博士論文

Sublime and Beautiful

今、文献をが~っと読んでいる。 3章目を書き始める下準備で、どの本を読んでいても必ず何等かの形で引用されている 19世紀ロマン派思想と文化史に音楽史を照らし合わせると言う教科書のような本。 どうしても避けては通れないと言う感じだったので腹をくくって専念して読んでいる。 Carl Dahlhaus ”Nineteenth-Century Music” English translation by J. Bradford Robinson, University of California Press/Berkeley, Los Angeles. 1989 む、難しい… イントロでまず最初に19世紀の政治史をバーっと出されて 「1830年の革命がこの様な音楽的傾向を引き起こしたとする音楽学者は多い」とか。 でも、私は『1830年の革命』がまず何たるかを知らない。 あわててWiki.…おお、そうか、そうだったのか~。 そういう作業をカタツムリのように続け、 やっと政治史の箇所を読み終わったと思ったら結論が 「要するに、政治史と音楽史に重要な関連性は見られない」 が~~~~~~~ん。…。 私の4時間を返して… しかし、やっぱり新しい情報を取り入れていくと言う作業は楽しい。 ワクワクして、次は何を提示してくるんだろう、と待ちきれない気持ち。 その中でたった今、どでかい概念にぶちあったった。 「Sublime and Beautiful」 これは私も聞いた事があるぞ! しかも、ロマン派を理解する上で非常に大事な概念だと言うことくらいは知っているぞ! と、言うことで、ブログに書いて復習。 まず最初に、今私たちが「ロマンチック」と言うときに意味する いわゆる感情的に「甘い」「心地よい」「美的」と言う感覚。 これは実は19世紀では無く、18世紀の考え方に基づいている。 啓蒙主義と、貴族と教会の絶対権力の崩壊を経て、 個人の思想と言うものが重要視され、教育の権利が広まった。 それまで沢山の文化活動にアクセスする機会を持ちにくかった社会階級が 一挙に公開演奏会などに聴衆やアマチュア奏者として参加するようになり、 そして音楽に求めたものは「感情」だった。 感情を呼び起こさない音楽はただのノイズとされた。 しかし本当の意味での音楽に於ける「ロマン派」が確立するのは19世紀。 私の拙い和訳でDahlhausの引用をどうぞ。ちなみにページ88です。 19世紀の音楽美学の一般を、音楽を人間的行為のヒエルアーキーの一番上に押し上げようとする努力だったとすることは可能である。E.T.A. Hoffmanは純粋な器楽音楽―ハイドン、モーツァルト、そしてベートーヴェンの交響曲―を音楽以外の高尚な概念に基づき、「永劫」と「絶対性」を垣間見させるものだとした。リストは彼の交響詩に於いて、文学や伝説の傑作を音楽と言う言語に置き換えることで器楽曲をより高尚な物にしていると考えていた。二人共、Eduard Hanslickが言うように、音楽と言う物を「知性に影響を及ぼす可能性を秘めたもの」とした。 It is possible […]

Sublime and Beautiful Read More »

女流ピアニストの進出がピアノ演奏様式を変えた!

論文を書くための文献を読んでいると、その文献が引用している文献で 「ああ、これは読んでおいた方が良いな~」と言う物がどんどん出てくる。 元気な時は「やった~!この本にはどんな新情報が??」とワクワクする。 「私の論文は本当に終わるんだろうか」と不安になっている時は「Oh no…」と ちょっとだけ思う。 その「Oh no…」の時に見つけてしまい、昨日まで読まなかった記事に昨日びっくり! 私が「こうだったんだろうなあ」と想像で書いていて 「でもこんな事断言しちゃってよいのかしら」と不安を覚えていたことの沢山が この32ページの記事で一挙に裏付けが取れてしまったのです! 、 Katharine Ellis著、Female Pianists and Their Male Critics in Nineteenth-Paris Journal of the American Musicological Society, Vol. 50, No. 2/3 (Summer – Autumn, 1997), pp. 353-385 Published by: University of California Press on behalf of the American Musicological Society Stable URL: http://www.jstor.org/stable/831838 もう「ばんざ~い!!」と言う気持ち。 何が書いてあったのか。

女流ピアニストの進出がピアノ演奏様式を変えた! Read More »

バランスが・大事と自覚はしながらも・私は熱血没頭タイプ。

事あるごろに(私はなんて没頭・執着・熱血型なんだ!)と感嘆する。 練習と論文をバランス良く、と朝起きたところでは思っていても、 論文始めると、一日がアッと言う間に過ぎてしまう。 練習やっているといつまでも練習したくなってしまう。 更に、メール対処で一日を始めると、一日の大部分が溜まっていたメールの返信で終わってしまう。 昨日は、ず~っとしなきゃと思っていた掃除と、衣替えとかそういう事を始めてしまった。 気分転換になるかな~と思ったのと、 2章を書いている段階で部屋中に文献が散乱し、 それはそれで2章目には丁度良い具合に2章に重要な文献が上の方に浮いてきていて 足の踏み場はどんどん減ったが、2章執筆のためには丁度良い具合だったのだが、 2章が一応終了した段階で、3章に必要な文献がどこに埋もれているか不明な状況で、 結構切実に掃除が必要だったのだ。 ところが! 掃除を始めたら、洗面台も磨きたい!キッチンシンクもごしごししたい! 溜まっていたリサイクル用のごみもきれいに整理してリサイクル場に持っていきたい! さらに風呂桶、とか机の上とか、もう一生懸命になってなんだか大掃除をしてしまい、 気が付いたら論文を書かずにレッスンを教える時間になってしまっていた。 でも! 私の部屋はとってもすっきり。 文献は完璧に整理された。 よし! 体制が万全に整いました。 これからまた、頑張ります。

バランスが・大事と自覚はしながらも・私は熱血没頭タイプ。 Read More »

論文は・ピアノと同じで・完成は無し・上達目指して・今日も頑張る!

昨日の夜、物凄い達成感と共についに博士論文の2章目を完成した! そして今日、論文指導の先生との面会があった。 非常に適格な、アドヴァイスを沢山頂いたので、ここで覚書。 1.When ideas are big, sentences should be short. (語る概念の大きさに、文章の長さを反比例させる) 大きな概念について語る時、概念その物と概念に対する形容などを同じ文章に居れてしまうと、読者は何度もその文章を読み返して理解しようと努力する。そうするとその概念がどのように論点の後先につながっているのか忘れてしまう。分かりにくい事こそ、簡潔に言い切る。 2. Be very concise/precise on the background context to the immediately related parts. (歴史や文化の背景の描写や説明は、自分の論点に直接的に関係のあるものに限る) 例えば私は暗譜の起源を語る時、農業革命、工業革命、中産・ブルジョア階級の社会的進出、啓蒙主義、個人主義、ロマン派思想、自然主義、と言うことを全て大まかに説明してから、「音楽でも、自然主義の哲学に乗っ取って、理論では無く感覚的に楽しめる音楽が好まれるようになる。さらに、個人主義の思想に乗っ取り、一人でも演奏可能なピアノが好まれる。貴族社会崩壊、さらに農業革命と工業革命の結果としての人口の都市密集などにより中産・ブルジョア階級の社会進出、さらにそれに伴う演奏会様式の変容…」と言う風に論理を展開する。 こうなってしまう理由は、自分自身がそういう歴史的背景に対する知識が浅く、自分が発見解明していく過程をそのまま順を追って書いているからなのだが、こうすると読者は「自分は暗譜の歴史について読んでいるつもりだったのに、なぜ筆者は19世紀の社会変動について書き連ねているんだ…?」と途方に暮れてしまう。さらに「こんなこともう知ってるよ~」と言う読者も居るかもしれないし、あるいはそういう事を全然知らなくって「あんたはそう思っているかも知れないけれど、この連鎖的社会変動が歴史的絶対事実だと言う証拠はどこにあるのよ~!」と思う人も居るかも知れない。後者を満足させるだけの情報量にページ数を費やす余裕はこの博士論文では無い。そして前者の読者にはこの情報は全く不要。と、言うことでこの歴史的背景の大まかな説明は全て割愛! …と教授に言い渡されて、私は口をとんがらせてしまった。そして私の反論。 私はこの論文を書き始めるまで、こういう19世紀ヨーロッパの社会的背景について本当に知識が浅かった。私には自分の論点を展開する上で、背景について勉強する必要性があった。私の論文テーマは私と似た様な音楽教育を受けてきた人たちに需要が高い情報を提供している。彼らが読むことを想定するならば、この背景をこの論文に居れることは(学術論文的には蛇足でも)許容されても良いのじゃないか? …教授は優しい人なので、私の不満げな顔を見て、一生懸命考えたうえで、こういう提案をしてくれた。 それなら、論理展開の順番をさかさまにしてみたらどうか? 例えば、『19世紀前半の演奏会様式は(云々)だった。なぜならば背景に個人主義(あるいは自然主義、ロマン主義、云々)があったからである』 よし!これならできる。 書き直すのはちょっと面倒だし時間もかかるが、これならできるぞ~。 3. Always be clear about how each point you’re making relates to your thesis 論文に触れる全ての点と自分の最終論点との関連性をいつも明確に提示する 上の歴史的背景でもちょっと触れたが、兎に角「暗譜の起源・発展を語る上でこの情報は見逃せない!」と言うアピールを常にすることによって、読者を論理の展開に乗せて、飽きさせない。方向性をしっかりと提示することによって、読者が安心して次の文章へ読みたい気持ちを募らせるようにする。 4. Every point

論文は・ピアノと同じで・完成は無し・上達目指して・今日も頑張る! Read More »

書けぬなら、美食で触発、論文執筆。

博士論文を書く作業と言うのは色々と挑戦が多い。 意外だったのは寂しさ。 (自分は何て意思が弱いんだ!どうして論文書く時間にFacebookばっかり見ちゃうんだ!) と一時期本気で嘆いていたが、 勉強パートナーが幸い見つかり、一緒に勉強するようになって一気に解決した。 時々息抜きで冗談を言い合ったりする以外は ただ隣に座ってそれぞれ文献を読んだり、激しくタイプしたりしているだけなのだが、 安心するのだろうか…スっごく捗る。ありがたい。 次に挑戦は細微にこだわりすぎるあまり、大きな論理を見失ってしまう現象。 これは自覚すること、そして論文の専門家に読んでもらって批評してもらうしかない。 そして文献のあまりの多さ。 読めば読むほど新しい見解が増えていき、自分の中でまとまりが無くなってしまう。 どこまで読めば良いのか、どこからが読み過ぎなのか、と言うことを見極める勇気が、 非常に重要だけれど、重要度に比例して中々困難。 さらに、言いたい事が決まっている時、 自分では頭の中でもう嫌と言うほど反芻した事実を、 今までそんな事思ってもみなかった読者にきちんと伝わるように筋立てて書き出す、 と言うのは、中々難しかったり、逆に簡単すぎて退屈だったり。 それを律儀にこなすのも挑戦。 こう言う挑戦の一つ一つが時々、気持ちを弱らせてしまったりする。 そういう時の一番の応援は美味しいお食事を楽しく友人と談笑しながら頂くこと。 誘われて(ああ、でも論文が…)とか思いながら、 それでも約束の時間になって無理やり外に出ると、 頭の中がもやもやして、友人を見つけた時の笑顔もいつもの半分くらいなのを 自分でも自覚したりする。 それが、メニューを読みながら色々な料理を想像していくと、段々楽しくなって来て、 ついに料理がでて、それが美味だったときに、パッともやもやが晴れて (おいし~!!!!)と一気に元気になる。 食のパワー、そしてそういう食に誘ってくれる友情のパワーは素晴らしい! 皆、いつもありがとう!

書けぬなら、美食で触発、論文執筆。 Read More »