演奏

リサイタル回想

私は、演奏前後の記憶が消えている事が多い。 例えば、演奏の日どうやって過ごしたか、と言う事を良く失念してしまう。その為、成功した日はどうやって演奏まで過ごしたかと言う事が思い出せずに次の演奏の直前慌てて(あの時はどうして上手く行ったんだろう?何を食べて、何を考えて、どうやってコンディションを整えたんだろう?)と焦る。 それから、演奏直後の歓喜、と言うのももっとしっかり頭に留めておくべきだ、と毎回思う。なぜなら演奏直前と言うのは、もう死にたいほど辛く成る事が時々在るから。そういう時に演奏直後の歓喜の事をもっとはっきり思い出せれば、勇気につながると思う。 と、言う事で、昨日の演奏会は上手く言ったし、事細かにそれまでのコンディション調整を記録してみようと思う。 この演奏会は自分的にとても大事だった。ヒューストン・デビュー、ライス・デビューだし、何より自分の中で「博士課程と言う新しい人生一幕の最初の演奏」と言う事で、成功したい、と言う気持ちが強かった。そう言うリキミは逆効果になる場合が在るので、特に気をつけてコンディション管理をした。 火曜日辺りから、何だかだるくなった。(もしや風邪の前兆!?)とパニクリそうになったが、(いやいや、これは私の無意識がエネルギー重電、エネルギー節約を調性してくれているのです)と自分に言い聞かせ、気楽に構えるようにし、キャンセル出来る用事はキャンセルして、美味しい食事を時間をかけて楽しんで食べたり、睡眠をしっかり取るように心がけた。その日はジムは控えた。練習中は自分の頭の中の声を「叱咤激励」モードから「応援、励まし」モードに代えた。(ここ、今間違えた、何がいけなかったんだろう。分析・解析;手のポジション、思考の行方、目線、姿勢、云々)では無く(間違えちゃったけど、大丈夫!もう一度やってみよう、ほら、上手く行った!)と言う風に代えるのである。それから上手く弾けた時は(う~ん、ここの所は本当に奇麗に弾けた!もう一度弾いてみよう!お~、マキコ、上手、上手!)と言う風に自分を応援するのである。 そして木曜日は、テレンコテレンコ、自分でも呆れるくらい身の入らない練習をした。5分弾いては、水を飲みに行き、また5分弾いては、友達と喋り、さらに5分弾いて、友達と長電話、と言う風に午後中過ごしたのである。私は目的意識が強いので、実はこう言うのを楽しむのは苦手である。でも、敢えて(きっと今の自分はこう言うのが必要なんだ)と思い、気楽に過ごすように努めた。 午後半ばでギブアップして、ジムに行き、テレビに熱中しながら激しく運動する事40分。シャワーを浴びて、友達ととても美味しい、全粒粉生地のピザを食べに行き、多いに笑った。この時、ピザの前菜に「ニンニクのオーヴン焼き」と言うのを食べた。2つの丸ごとニンニクを中がトロトロになるまでオーヴンで焼いて、サン・ドライド・トマト、オリーヴ・オイル、パセリ、そしてヤギのチーズと一緒に出す物である。友達と分けたけど、友達は半分でギヴアップしたので、私はニンニク丸ごと一個半食べたわけである。非常に美味しかったし(滋養、滋養!)と思って食べた。夜は非生産的にメールや、Youtubeで楽しく過ごした。 金曜日は朝ゆっくり過ごし、わざわざ学校まで行ってジムだけ使って(45分、汗かき)、そのまま家に戻り、炊き込みご飯と切干大根とみそ汁を作って昼食にモリモリ食べた。こんな純和食はほとんど絶対作らないが、この時は頑張った!その後友達とお茶をして、学校でテレテレ2時間ほどさらい、家に戻って今度はざるそばと、キムチと、サバの味噌煮の缶詰を食べ、夜はまたもやゆっくり過ごして、早寝!食べる事を仕事だと思い、一生懸命美味しく食べた。 土曜日、当日は朝ご飯に毎日食べているシリアル(黒ゴマ黄粉、冷凍ブルーベリー、バナナとヨーグルトを入れて豆乳をかけます)の上にさらに炊き込みご飯を食べ、学校に行って1時間弱さらった後、お家に戻ってテレテレ過ごし、昼食にサンドウィッチ。その後実にくだらない雑誌を熱中して隅から隅まで読み、昼寝をすること30分。起きて、シャワー、化粧、髪の毛などをして、学校に行き、ゆっくり練習。なるたけ人と接触しないで、一人で静かに過ごした。休憩中はカロリーメート系の物を小口で二口やっとの思いで食べ、眼を閉じて過ごした。 それからもう一つ凄く気を使ったのは、水分補給です。普段の倍は水を飲むつもりで、がぶ飲みしていました。 こんなに時間の余裕が在る事は現実的にはほとんど無いのですが、今回は凄くラッキーでこう言う過ごし方が出来ました。成功して、良かった!

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リサイタル、大成功!!

今日は、ライス大学で、そしてヒューストンで初めて公開演奏をしました。 ライス大学キャンパス内のリサイタル・ホール、ダンカン(Duncan)ホールにて、 博士課程を終了するまでに義務付けられている5つの演奏のうちの一つです。 ホールはとても響きが良く、こじんまりとしていますが、とても奇麗なホールです。 普通学校のリサイタルと言うのは聴衆は親しい友達が数人、と相場が決まっているのですが、 今回はなぜか一般のお客様が大勢入ってくれてとても嬉しかったです。 日本で何回も演奏させて頂いたプログラムだったから、と言う事も大きいと思いますが、 今回は本当に余裕を持って音響を聞きながら、自分でも楽しみながら演奏する事が出来ました。 聴衆の皆さまにも本当に喜んでいただけたようで、とても嬉しかったです。 今はもう2時近く。 そろそろ寝ます。 良かった、良かった。

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演奏会を控えて

ライスの博士課程の必修は色々在りますが、演奏の義務も在ります。 3年間の在校中に5つの演奏をしなければ卒業出来ません。 #1 2つの独奏会 #2 室内楽のコンサート #3 レクチャー・リサイタル(トピックを決め、それについて講義をし、関係ある曲の演奏をする) #4 協奏曲の演奏。 #4以外は、全て休憩をはさむ普通の長さ(約2時間)のプログラムとなります。 私はタングルウッド音楽祭の前、日本で演奏したリサイタル・プログラムで2つの独奏会のうちの一つを最初に片付けよう、と長い事計画していました。そのリサイタルが来週末の土曜日、9月25日の夜8時から、ライス大学のDuncan Hallと言う所で行われます。入場料は無料ですし、とても響きの良い美しいホールですので、知り合いにヒューストン近郊在住で、ご興味がお在りになりそうな方がいらっしゃりましたら、是非ご招待ください。 今回のテーマは「生誕記念の作曲家たち」。1710年、1810年、1910年に生まれた作曲家たち、そして2010年に完成した”Traces"と言う現代曲を並べて、西洋音楽の発展上、100年間と言う時間の単位はどう言う物なのか体験出来るプログラムです。 ライスでは全てのリサイタルに「リサイタル・コミティー」と呼ばれる、教授3人からなる審査委員が付き、合格・不合格の診断をします。そして全てのリサイタルの1~2週間前に「プレビュー」と言う物が行われます。これは、この「リサイタル・コミティー」の前でプログラムを通して弾いて、リサイタルに向けてのコメントをもらうのです。教授がこのサービスの為に金銭的な支払いを受けているかどうか私は知りませんが、これだけでかなりの仕事量なのに、今回のリサイタルの為に作曲の教授、そしてピアノの教授2人が快くこの任務を引き受けてくれ、昨日は土曜日にも関わらず、午後に私のプレビューに参加してくれました。 演奏をするとやはり疲れます。宿題は今日はお休みにして、ジムに行き、ひと汗かいた後、友達とヒューストン交響楽団を聞きに行ってきました。ヒューストンのダウンタウンはとても文化的。劇場、音楽会場、美術館などが並んでいて、建築も面白い物が多いです。ヒューストン交響楽団はハンス・グラフと言う常任指揮者の指揮で昨日はストラヴィンスキーの「ナイティンゲール組曲」と言う初期の作品、ショスタコーヴィッチの交響曲1番、そしてブロンフマンのソロでチャイコフスキーのピアノ交響曲1番が演奏されました。ハンス・グラフの指揮はとても明瞭で、分かりやすく、見ていて勉強になります。ブロンフマンはいつも通り圧巻。ヒューストン交響楽団はたまに金管の音程やアンサンブルの技術的問題が感じられた物の、全体的に熱情的で、とても好感を持ちました。ただしホールは建築70年物だそうで、音響は少しさびしい感じがします。 今シーズンのヒューストン交響楽団の宣伝の目玉は新しいコンサート・マスターです。フランク・ホワングと言う中国出身の若い奏者ですが、私はニューヨーク時代、彼の事をソリストとして知っていました。ナウンバーグと言う大きなファウンデーションのコンクールに一位になったほか、大きなコンクールでいくつも賞をとり、一時期盛大に宣伝されたソリストです。最近、ニューヨーク・フィルハーモニックの主席チェロとか、こういうスターを主席に添える交響楽団が増えて来ていますが、同時にそれはオケの一員となる事で華々しい演奏旅行の生活より、収入や生活の安定を選ぶ音楽家が増えている、と言う時代の傾向の反映でもあります。フランクはヒューストン・交響楽団と11の時にデビューしたゆかりも在り、宣伝効果は抜群ですが、同業者としては「ブルータス、お前もか」と言う感もちょっと在ります。 それにしても木曜日のコンサートに引き続き、ヒューストンの聴衆のマナーには本当に圧倒されました。チャイコフスキーの協奏曲の一楽章は本当に派手で、タングルウッド音楽祭でも一楽章の後に大きな拍手が起こったのに、ここではシーンとしています。そして、3楽章が終わったら待ちかねたように瞬時のスタンディング・オヴェーション!凄くびっくりします。アメリカでは本当に珍しい事です。

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上手く行った、演奏の話

今日は「マインド・ボディー」のクラスが在る日でした。そこで、「上手く行かなかった演奏のことばかり記憶に残って、上手く行った演奏の事はすぐ忘れてしまうのは、なぜだろう」と言うディスカッションが在りました。う~ん、なぜだろう。 「マインド・ボディー」で「推薦図書」として本のリストが配られた、その一冊「Free Play」と言う本を今読んでいます。これは、「修行に励む余り音を楽しむと言う、基本的な音楽の姿勢から離れてはいないか?練習のし過ぎで、演奏家から柔軟な即興性が失われ、同じ演奏を繰り返す機械に近づいてはいないか?それを取り戻すために、即興を試みよう!自分の中の子供らしさ、純粋に楽しむ心を取り戻そう!」と言う本です。実際、私を含むクラシカル奏者の多くは、即興が苦手です。練習した曲ならリストでもバッハでも曲芸の様に指が動くのに、「じゃあ、サザエさんの伴奏をして」などと楽譜無しで言われると、突然しどろもどろになってしまうのです。まるで演技力で鳴らす役者が、全く日常会話が下手くそ、とかそういう感じ。私はここしばらく、毎日5~10分ほど、即興を楽しむようにしています。 本の効果か、それとも毎日の即興の成果か、はたまたヒューストンの水が合っているのか、この頃ちょっと調子が良い。弾いていると、ぐんぐんとイマジネーションが湧いてきて、自由自在に曲の中で遊べるのである。今日は私の教授に師事している生徒たちの前で今度のリサイタルのプログラムから数曲、披露しました。私は自分の演奏に満足する事は少ないのだが、今日は上手く行ったと思う。皆に褒めてもらった。とても気持ち良かった。

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ニューヨーク・タイムズとボストン・グローブの批評

私は、自分が自信を持って良かったと思える演奏がしたい。 他人にどう思われようと、どう褒められようと、自分が満足できない演奏には納得したくない。 言動で、演奏の印象をごまかしたくない。 でも、言動で演奏の印象をごまかせる事は承知している。 だから余計、その誘惑に勝てる、正直な、まっとうな演奏家になりたいと思う。 でも、今回のアウガスタ・リード・トーマスは、その意味で正直難しかった。 もともと現代音楽はベートーヴェンと違って一般的な解釈と言うものはまだ設立されていないし、 どの音が「正しい」のか、分かりにくいから、その演奏を正しく評価するのが非常に難しく成る。 私の経験から言えば、現代曲は余りにも複雑だから、 作曲家自身でさえ演奏家が正しい音を弾いているか分からない場合が多い。 多分、本当にその演奏の正確さをはっきりと把握しているのは演奏家自身だけだと思う。 だから演奏中、あるいは演奏後のハッタリでごまかしている「現代曲専門家」と言うのも居る。 今回私の演奏した”Traces”は現代曲の中では概念的にはもう少し分かりやすかったが、 技巧的にはかなり難しい所もあったし、音一つ一つに強弱記号や、 「エレガントに」「前の音に逆らって」と言ったト書きの様なものが付いていたり、 一つの音を右手と左手で交互に凄い速さで連打し続ける、と言った 普通のピアノ技法とはかなり違った疲れ方をする部分もあった。 そう言う意味で「難しい」曲だったと思う。 自分で解釈にやっと自信を持てたのは作曲家自身に狂喜してもらってからだ。 アウガスタ・リード・トーマスに初めて会ったのは去年のタングルウッド。 彼女は去年はFestival of Contemporary Musicの監督を務めた。 去年のテーマは「存命中の作曲家」で、選ばれた作曲家も曲も凄く若かった。 そう言う所が彼女と私と似ていると思うのだが、彼女は選曲の責任を全て任されたにも関わらず 自分の曲を出展する事を避けた。 兎に角、彼女が監督を務めた去年のFCMで私はやはりソロの曲で出演し、 彼女に大変気に入られた。 自分自身では納得できる演奏では無かったのだが、 演奏後の私の前に彼女は文字通り飛び出してきて(本当にピョン、と人混みの中から飛んできた) 「貴方は凄い!I love your playing! Oh, my God!!」 とこちらが後ずさりするような大興奮を披露したのだ。 今年、8月1日の最初の本番の前の準備の段階から、彼女は同じ様な興奮を披露した。 私自身の演奏の評価が自分で分からなくなるような作曲家の興奮で 実際観客にも受けたし、批評も「この演奏を逃した人は損をした」と言うような、大げさなものだったし 今となっては私はその日の自分の演奏を正確に評価する事が出来ない。 なんにせよ、その本番を前後して彼女は色々な人に私の推薦状を書いてくれ、 8月14日今年のFCMでの出演が決まってからは(多分本人も興奮・緊張していたと思うのだが) 「楽章の間は20秒くらい間を持った方が良い」とか、「このトリルは笑いを誘うように微笑んでみたら」とか 細かい提案がメールで細切れに来るようになった。 その間も「真希子のTracesの演奏は素晴らしい、私は一生でもう二度とこの曲をこのレヴェルの演奏で聴ける事は無いと思っている」とか「この曲はもう私のものではない、真希子のものである」と言った『前宣伝』と言ったら意地が悪いかも知れませんが、まあでも結果的にそう言うメールが沢山書かれていたようです。 本番二日前には「ニューヨーク・タイムズとボストン・グローブが批評に来るから」と言うメールが来ました。 なぜ、彼女がそのことを知ったのか、この二つの大新聞が来る事にどれだけ彼女自身が影響していたのか 今は振り返って少し疑問です。 私は8月11日の深夜の録音、そしてその週毎日において行われていたシューマンのトリオのリハーサルとコーチングの為、余り経験しないような右腕の過労を感じていた。それから大きな新聞が二つ批評に来る、と言う事を他の誰にも言えず(他の子も同じプログラムで演奏するから、プレッシャーを与えたくなかったし、なぜ私がそのことを知っているのか、と追及されたらやはり困ったし。。。)シューマンのトリオもスムーズなプロセスでは無く、正直ストレスを感じていた。結果、8月14日のTracesは全く不満足な出来になってしまった。原因はどうであれ、私が自分自信、達成感も誇りも感じられない演奏をしてしまったのだ。(シューマンは頑張りました)。 ところが批評は全く悪く無かったのだ。ニューヨーク・タイムズとボストン・グローブ、両方とも批評が今日出たのだが、私のかなりアカラサマなミスについては一つも触れずボストン・グローブは「弾けるような自身を持って "Traces"を演奏したマキコ・ヒラタはジャズとクラシカルの要素を混ぜたこの曲を両方の要素を活かして弾きこなし。。。」と言及し、ニューヨーク・タイムズはさらに「ジャズの要素を活かしながらショパン風のメロディーを歌わせ、バッハの要素を描き出しながら、モンク(ジャズ・ピアニスト)のハーモニーとリズムを際立たせ。。。」ともう少し紙面を割いて描写的。そして両方とも「今年のFCMではピアニストの活躍ぶり、レヴェルの高さが際立っていた」と結論づけている。確かに今年のFCMではピアニストが凄かった~私以外は。しかも、本当に唸るような素晴らしい演奏をしたのに、ニューヨーク・タイムズが記述を漏らしたピアニストが居るのに、私は両方ともに好意的な批評を頂いてしまっている。 批評家が本当に分からなかったのか?分からなかったとしたら作曲家自身の前宣伝に目がくらんでしまったのか?それとも若いながらにすでにかなりの地位を築いているこの作曲家への敬意表明が正直に書くことをためらわせたのか?何でも良い。私は惑わされない。私の演奏はまずかった。

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