演奏

タングルウッドでの演奏その2 -成功!

今夜はTMCO (Tanglewood Music Center Orchestra) の演奏会でリヒャルト・ストラウスの組曲「町人貴族」のピアノ・パートを弾きました。「町人貴族(Le Bourgeois Gentilhomme)」はフランスのモリエア戯曲を元になった曲です。イメージがはっきりしているので、そう言う意味で面白いし、音楽としても美しかったり可笑しかったり、表情豊かな組曲です。でも、難しい。ストラウスの音詩(詩的テーマを表現しようとする管弦楽曲)は多くがオケのオーディションに出てくる様な、超絶技巧が問われるものが多いです。でもこれには但し書きが付いていて、ストラウスは当時のオケには演奏不可能な難度のパッセージをわざと書いて、それを弾こうとしてもがく、その音が欲しかった、と言う説も在ります。この説を唱える人によると、オケの演奏技術のレヴェルが上がって、皆が楽譜通りにそろって弾くようになった時、ストラウスは怒った、とか何とか。 でも、私たちは皆負けず嫌いだし、一途だから楽譜に忠実に弾こうと頑張ります。ピアノ・パートもかなり、かなり難しかったし、ほとんど弾きっぱなしで、コンチェルトの様なソロも在り、結構目立つパートでした。コンサート・マスターや主席ヴィオラ、主席チェロ、そして木管・金管もかなり難度の高いコンチェルトの様なソロが多く、皆このコンサートは武者震いして臨んだのですが、この演奏の注目点のもう一つは指揮者でした。タングルウッドの指揮の研修生と来ているロシア人の子なのですが、何と17歳!タングルウッドの指揮はかつてレナード・バーンスタインが教えて、小澤征爾も研修生だった事が在る、非常に権威あるものです。そこに17歳の子が来る(ギリギリ「高校以上」と言う年齢制限をクリア)と言うのから前代未聞です。この子がかなり変わった子で、やたらと人の神経を逆なでするような言動を繰り返し、本人は全く気付いていないのですが、ちょっと研修生の中では鼻つまみ者なのです。しかし若干17歳にしてすでに5つのオペラの指揮までした事が在る、異常な天才児。そしてリハーサルも、さすがに上手に進めていました。ところが本番、皆の不安が的中してしまいました。本番の興奮と緊張から、普段より30%位速いテンポで始めてしまったのです。普通のテンポでも超難しいのに、そうやって走られると。。。もう皆目の色を変えて必死で弾きました。曲が進むにつれて段々落ち着いてきて、無事終了しましたし、聴衆は拍手喝さいで喜んでくれましたから、「終わりよければすべてよし」ですけど。私も皆に褒めてもらえて嬉しかったし。 今日の演奏会は今年の指揮の研修生3人が一曲ずつ担当した演奏会で、後半のこのストラウスの他に日本人の原田慶太楼君がシューベルトの交響曲5番を実に丁寧に重厚に美しく振ってくれた他、私が今度行くライス・ユニヴァーシティーでメインの指揮者のアシスタントをしている、クリスティー君がバッハの「音楽の捧げもの」をウェーバーンがオケ用に編曲した奇抜な曲を振ってくれました。 実に面白い、思い出に残る演奏会でした。

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演奏その1、無事終了!

今日はセイジ・オザワ・ホールにてレイナルド・ハンの歌曲の演奏で、今年度最初のタングルウッド演奏を無事終了しました。フランス歌曲をまとめたリサイタルで、ハンの他にフォーレ、デュパークなどがプログラムに組まれていました。私の今日の相棒のテナーはまだ若い23歳で、真剣に詩や音楽に取り組むあまり、リハーサルが解釈の話し合いでえんえんと続いてしまうような人でしたが、そのお陰もあってか、今日の演奏は本当にうまく行ったと思います。色々な人に褒めてもらいました。 その後、ボストン交響楽団で全ベートーヴェンのプログラムを聞きました。スティーブン王序曲作品117、ピアノ協奏曲の3番(Gerhard Oppitz 独奏)、そして交響曲5番「運命」。指揮はスペインのブルゴスです。昨晩のマーラーの交響曲2番「復活」(マイケル・ティルソン・トーマス指揮)に続き、2番目のボストン交響楽団は指揮者が違うと同じオケでここまで違うか、と言うくらいでした。ブルゴスは縦振りが多く、音やフレーズを伸ばす動き、と言うのを余りしません。でも全体的なイメージは独創的なものが多く、例えば交響曲5番は楽章間、時間をほとんど取らずにほとんどぶっ続けで演奏して、それが結構面白かった。でも、細かい所で何となくきっちりしない感が残ります。昨晩のマーラーは大きな構想、そして細かい詰めまで全て素晴らしかったと思う。 そしてその後皆で演奏会の感想などを話しあいながら飲み会をしました。廊下で「今日、とても良かったよ、おめでとう」と、通りすがりのチェリストに声をかけられましたが、一瞬自分の演奏会が今日だった事をすっかり忘れて(なんのこっちゃ)と思ってしまいました。何だか今日の夕方6時の演奏会の事が随分昔の事詩思えます。 明日も忙しいです。

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暗譜で弾く、と言うこと

演奏会の後、聴衆の方に「暗譜で弾かれるのは凄いですね~」と良く感心される。 確かに、暗譜と言うのは少なくとも私にとって演奏への準備の努力の大きな部分を占める。 ソロの演奏で暗譜が必修なのはピアニストだけである。 ニューヨーク・タイムズの音楽評論家は何年か前に一度 「本当に暗譜と言うのはそんなに必要なのか?  暗譜を必修にしなければピアニストのレパートリーは広がり、 演奏中の事故は減り、プラス面が多いのではないか?」と言う記事を発表した。 暗譜で弾くことによる利点と言うのも、逆に在る。 詩を朗読する際、活字を読みながらの朗読と、暗記でする場合の感情移入と言うのはやはり増えると思う。 しかし、自分の記憶に自信が無い場合、それで集中が途切れてしまう場合がある。 また曲や奏者によっては、暗譜をするまで弾き込んでしまうと新鮮さを失って逆効果の場合もある。 しかし現実問題、今の世の中で楽譜を使って堂々と聴衆からお金を取った演奏会をするのは勇気が要る。 私は自分の勉強・修行も兼ねて今までの演奏は全て暗譜で行っている。 暗譜でする演奏と言うのは目的地に向かって歩いて行くのに似ている。 地図や道順が頭に入っている場合は、道端の花や景色を楽しみながら自由なペースで行ける。 ただし、自信が無い場合や、始めから方角がきっちり分かっていない場合は恐怖である。 裏覚えのヒントを必死で探し、それだけを藁にもすがる思いで進んでいく。楽しいどころでは無い。 もともと方向感覚の優れている人と言うのもいるし、方向音痴の人もいる。 それと同じで始めから曲の構造(地図)が簡単に頭に入る人とそうじゃ無い人もいる。 ただし、地図が頭に入っていても、その日の集中の度合いや調子によっては 道筋を間違えたり、突然方角や道順が分からなくなったりするものである。 これを阻止するためには、いつも次の道、次の道しるべ、と先を考えることである。 しかし、「良い演奏」と言うのはその瞬間瞬間に自分を投じて、計算をしないことである、と私は思う。 前読みと、瞬間瞬間に一所懸命になる、 この二つの相反する意識のレヴェルをどうバランスするか。 これが、暗譜の難しさだと思う。

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来る日本での5月の演目について。

私の日本での演奏活動は2001年に始まった。 その後毎年恒例で続けてきた日本での演奏会は、今年で10年目を記念する。感慨深い。 今年のプログラムはそんな2010年を記念して、「生誕記念の作曲家たち」と言うタイトルである。 始めは1810年生まれのショパンを祝って、ショパンづくしのプログラムにしようと思っていた。 私は「君は何で音楽学者を喜ばせるような選曲ばかりするんだ!」と先生が嘆いて尋ねかけるような、奏者にも聴衆にも難しい難曲ばかりを並べて演奏して来た。ベートーヴェンの超難解ソナタ、「ハンマークラヴィア」は2008年に演奏したし、私が「秘宝」と名づける、けれども全く誰にも馴染みの無い曲を並べたプログラムや、12音階のショーンベルグやベルグとシューベルトやモーツァルトを比べた「ウィーン楽派」のプログラム、などなど。ティケットの売り上げについての心配をあえて無視して、こうして私の音楽探求心を尊重してくれた主催者の人々、そしてそういうプログラムでもいつも応援に駆け付けてくれて暖かく見守ってくれた聴衆の方々には本当に感謝が尽きない。そう言う皆に感謝の気持ちの表現のつもりで今年はショパンを一杯弾くつもりだった。 ところが、幾つかの事実に気が付いたのである。 #1この夏ははショパン・コンクールが在る。ショパンは沢山演奏されるだろうし、沢山放映されるだろう。その時期にショパンを弾くのはちょっとショパン過ぎじゃないか? #2同じ年に生まれたシューマンを弾かなければ、片手落ちではないか。 シューマンとショパンは同じ年に生まれ、どちらもその人生においても、音楽においても、絵に描いたようなロマンティストであるが、同時に正反対の要素も多い。比較検討が非常に面白い二人なのである。例えば、ショパンは祖国ポーランドの革命や、パリへの亡命、そして肺結核など若い時から色々な困難に直面しながらも、本当に幼少の時から作曲活動を生涯続けた、ほぼ独学の、生まれつきの作曲家である。一方シューマンは父親の命令で不本意ながら法律の勉強をしたり、音楽と同じくらい文学に入れ込んだり、練習しすぎて手が動かなくなり断念したけどピアニストを目指したり、結構回り道をした「努力家」の作曲家である。この二人の違いはその作風にも如実に表れている。そしてその多様性は、ロマン派の多様性をそのまま反映しているようで、それもまた面白いのである。 しかし私はそこでまた、広げたくなってしまうのである。それじゃあ、その百年前、百年後に生まれた作曲家にはどんな人が居るのか。百年後、1910年に生まれた作曲家で有名なのはアメリカ人のサミュエル・バーバーである。私は彼のピアノ協奏曲を弾いたこともあるし、余り多くは無い彼のピアノ独奏曲も遊びで弾いたり、レッスンで教えたりした、思い出深い曲が多い。1710年に生まれた作曲家にはバッハの息子の一人である、ウィルヘルム・フリードマン・バッハが居る。カール・フィリップ・エマニュエルや、ヨハン・クリスチアンなどと言う有名な息子の中では少し影に居る息子だが、しかし彼の鍵盤ソナタは時にスカルラッティを彷彿させるような鍵盤技巧を駆使したり、突然面白い転調をしてみたり、なかなか面白いのである。 と言うわけで、5月中旬に始まる私の今年の日本での演奏会での本格的練習、開始である。

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今日の本番を振り返って

今日の演奏会場は前もって「非常に残響が多い」と色々な友達から聞いていたので、気持ちの準備は出来ていた。 でも、弾き始めて、ペダルを気を付けて加減して、出る音に集中して弾いていたら段々楽しくなってきた。 「その楽器、その部屋の音響と言うのは共演者と考えて、その性格やくせと『共演』することを楽しもう」と云ったのは私の友達のライアンだけど、今日はばっちりそれが出来た感じ。 しばらく新しい、「音響設計」がばっちりなされたホールばかりで弾いていた。クリーンで、完璧でかえって気が飲まれてしまう感もある。今日は久しぶりに古い、計算されて設計された訳では無いホールで弾いて、ちょっとゲーム見たいで楽しかった。残響が多い、と言うことは残響をコントロールできればピアノと言う打楽器的な、発音だけしかコントロール出来ない楽器でもかなり「歌う」ことができる、と言うことだ。 こういうのも悪く無いなあ、と思った。

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