼はなんと言ってもクレズマーで名前が通っているのでアンコールなどでクレズマーの伴奏も少しはする。そして私はそういうのが、本当に恥ずかしいほど、へたくそなのだ。自分でも、(どうして?)と思うくらい、ノリが悪い。何にせよ、私は彼と昨日の午後、久しぶりにお食事をして、積もる話を沢山交歓した。彼の情熱的生き方はその幼少時代の環境から形付けられている、と思う。彼の母はヴァイオリニストで、父は当時の伝説的ジャズ奏者の治療に多くあたり、ビリーホリデイとも交流のあった心理学者で、Davidはそのころからジャズ、クレズマー、クラシックと多様な音楽や文化に囲まれて育っている。その結果だと思うが、彼は今1940年代の黒人ジャズ奏者とユダヤ人クレズマー奏者の交流を描いた短編小説を手掛けていて、その背景となる、非常に興味深い話を沢山聴いた。主に、1920年代から60年代までの、ユダヤ人と黒人の抑圧された物同士の結束に関する話である。例えば、ビリーホリデイの有名な曲「奇妙な果実」と言う歌がある。 Southern trees bear strange fruit (南部の木になる奇妙な果実)  Blood on the leaves and blood at the root (葉には血、根には血)  Black bodies swinging in the southern breeze (黒い体を揺らす南部の風)  Strange fruit hanging from the poplar trees. (ポプラの木にぶらさがる奇妙な果実)  Pastoral scene of the gallant south (素敵な南部の田園風景)  The bulging eyes and the…

  • 年末年始にNYに帰ってきた際にも見て頂いたのだが、今回もクローデ・フランク氏にレッスンをして頂く幸いに恵まれている。 クローデ・フランク氏というのは、伝説的なピアニストである。http://ml.naxos.jp/artist/81795(日本語では「クロード・フランクだった。。。でも、今までいつもクローデと書いてきたので、このまま一貫して続けます。スペルはClaude Frank)。 兎に角、クローデ史はもう86歳と言うかなりのご高齢で、特に愛妻のリリアンを亡くされてから、少しずつ記憶に障害が見られるようになってしまった。私は始めてレッスンを受けさせて頂いてからもう4年くらいになるが、それでもお会いするたびに私のことを本当に覚えていらっしゃるのかおぼつかない。ところが凄いのが、彼は事実や出来事に対する記憶が曖昧でも、音楽に対する記憶はとてもしっかりしているのである。例えばおととしの夏お会いした時、彼は私の顔をまじまじと見て、こう言った。「私は、君を知っているね。確か君の演奏を聞いたことがあると思う」。私はとても嬉しくて、喜び勇んで言った。「はい!去年の夏に、ベートーヴェンのバガテル、作品127をお聴き頂きました」。ところが彼は不満げなのだ。「いや、バガテルではなかったはずだ。。。」。この年、私はドイツ作曲家の晩年の作品を集めて弾いていた。バガテルはベートーヴェンのピアノ作品の最後だ。でも、私の記憶違いだったか?もしかしたら聞いて頂いたのはブラームスの最後のピアノ作品、作品番号119だったかも。。。「もしかしたら、ブラームスの119をお聴き頂きましたっけ?」その途端、彼の顔がパッと晴れた!「そうだ!そうだよ。君のブラームスの119を聴いたんだった」。。。すごくないですか? クローデ史はとても明るい。音楽が好きで、好きで、たまらない!と言う感じである。私がゴールドベルグを持っていくと、まずリピート付きで全部聴かれて(1時間10分)、それからアリアからそれぞれの変奏曲全てを一つ一つレッスンつけて下さったりする。有に3時間かかる。こちらはくたくたである。それなのに、それが終わってから「それで?今日は他に何の曲を持ってきたの?」と言う。「申し訳ありませんが、もう疲れてしまって弾けません!」とは言わないが、丁寧にお礼を言って、お暇して、その後こちらはバタンキューである。 昨日のレッスンでは、ゴールドベルグは「言うこと無し!」と褒めて頂いたので、まだ暗譜のおぼつかない、モーツァルトの協奏曲KV488をお聴きいただいた。そしたら、とても細かい、とても素晴らしいレッスンをつけて下さったのである。「4小節、一フレーズを一息に、一つの流れで!」「連続16分音符のパッセージ、音の粒をそろえて良しとしないで、それぞれの音に意味を持たせて、ちゃんとフレーズに形をつけて!」オケパートを、「歌う」と言うより音程無しでしゃべる様にリズムと息で、伴奏つけてくれ、時々音楽が前倒しになりがちな私の音楽をしゃんと姿勢を立て直させてくれる。2楽章を弾き終えたら「Beautiful! Beautiful! Don’t expect it to always go that well – that was special! (美しい!すばらしい!いつもこんなに上手く行くと期待しちゃあ、ダメだよ。今のは本当に特別だったんだから)」と手を打たんばかりに手放しに喜んで褒めてくれる。一緒に歌って下さったからあんなに綺麗に弾けたんですけど。。。でも、本当に素敵な瞬間でした。 クローデ史は本当に音楽の天使のような人です。私もああいう人になれたら、と思います。