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社交に措けるお酒、コーヒー、タバコ

今週末は私にしては珍しく、かなり夜更かしをして遊んだ。 木曜日、金曜日、土曜日とも午前様をした。 私は自称して「一匹狼」だが、その私がこんな行動に走ったのは、博士課程セミナーで皆で取った性格診断のテストの結果が一つにある。Myers and Briggs と言う「コミュニケーション」「決断力」「変化に対応する能力」「困難にな状況に対応する能力」を図る性格診断(私はタイプINFP)、Strong Interest Inventoryと言う職務適応を図る性格診断(私はタイプAIR;Artistic/芸術、Investigative/調査、Realistic/実際),そして最後に社交に置ける行動を図るFiro-Bテスト。 まず最初のMyers and Briggsで私が「内気」と出たのに驚愕する人(特に家族)は多いと思うが、面白かったのはこのテストの解釈を一人一人に丁寧にしてくれるのだが、私の場合「表現力」と「想像力」が平均をはるかに超えて多く、この「表現力」の為に私を「外交的」と思う人が多い、と言われた。…ドンぴしゃり、当たっている…ただ、私を「友好的」と判断して近寄ってくる人の多くは私が余り積極的に喋らないので拒絶された様な気持になってしまう事がある、とも注意された。 もう一つ社交に置ける行動を診断するFiro-Bでさらにショッキングな事が在ったのである。これは、「仲間入り」、「コントロール」、そして「愛情」と言う三つのカテゴリーで自分がいかに積極的にこの3つを表現するか、そして一方内心どれくらいこの3つを欲しいと思っているか、図るのである。博士号の他の3人、そして一般にはこの「積極的に表現」と「内心どれだけ欲しいと思っているか」と言う数値は大体同じである。(仲間に入れて欲しい)と言う気持ちが「3」在るとしたら、大体それくらいそのことについて周りに働きかける。ところが私の場合、仲間に入れて欲しいと密かに思う気持ち、そして愛情を欲しいと密かに思う気持ちはそれぞれ7なのだが、大してそれに付いて働きかけるのは1、そして2なのである。何だこれは!私が「一匹狼」と大声で(ブログでも)宣伝しているのは、実は強がり、と言う事ですか??そしてそういう風にはっきり数値に出されて言われてしまうと、何だか自分でも「実は長年そうだったんです。。。」と泣いてしまいたい様な気持にもなって来る。カウンセラーの人には「あなたはこのままでは欲求不満になってしまうから、もう少し意識して働きかけるようにしてみたら。。。」とアドヴァイスを受けた。ふ~ん。。。 と言うわけで、午前様なのである。このテストは、これから博士課程を一緒に学んで行く同じクラスの4人がそれぞれどういう性格で、一緒にプロジェクトなどで協力しなければいけない時、お互いどう言う傾向を持っていて、どう言うフォローを必要としているか、と言う事を学ぶ、と言う意味も在ったので、結果はクラスで公表された。そして私の1、7に妙に感心してくれたクラスメートが今週末は何だか積極的に私をパーティーに誘ってくれたのです。そして私は積極的に宣伝するのは「私は一匹狼!」でも、内心密かに「仲間に入れてもらいたい」と思う気持ちは7だから、誘われれば付いて行くのである。特にカウンセラーに「もっと積極的に愛情や、社交を求めて働きかけてみては」とアドヴァイスされてしまった暁には3晩続けてデモ、行くのである! 私は普段余りお酒の場には出ないので、お酒を飲む場所の文化と言うのが妙に目新しく、物珍しく、それがまず楽しかった。それからお酒を飲んだ人たちが割と豹変して、突然ずっと素直に正直に感情露出を始めるのにも感心した。また、夜が更けて来てから飲むお酒と言うのは、疲れていても気分を高揚させてくれるものなんだ、と言う事も実感した。そして一緒にお酒の場を共にした人、と言うのはお互いに何となく親近感が湧くものである。 ところがここで問題が在るのである。夜遅く、疲れているのに気が付かない程お酒を飲んで盛り上がった次の日はコーヒーを飲まなければ使い物にならない。ところが、コーヒー屋と言うのもまた社交の場なのである。 さらにさらに、タバコを吸うグループと言うのも同じような社交の役割を果たしている事を最近発見した。「え?この人とこの人がなんで友達なの?」と言う様な二人が結構親密だったりして、それは皆「タバコサークル」のおかげなのである。アメリカでは喫煙に関する法律がどんどん厳しく成って来ていて、「入口から何メートル以上離れた場所で喫煙するように」とか「開け閉めが可能な窓からは何メートル以上離れて喫煙するように」とか色々なルールがいたるところに張り紙されている。炎天下でも、零下でも、このルールを守って凍えたり、汗だくになりながら喫煙している少数派の彼らはそれこそ親近感が湧くわけである。 面白い。。。 私はこれからも積極的に仲間入りを求めて行くべきだろうか?それと、練習・勉強・仕事はどうやれば上手くバランス出来るのだろうか…?

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コンピューター命!

無理である。 今日一日頑張ってみたが、 コンピューターと絶縁するのは無理なのだ。 勉強をするのも、情報源のほとんどはインターネットである。 図書館に行っても、まず読む本、そして本の居場所を探すのがインターネットなのだ。 教授とのコミュニケーションも電子メール。 ペーパーを送るのも電子メール。 そしてペーパーも勿論コンピューターで書くのである。 音楽を聴くのだってインターネットである事が多い。 もうコンピューターと死ぬまで付き合うしかない。 と、言う事でブログも今まで通り更新しますので、よろしくお願いします。

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コンピューターの時間

ヒューストンに来る直前に読んだニューヨーク・タイムズで、心理学者、神経科学者、社会学者などが集まって5日間ほどキャンプをし、携帯やインターネット無しの生活がどういう影響を及ぼすか『実験』すると言う記事が一面に写真入りで載った。何だかのんびりした記事に思えたが、デモ実は結構深刻なトピックなのかも知れない。 この実験に参加した学者たちは皆一日に何度となくメールや携帯をチェックする「電波常用者」たちだったが、特にその中の一人は実験の主旨を理解し、同意して参加しているにも関わらず掟を破って「今大事な研究費用が下りたかどうかの瀬戸際だから」と言って、移動中も電波が届く限り際限なくメールをチェックした。そして電波が届かなくなったら何とか電波が届く場所を見つけようと努力した。しかし5日間の電波無しのキャンプ生活を終えて最後に振り返った彼は「別に研究費用が下りたか下りないか、知った所で旅の途中でどうする事も出来ないし、メールを何度もチェックする必要は無かった」と反省している。この『実験』に参加した全員が「電波無し」の五日間を経てより精神的に健康的、のびやかになった、と良い、まるで電波に支配されるかのような現代人の生活を「病的」として、定期的な電波からの休憩を奨励している。 メールを出すと、瞬時置かずに返信が来る場合がある。そうするとこちらもすぐ返信しなければ失礼な気持ちになってしまう。私はfacebook(ミクシ―に似た、ソーシャル・ネットワークのサイト)と二つのメール・アドレスを持っているので、一度コンピューターの前に座るとその三つをぐるぐるしてしまったりする。facebookに来たメッセージに返信したり、遠距離友人とのチャットに深入りしてしまったりしている間に、(ホットメールにメールが来ているかも知れない)、(一時間前に先生に出したレッスンの時間変更のメールに返信が来ているかも知れない)、とホットメールもチェックし、そうしているうちにまたfacebookが気になって(友達から今度の夕飯の時間に付いての返信が来ているかも知れない)ぐるぐるしてしまうのだ。一日何度となくメールをチェックしてしまったりする。こうなるとどっちが本業か分からない。コンピューターか、音楽か。 インターネットには感謝しているのだ。アメリカに単独で住んでいる日本人としては、家族や日本の知人・友人と簡単に連絡が取れるのは実に嬉しいし、メールが来るのは毎回嬉しい。ただ、どうやって一番有効に、かつ自分の他の活動に食い込む事無くこのテクノロジーを使いこなすか、ちょっと思考錯誤しているのだ。コンピュータによる眼の疲労、そして神経の覚醒作用と言うのも、馬鹿にならない日常的影響を私たちに及ぼしていると思う。 この何年か、夜寝る前に必ずメールをチェックし、朝起きて一番にコンピューターの電源を入れていた。それを辞めようと思うのだ。コンピューターは一日一時間半に制限してみよう。どうだろうか?出来るだろうか? と、インターネットで声を大にするのは、可笑しいだろうか?

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文武両道…!?

昨日のブログに書いている様に、ストラヴィンスキー、August Read Thomas、Bernard Randsと言った 「私は旅先でも、移動日でも、日課の作曲(とか練習とか)は絶対に欠かさない!」 と胸を張っているグループが居る一方、私の同下宿人のソフィアの様な人もいる。 彼女はポスドク(博士課程を修了した後、リサーチ・アシスタントとかインターンとして経験を重ねる)で 生物学のデータをコンピューターで幅広く分析する専門家だが、同時に凄く積極的なサイクリストで、 ヒューストンをくまなく自転車で探検している。 あそこの動物園、ここの植物園、ここのバー、海岸、美術館と、次から次へ私に報告してくれる。 それからcritical massと呼ばれる社会運動にもせっせと参加している。 これは車社会に対抗して自転車ライダーたちが大勢集まって道路を堂々と走り、 自転車の良さをアピールし、自転車の道路上での権利を主張をする、と言う運動で、 私はソフィアの話から初めてこの運動の事を知ったが 実は1992年から世界中300都市で定期的に行われているらしい。 私はこの頃調子が出ずに、何だかうつうつとしていて(ソフィアは良いなあ、楽しそうだなあ)と思っていた所、ソフィアが昨日「私は週末になるたびに『本当はここで勉強するべきかも、リサーチをもっと深くしておくべきかも』と言う迷いを振り切って2日間丸々休む。そうすることによって月曜日から金曜日まで110%の力を発揮できると信じているから」と言ったのに触発されて、今日は丸一日音楽から離れてソフィアと一緒に行動する事にした。 まず、朝の7時半から自転車競技のグループに参加。 ソフィアから「このグループは私でも追いつけない程速いからね」と念を押されたが、 私は「成せばなる、成さねばならぬ、何事も」と静かに応え(うそ) ソフィアの金魚のフンとなって付いて行った。 。。。が、出発点に付いてびっくり。 皆ランス・アームストロングの様な、ぴったりとした「自転車ウェア」を着用し、 いかにも競争用の自転車にまたがり、さらに筋肉ムキムキの太ももとふくらはぎで しかも参加者の95%が男性なのである。 私はT-シャツに半ズボンで、またがっているのは60ドルで購入したママチャリである。 ソフィアもちゃんと、「自転車ウェア」を着用し、彼女の自転車はそれ用のきちんとしたものである。 帰ろうか、と思ったが、「なるようになるさ」と思い、とりあえず一緒に出発した。 彼らが漕ぐのを見ていると、 「自転車と言うのは自分で勝手にスイスイと進んでくれるから『自転車』と言うのだなあ」 と言う感じがする。 対して私のママチャリは「他転車」なのである。 外からの力(―この場合、わたくしマキコ―)が必死に転がしてやっと動く車。 周りが「ツイ~~、ツイ~~」と優雅に漕いで行く横で、 私は彼らの倍の速さで「フンコ、フンコ、フンコ、フンコ」とペダルを踏んでも まだ全然追いつかないのである。 まず、私のタイヤは円周が彼らのタイヤの3分の2位しか無い。 そしてタイヤの幅も車体その物も彼らの自転車に比べてずっと無駄が多く、 自転車そのものが重い。 私の筋力の無さを計算に入れずとも、これは無理な競争なのである。 それでも私は頑張った。 ソフィアが口をアングリ開けるくらいの勢いで漕ぎまくり、 赤信号で皆が足止めを食らう度に遅れを取り戻し、 一時間半の行程の45分までは何とかくっついて行ったのである。 それだけでもう物凄い達成感。 後はソフィアが私を置き去りにする前に情けで投げてくれた地図を頼りに 気ままにゆっくりお家まで漕いで帰りました。 汗をシャワーで流してからはソフィアと美術館巡りをしました。 今度Da Camera of Houstonのプログラムの一環として演奏する会場は De Menil Collectionと言う美術館です。

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眠れない夜に見る「まんが日本昔話」

昨日の締め切りを終えて、泥の様に昼寝をしてしまったお陰で 昨晩は大変疲れているにもかかわらず夜中に目が覚めてそのまま寝付けない状態になってしまった。 そういう時は眠れるために色々試す。 #1水を飲む。 #2深呼吸をして、身体チェックをする(頭のてっぺんからつま先までちゃんと脱力できているかどうか) #3数を数える。 それでも寝付けなかったら、何か読む。 まだ寝付けなかったら、これはもうYoutubeしか無い! こう言う時にYoutubeで過去の巨匠の名演奏でも聞けば私はもっと上達できるのかも知れないが、 こう言う時は絶対に日本のコマーシャルとか、映画の予告編とかを見てしまう。 そして最後に落ち着くのが、決まって「まんが日本昔話」なのである。 何だかナレーションも、声優さんも、テンポがとってもゆっくりで、なごむ。 絵もなんだかとってもほっこりしているし、ストーリーラインもほのぼのとしている。 きっと「まんが日本昔話」の製作者はその作品が 海外の日本人の眠れぬ夜の心のよりどころになるなんて、 製作当時は思いもしなかったのでは? でも、なっているのです。 ありがとうございます。

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