音楽人生

教職、そしてコミュニティーカレッジの現実

今年の誕生日は火曜日だった。 火・木の午後はLone Star Collegeで教える日。 「おやつを持って来るから。そして私のしたい授業をするから!」 火曜日が誕生日だと言うことはクラスに宣伝してあった。 子供の頃、家族に盛大に祝ってもらったせいだろうか? 誕生日は皆に祝ってもらうもの、と言うスタンスにいくつになっても恥ずかしさを感じない。 当日、私の大好きなTrader Joe’sで健康志向のスナック菓子を買い込んで 教室に入ってびっくり。 クラス全員に行き渡る分のカップケーキを焼いてきてくれた子。 クッキーを焼いてきてくれた子。 ケーキを買って来てくれた子。 りんごを持ってきてくれた子。(アメリカで教師にりんごを渡すと言うのは歴史的な習慣で、今では象徴的でほとんど実践されないが、知識を象徴する果実を教師に渡すことでその教えへの感謝を示す、とされていた) ... 凄く感激した。 授業のあと。 いつも私は結構ビジネス志向で、 いつまでもおだべりを続けたい生徒たちのお尻をたたくようにして 教室から追い出すことにしているのだが、誕生日の日はおだべりにつきあった。 そしたら、凄くまじめで私のクラスの成績はトップのMちゃんがもじもじしながら 「随分前だけど、来学期も教えるか決めていないと授業中に言ったでしょ? 私は続けた方が良いと思います。 私がこの学校でとった授業の中で一番好きな先生だし、 先生の授業を音楽に興味がある子に推薦したいからです。」 と言ってくれたのだ! 本当に嬉しくって、もしかして一番のプレゼントだったかも。 Mちゃんは最近いつまでも授業のあと私が皆のお尻をたたき出すまで居残って でも他の子と違って何を言うでもなく、皆の後ろにいつもなんとなく居るだけだったので (暇なのかな~)と思っていたのだけれど... そうか~、それを言ってくれたかったのか。 「ありがとう、Mちゃん!凄く嬉しい! デモね...『来学期は教えません』ってもう電子メール出しちゃった...」 Lone Star Collegeはヒューストンの北に5つのキャンパスを所有するマンモス・カレッジだ。 現在の生徒数は9万人。 ヒューストン界隈では最大の高等教育機関で、 全米で一番の急成長を遂げているコミュニティーカレッジである。 ラジオを聴いているとLone Star Collegeが番組をスポンサーしているとアナウンスがある。 どのキャンパスも凄くモダンな建築でお庭も花が咲き乱れ、噴水があり、美しい。 5つのキャンパスの3つには素晴らしい演奏会場がある。 ところが。 明らかにお金がうなるほどあるこの教育機関が私のような非常勤音楽講師に支払っているのは Contract Hour 35ドル。 要するに、実際に教えている時間、一時間につき35ドル。 しかし、教室で教える、と言うのは実際の授業時間よりずっと沢山の仕事がある。 勿論授業の始まる前には教室に入り、 教材を整え、必要な準備をし、入室する生徒に挨拶する。 授業時間が終わっても、質問がある生徒がいる。 理解に時間のかかる生徒は居残りさせる。 […]

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宣言!

しばらくブログをお休みしていました。 う~ん、この二週間、色々あったな~。 ナンだか怠けていた様でもあり、物凄く色々駆けずり回って達成したような... 私のブログをいつもチェックして、 その内容に一喜一憂してくれている家族を始め友人・知人には申し訳なかったのですが、 でも私には多分必要な時間だったのです。 「人生の優先順位」と言うテーマで書き始めたブログエントリーでもお察し頂けたかもしれませんが、 これからの人生の方向性を影響する決断がいくつか目前にあって、 心と頭が忙しかった他、 アドヴァイスを求めるべく私が信頼・尊敬する人々に面会したりしていたのです。 決断その一。 来学期はコミュニティーカレッジで教えない。 決断その二。 練習と演奏を教えに優先させる。 決断その三. 私にとって日々の練習は私を私たらしめる必要な要素。その事に罪悪感を感じない。 決断その四. 上をしつつ、どうやって経済的に責任ある社会人としてやっていくかリサーチをするため、 そして自分のベストを尽くすために、 博士課程の卒業を急がない。 どうやってこの結論に達して行ったかは、 これから少しずつ近況報告の形ブログしていきます。

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ニューヨーク対ヒューストン

実は今、NY. 10年以上の旧友が沢山。 街のいたるところに思い出が沢山。 NYとヒューストンは飛行機で三時間。 安いティケットで乗り換えが在ってもまあ5,6時間。 パーティーに行くと、ずっと昔沢山共演した友達に 「え~、NYはしょっちゅう来るの?来月コンサートがあるんだけど、一緒に弾かない!?」 とか、すごく、凄く嬉しいことを言ってもらえたりする。 対してヒューストンは5年目。 新しくてわくわくする友情が沢山芽生え始めている。 そしてNYやLAの平均家賃の半分以下で10倍のスペース、 プラス固有のトイレと風呂、そして洗濯機付きのヴェランダが借りられる。 ヒューストンの経済はアメリカ全土の経済からは独立して、石油で非常に潤っている。 芸術に対する関心お金も沢山。 南部の劣等感もあるのか、特に西洋音楽に対する関心は意外に高いように思える。 生徒を公募していなくても、 ライス大学で博士課程を始めた最初の年から教えて欲しいと個人レッスンの問い合わせがあった。 NYはアメリカ大陸ではヨーロッパ側だから、ヨーロッパ文化に近いし、そう言う誇りもある。 クラシック音楽のマネージメントの約90パーセントがNYにあるそうだ。 そのせいもあるのだろうか? 若手の多くがNYに集中している。 そこに居ないと、遅れをとるかのような錯覚を覚える。 しかし。 あまりの競争率の激しさに、ちょっとしたアルバイトでもゲットするのが大変だったり。 何か興行の企画を立ち上げても、演奏会も文化企画もありすぎて、 地域へのインパクトが少なく、自己満足で、赤字で終わる場合が多い。 でも、だから良い物が際立ってくるし、 そこで生き延びることを目標に皆がしのぎを削って頑張る。 対してヒューストンは文化都市としてはまだ若く、知名度も少なく、 従ってそう言う芸術家や文化イベントの密集率が低い。 何かをやれば有難がってもらえる割合が高いし、 直コミュニティー還元に繋がる。 資金集めもNYやLAのような、ちょっと文化食傷気味の都市よりもし易いし、 インパクトも与えやすい。 しかも、ヒューストン・シンフォニー、ヒューストン・バレー、ヒューストン・グランド・オペラを始め、 美術館、博物館、現代音楽シリーズ、など、刺激は求めれば必ずある。 競争率が低い分、プレッシャーでコチコチになること無く、自由に自己表現ができる。 どっちも大変魅力的。 私はまだどちらかと言うとNYびいきなのだが、 それはただ単にNYの方が年数が長く、従って十年来の友達が多く、 しかも今現在住んでいないから美化している、と言う事もあるかも知れない。 ヒューストンはまだ5年目。 呼んでもらえる時はちょっと無理してもNYに行って、 今あるコネや機会を大切に育て続け、 ヒューストンで新しい根っこを育て続ける。 取りあえず、そう言う感じ、ですか?

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Musicianship

「Sportsmanship(スポーツマンシップ)」と言った場合、 スポーツマンが目指すべき態度、精神、友好関係などを指すが 「Musicianship(ミュージシャンシップ)」と言った場合 単に音楽家としての技術、音楽的な心を意味して、 それ以上の精神や仲間意識や精神に関して指すことは無い。 私は「スポーツマンシップ」的精神をミュージシャンシップにもくっつけたい、と思っている。 スポーツマンもそうだけれど、 クラシック音楽家になるためには幼少からの沢山の人の時間、指導、そして支持と 最良の訓練をするための環境、道具、場所などが必要になる。 音楽家として成人できる者は才能だけではなく、色々な外的要素に恵まれているのである。 確かに音楽を生業とするゆえのユニークな苦労もある。 でも、私は自分の音楽家としての社会の位置を本当に特権的、と思って常々感謝している。 私が何にも変えがたいと思うのは、 音楽を通じて一生真剣に自己探求をする、そしてその結果を表現する、場がある身である言うこと。 私は、音楽は私を常に浄化してきてくれた、と思っている。 そして、音楽人生を歩んできたからこそ到達できた幸せを実感している。 これを前面に打ち出して、 一番良い音楽で世界に繫栄することをゴールとして音楽家同士が一致団結できるような、 そう言う戦友と言うか、姉妹兄弟と言うか、 音楽家同士がお互いをライヴァルとしてみるのではなく、 志を共にした、お互い支えあうべき家族、と見ることができたら、と心から願う。 音楽家に限らず、舞台芸術関係者も、一般芸術も、すべて。 そうして初めて、利益追求に盲目になっている社会に、芸術が立ち向かって バランスを取り直すように働きかけることが可能になるのでは、と思うのだ。 ナイーブに聞こえるかもしれないけれど、私はナイーブなつもりは無い。 冷静で、客観的な現状批判のつもりです。

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Stop and smell the roses(立ち止まってバラを匂おう)

実に土曜日から火曜日まで、缶詰になって論文を執筆していました。 日曜日の夕食に美味しいインド料理を会食で頂きましたが、 そしてゴミ捨てには一回外に行きましたが、 それ以外はずっと部屋にこもってカタカタカタカタやっておりました。 火曜日の朝、久しぶりに登校するため外に出たとき空気の美味しかったこと! 失笑されるでしょうが、そしてアンネ・フランクには失礼かもしれませんが、 本当に(ああ、隠れ家生活は辛かっただろうな~)と心底思いました。 缶詰中は結構楽しく書いていたのですが、 外に出たら急に(ああ、外に出たかった~!!!)と言う感じなのです。 そして今、ヒューストンの気候は本当に最高! からっと晴れ上がり、薄手の長袖をちょっと腕まくりしたその露出した手首に風が気持ちよい! 道端の植木の花の香りが本当に甘くて、立ち止まってにおいを嗅ぎ、 そう言うことをしていること自体が幸せで、もうニコニコしっぱなし! そして思い出したのです。 随分昔、LA時代のお話しですが、私はあの頃まだ本番恐怖症と戦っていました。 大丈夫な時もあるのですが、 いったん緊張に襲われるともう手足が震え、何をどう弾いているか分からなくなってしまいます。 そんな私がLAの郊外の教会でリサイタルをするその日。 車を持っていなかった私のために、R君がドライブしてくれることになりました。 本番前のリハーサルもあり、午後のリサイタルのため、朝の出発です。 練習が一段落した私を、R君がお散歩に誘ってくれました。 LAは北米大陸で一番気候がよいところです。 映画のメッカの場所を決める時、 雨の日が一番少なく、日照時間が一番長いところ と、統計を取った結果ハリウッドがLAに成ったそうです。 しかもいつも晴れているだけではない。 カラリと空気が乾燥して、気温も真夏と真冬を除けば大体いつも15度から25度前後。 一年中花が咲き乱れて、本当に天国のような気候です。 R君とお散歩していると、色々な花が道沿いに沢山咲き乱れています。 「この花、におい嗅いで」「次は、これを嗅いで」 R君がいつもと違って妙に指図して来て、次々と花のにおいを嗅がせてきます。 でも、そんな天気の中、花を嗅ぎながらの散歩は楽しく、 ゲームのように花を見るたびににおいを嗅ぎながら散歩を続けました。 昨日、缶詰のあと道端の花を嗅いで、ふと思い当たったのです。 あの時、R君は私の上がり症を察していて、 何とか私をリラックスさせようとけなげに頑張っていてくれたのでは。 R君はグ~ンと私の後輩であの時まだ10代だったのですが、 でもそう言う気遣いをする子でした。 ヨーガをやりながら、呼吸の大切さ、 そして自分の呼吸を意識することで気持ちを落ち着ける方法を学んでいるる最中で、 初めて思いついた、もう何年も前のR君の優しさ。 「Stop and Smell the Roses」と言うのは英語の諺で 人生何があろうとも、道端の花のにおいを立ち止まって嗅ぐ心の余裕を持とう、と言う意味です。 R君、ありがとう。 道端のお花たち、ありがとう。

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