金曜日に約2時間ゴールドベルグを録音した。 土曜日(昨日)は4時間かけて、その録音した物を聞き返し、 今日のセッションに向けての反省、さらに取り直したい部分のリストアップをした。 今日は3時間のセッション。ペース配分が重要である。 栄養補給を朝のうちにしっかり行い、軽食をスタジオに持っていく。 常に十二分な水分補給を行う。 録音している時と言うのは、生演奏の時の意識とかけ離れやすい。 効率良いセッションにするために、間違えた音、やり直したい部分をメンタル・チェックしながら弾いてしまい、 音楽に入り込みづらくなってしまう。 しかし幸い、金曜のセッションで一応のバックアップはほとんど出来ているはず。 カヴァーしなければいけない最低限は一応リストアップしたので、 そこの所は一番最初にこなしてしまい、 後は自由に、自分の音楽に専念して見よう。 「私がゴールドベルグの何をなぜこんなに好きなのか聞いてください!」と言う気持ちを大切に 楽しい、と言う気持ちを重視してリラックスして弾こう。 何度も録音しているスタジオの、もう10数年来の友達の録音技師との仕事だけれど、 スタジオのスタインウェイは最後にハンマークラヴィアを録音してからずいぶん変わった。 鍵盤が軽くなり、高音、特にアリアの最初のメロディー部分の音域が薄くなっている。 あまりがちがち弾くと、きつい音になってしまうので、 優しく、優しく、子供に言い含める様に、 軽いタッチで愛らしさ、軽快さ、ホンワカさ、陰り、そういったメルヘンチックな音色を大半に使おう。 この前はあまりに鍵盤のそこまでがちがち弾きすぎてしまった。 がんばって正確に弾こうという意識が鍵盤の底にこだわらせたのだと思うが、 疲労が早く出てしまった。 この頃は睡眠もばっちりとっているし、栄養も十分だし、健康管理にも気を配っている。 今日は、楽しくがんばるぞ!
明日初日を迎えるゴールドベルグの録音を前に、今週の月曜日、友達の家で最後の通し稽古をした。 「月曜日の夜に友達のピアニストがゴールドベルグの通し稽古をするけれど、聞きたい人!」 と夜の11時にメールを打ったところ、次の朝の8時までに13人から出席の希望があったとの事 さらに、出席希望者の数はどんどん増えて、最終的に月曜日には25人ほどの人が集まってくれた。 私の友達でこの会を快く開いてくれた歌手のマルチェラは、華やかな軽食と飲み物を用意してくれていて、 会はさらに盛り上がった。 熱気溢れる会場で、ハドソン川に落ちる夕日を背景に始まったゴールドベルグは 終わるころには外は夜景で、その間1時間10分、会場はピーンと緊張した注目が続き、 弾き終わったら、長い、長い、私が照れてどうしていいか分からなくなってしまうほどの拍手が続いた。 演奏後の質問討議もこれまた充実した熱気を帯びた物で、私はそれだけで天国に上る気持ちだったのだが、 ボーナスは次の日の朝。 演奏後、片付けと積もる話のためにマルチェラの家に一晩と待った私は 翌朝、近くの公園までマルチェラと散歩に行った。 そしたらたまたま出勤途中の、昨晩の会に出席してくれたマルチェラのお友達と出くわした。 「ああ、今もあなたの演奏の事を考えていたのだけれど」 と、そのお友達はせきを切ったように、質問の数々を口にし始めたのだ! お世辞じゃなく、本当にゴールドベルグの事で今の今まで頭が一杯だったんだなあ、と言う勢いだった。 私は本当に嬉しくなってしまった。 私の演奏がどうの、というよりこれはやはりゴールドベルグパワーだと思う。 これからこの曲をCD録音する私がこんなことを言うのも変だけれども、 この曲は録音を聞くのと、生で聞くのとでは雲泥の差が出る曲なんだと思う。 録音で聞くのは、それはそれで価値があると思う。 聞き手が個人的に曲に入り込みやすくなるし、色々な音量で聞くのも醍醐味だと思う。 でも、生で、鍵盤奏者が汗しながら、息を曲に合わせてするのを感じながら聞くと、 この曲は本当に聞き手と弾き手の一体感を促す曲なのだと思う。 この曲は、CDを録音してからも、一年に一回ぐらいライブで一生弾いていきたい。 この曲は本当に人間賛歌、音楽賛歌、そして「生きてて、ピアノ弾いてて良かった」賛歌なのだ。
同じ屋根の下で一ヶ月同じ釜の飯(と言うより、主にパンとパスタ)を食べたピアノフェストの仲間と火曜日に抱き合ってわかれをしのんでから今日で四日目。ひたすら、静かな時間をむさぼっている。外ではウサギがはね、リスがたむろし、鳥が飛び交う、天国のような気候。その中でベランダに座って、ゴールドベルグの色々な録音を聞きまくり、色々な出版社の色々なゴールドベルグの印刷を見比べ、イメージを固め、録音のために解釈を固める。 生演奏では、出たとこ勝負のような、その会場の雰囲気、お客様から受け取る「気」などに自由自在に反応した、その時だけの演奏、というのが出来なければいけないと思う。そういう包容力を残した、準備をする。 でも、録音と言うのはまったく別物だ。これは残るものだし、ある程度確固たる、確信を持った自信を持って録音が出来る、一貫して同じ効果で弾ける、きっちりと筋の通った解釈を決めなければいけない。 がんばっている。
私が今参加しているPianofestの在るEast HamptonはNYに住む金持ちが避暑用の豪邸別荘地として有名です。こういう人たちは、すでに退職していたり、特に職業を持っていない人が多く、音楽鑑賞や、芸術関係、またボートや車などの趣味に生きている人が多い様です。そういう人たちのスポンサーによって私が今参加している様な音楽祭が実現するわけです。 今日はPianofestの個人スポンサーの一人で在るドイツ人の女性のお家で、彼女と彼女のお友達のためにゴールドベルグをリピート付きで演奏してきました。私はゴールドベルグを8月にCD録音する予定で、今リピート(とそれに伴う装飾や即興)付きで演奏するために特訓中。この音楽祭の音楽監督に、「なるたけ沢山、人の前で通し稽古をしたいので、助けて下さい」と頼んだところ、このホームコンサートが実現されたわけです。 個人宅とは思えないような豪邸。見渡す限り広がる花咲き乱れる庭にはハンモックがぶら下がっています。「天国」と言われたら、こういう場所をイメージする人も居るかもしれない。私のミニ・コンサートのためにこじんまりとした、でもとてもおしゃれな飲み物とおやつの用意がお客さんのためにしてあり、居間にあるスタインウェイはきちんと昨日調律されていました。 日本でのゴールドベルグの演奏はリピートをせずに大体40分程度でしたが、リピートをした場合はざっとその倍の80分かかります。そしてやはり疲れた。腕も疲れたし、脳みそが疲れた。耳も疲れました。でも、だから達せられる境地、というかナルヴァーナのような感じも味わいました。そしてリピートをするから聞こえてくる物もある。実現できる声部の比較検討もある。全部弾き終わった時は本当にタイム・トラヴェルから帰ってきた浦島太郎のような気持ちがしました。 そして、みんな物凄く喜んでくれたのです。「それぞれ、全ての瞬間を楽しみました」と言って下さったイギリス出身のヴィクトリア。ホストのブリジットは「また、是非やりましょう。いつ来れますか?」と言ってくれました。「バッハは神様みたいですね」と言って下さった方も居ました。 とても、とても嬉しかった。 大成功!
Pianofestの様な音楽祭に参加する醍醐味は色々在るが、やはり一番大きいのはこういう場所で培う友情だと思う。寝食共にして、色々語り合い、音楽について、人生について語り合って、自分の考えを掘り下げ、人の考えに触れる。でもまじめくさってやるのでは無く、たいていお酒や食事や、ゲームや遠足や、海岸でのごろごろをしながらするから、楽しい。 今回の参加者は14人。その中で遊びを仕切りたがる人は2人くらい居るが、一人は偶然ゴールドベルグを勉強中だ。この男の子はいかにも3枚目で、ゲーム中にもわざと一番おどけて見せたり、大げさに失敗して見せたり、冗談も下ネタが多く、なんとなく私は自分よりもかなり年少な後輩として見ていたが、経歴を見てびっくり!イエール大学の物理で学部を卒業した後、修士をピアノで修めた秀才なのである! お互い弾きあいっこなどして意見交換などもしたが、それよりも何よりも、同じ家で練習していると、お互いの練習が聞こえてくる。そして何だかいろんな解釈が影響されあってしまうのである。面白く、そして空恐ろしい… Pianofestでは生徒の演奏会が毎週月曜日と水曜日にある。今シーズン最初の演奏会でこの3枚目の彼がゴールドベルグの15分ほどの抜粋を弾いた。ところが、全コンサートのオープニングで在ったにも関わらず、聴衆の中で船を漕ぐ人が、何人も…彼はきちんと弾いていたのだ。でも、その後のドビュッシーやショパンやベートーヴェンに比べて色あせてしまったのは否めない… ゴールドベルグを勉強すればするほど、その緻密さ、スケールの大きさ、構成の巨大さに圧倒されて謙虚になり、兎に角ゴールドベルグを仲介する透明人間的な存在になりたくなってしまう。でも、それではダメなのだ、きっと。演奏は演奏。積極的に表現しなければ、ゴールドベルグまで透明で存在感がなくなってしまう。 改めて、難しいなあ、と思い知らされる。