Rice University

オーケストレーションのクラス、その他今勉強していること。

かなり、勉強している。 人生今までで、一番集中して勉強しているかも知れない。 もっと若いころも勉強の格好を長時間していたことは前にも在ったのだが、 私は英語に自信が持てるようになったのがかなり最近だし、 もっと若いころは色々人生の悩みや邪念で、何だか何ににも集中していなかった様な気もする。 音楽で人生を生きていく、という覚悟もまだだったし。 今日はオーケストレーションのクラスが在った。 オーケストレーションと言うのは、作曲をする時、どの楽器をどこでどのように使うかと決める行為の事だ。 その為にはまずそれぞれの楽器の特徴や、技巧的な可能性を学び、 さらに、どう言う楽器の組み合わせがどう言う響きをもたらすか、 さらに、過去の巨匠はどう言うオーケストレーションをしているか、と勉強するのだ。 私は作曲家のオーケストレーションのクラスを取っているが、 演奏家がオーケストレーションを学ぶのも大切な事だ。 なぜなら色々な作曲家がどういう理由でどう言う音色を選んでいるか、と勉強することによって 自分の音楽的表現の幅が広がるから。 今日のクラスでは弦楽器の使い方と言うトピックで ムソルグスキーの「展覧会の絵」をラヴェルがオケ用に編曲した物を一緒にクラスで検証した。 今日の為の宿題は、モーツァルトの交響曲40番のメニュエットをピアノ用に編曲した物を見て、 録音を聞きながら、モーツァルトと同じ様にオケ譜に書きなおす、と言う物。 愕然とした。 今まで私は何を聞いていたんだろう。 この曲は良く知っているし、一楽章は指揮したこともある。 でも、このメニュエットのテーマをこんなにたくさんの楽器が弾いているなんて今まで想像もしなかった。 一見、弦だけで弾いている様に聞こえるのだが、木管もホルンも実は皆弾いているのだ。 そして弦に溶け込んで、実に複雑な、幅広い音色を作り上げている。 今更ながら、モーツァルトの天才に恐れ入る。 明日は「歴史的に正確な演奏の是非」と言う題名で、講義を受ける。 その為に4人の古楽器奏者や、音楽学者や、音楽歴史家、声楽家のエッセーを読んだ。 今学期は読む宿題も先学期の20倍くらい在る。 私は普段は滅多にそんなことをしないのだが、今日はカフェに行って一人でケーキを食べながら読んだ。 ちょっと楽しい気持ちになった。

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あめあめふれふれ~♪

今日、朝起きてみたら土砂降りだった。 一瞬、(朝早くから学校に行って練習して~)と言う計画が 雨のおかげで想定の100倍くらい難度が高くなり、むっとしたが、 そう言えば私は家でやるべき宿題が山ほどあるのだったと思いだし、 (これも運命)と腹をくくって、練習をギブアップ、宿題に専念することに決定した。 先学期が遊び暮らしていたかのように錯覚してしまうほど、今学期は難易度が急にアップ。 まず「Analytical Approach」と言う音楽理論のクラス(月、水、金、それぞれ一時間)。 これは博士課程に置いて必修の音楽理論の最終段階のクラスである。 ハインリッヒ・シェンカーという学者の分析法と、無調性音楽の分析法を勉強する。 水曜日までに読まなければいけない宿題が60ページ。 それから博士課程の為の「レパートリー」と言うクラス(火、木、一時間半ずつ) これは色々なゲストがそれぞれの得意分野の曲目について幅広く講義するのを聞くだけ。 そんなに大変そうではない。 博士課程一年生の為の「クラス教授法」(火、木、一時間半ずつ) 来年からそれぞれ皆、楽典を始め色々な授業を教えられることが ライスの博士号プログラムの一環になっている事に当たって、 色々なメソッドや心理学など教授法一般について学ぶクラス。 まだ宿題は出ておらず、教授法について非常に観念的な、哲学的なレヴェルのセミナーだが、 このクラスは音楽理論の教科書を7冊隅から隅まで読んで比較検討するとか、 凄い大変なクラスらしい、と上級生から聞いている。 そして「オーケストレーション」 オーケストレーションのクラスは色々あるが、このクラスは一番難易度の高い、 作曲家の為のクラスである。 このクラスを取ることを許されたのは光栄だが、 何と最初の週に出された宿題が山の様で、アングリ! まず、Samuerl Adlerと言う作曲家の書いたオーケストレーションの本の4章を読むこと。 ページ数にして、102ページ。 それからチェロの為の短い曲を一曲作曲すること。 (一分程度。ただし、ミュートを付けて、外して、色々な弓の業を取り入れて、と規制が多い) 最後に現代曲を聴いて、その弦楽器の使用法について書き出すこと。 それを全て今週の水曜日までにやるのである! すごいな~。。 と、言うわけで、晴耕雨読(雨が降って良かった)。 今日は息抜きに洗濯や掃除をしながら、主に宿題をしていました。 途中でお友達の運転で土砂降りの中韓国系スーパーマーケットに連れて行ってもらい 夜は友達とピザを食べに行きました。 良く遊び、良く学んだ一日でした。 そして宿題の山は、残り、まだまだ大きいです。

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博士号パーティー

今日はライスの音楽学校の博士号のプログラムの主任のお家で博士号の勉強をしている生徒たちの為のパーティーが在りました。凄いご馳走で、堪能しました。まだ学期が始まって最初の週が終わったばかりだし、実にタイミング良く今週末は三日連休なので、普段は目を三角にして走り回りながら目礼を交わす程度の知り合いの人もお互いに多い、二年目、三年目、そして四年目の博士課程の人たちとゆっくりご馳走を食べながら色々笑っておしゃべりをし合える、とても良い会でした。色々なクラスの情報交換は勿論、これからする共演の話、冬休みの話、それから四年目の人にはすでに大学で教職をゲットした人もいて、その人のインタビュー体験談、などなど。そしてご馳走が素晴らしかった! 博士課程のチェリストのイタリア人の奥さんが作ったリゾット、ぷりぷりのえびの入ったキヌアのサラダ、本格的ラザーニャ、チキン・エンチラーダ(メキシコ料理)、など、など。そしてデザートには子供の頃お母さんが作ってくれた焼きリンゴの味そっくりのアップルパイと、チーズケーキ!! とても幸せな、楽しい一時でした。

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国会図書館への旅を振り返って

そのボリュームに置いても、価値に置いても比べ物なく世界一であるアメリカ国会図書館の音楽部門の歴史は長く、興味深い。アメリカ国家が設立された時、議会は議員たちがより良く政治を行えるよう、その資金の一部を議員の為の図書館に当てる事を可決した。最初は法律、政治学、歴史などに関する本、議員に直接関係ある本だけの図書館だった。1812年イギリスの侵略の際国会議事堂が燃やされ、図書館も燃えてしまった時、トーマス・ジェファーソンが彼自身の個人的な本のコレクションを国会に売った時、13部の音楽に関する本(音楽理論や歴史に関する本。楽譜は無かった)を始めとするあらゆる言語の(アラブ語のコーランも在った)あらゆる分野に関する本がその7000以上の本に含まれていた事が、この国会図書館の性格と将来を大きく変えた。 さらに1870年、著作権に関する法律が設立され、国会図書館が著作権運営の責任を任されてから、大量の楽譜、教則本、録音などが流れ込むようになる。 1880年に国会議事堂から離れた場所に独立した図書館が建設される事が可決され、音楽部門が正式に設立される。その時音楽部門部長に任命されたSonneck史が「この音楽部門を世界一にする」と言う野心的な方針を打ち出し、精力的にルネッサンス、初期バロックのコレクションを開始。 1899年には17世紀、18世紀の第一版が多くコレクションに加わり、その数は400、000を超える。 1910年代、エリザベス・クーリッジと言う個人資産家(クーリッジ大統領とは関係無し)がこの音楽部門に寄付を申し出る。個人が政府に寄付すると言う前例が無く、この彼女の決断もこの音楽部門の性格と将来を大きく変える。彼女の基金は私たちが3月に演奏するクーリッジ・コンサート・ホールの建設に充てられたほか、当時の作曲家への作品の委託(ラヴェル、コープランドなどが委託作品を書いている)、楽器のコレクションなども彼女の基金から始まった。 彼女の前例に続いて多くの資産家が寄付するようになる。 1930年にはガートルード・ウィト―と言うこれも女性の資産家がさらに音楽部門に多大な貢献をする。彼女は個人的にバッハ、モーツァルト、ブラームス(特に多量)、メンデルスゾーンなどの直筆楽譜を多く所有しており、これを全て寄付した。それからストラディバリウスなどの楽器も大量に寄付。 個人資産家だけでなく、その後作曲家自身や作曲家の遺族の寄付によっても音楽部門はさらにそのコレクションを増加して行く。例えば、ガーシュウィン、コープランド、バーンスタインなどの主要なアメリカ人作曲家の作品、手紙や書類などのほとんどがこの図書館に納められている。それからストラヴィンスキー、ショーンベルグなど色々な事情(主に戦争)によりアメリカに移住して来た作曲家の資料の多くもここにある。その他ブロードウェイ・ミュージカルの作曲家、ポップス、ジャズの音楽家も同じく。それからマルサ・グラハムなどの舞踏家も「パフォーミング・アーツ」の一環としてこの図書館に資料がおさめられている。特にマルサ・グラハムはコープランドなど当時の作曲家と色々やりとりや共同製作を手掛けているので、音楽家にとっては重要な人物でその資料も興味深い。 最初の日のオリエンテーションで私たちは、モーツァルトやコープランドやブラームスなどの直筆を見せられると共にこの図書館の歴史と、そのコレクションのボリュームに付いての説明を受け、頭がくらくらした。さらに「演奏家はただ演奏するだけでなく、こう言う資料の存在を知り、勉強する事によって自身の演奏をより豊かなものにする努力をする責任がある」と言うスピーチが音楽部門の部長から在り、プレッシャーを感じた。この部長はスーザンと言うきさくな女性で、でもこのスピーチは厳しく感じられた。 例えば内田光子を始めとする私が尊敬する演奏家の多くは、こう言った図書館に行き、直筆を勉強すると言う作業を自分の音楽づくりの一環としている、と言う事を私は知識として知っている。しかし私は初日、こう言った作曲家の直筆を見せられても正直言って何をどうやって見たら良いのかさえ分からなくて、戸惑った。これらが、とても古く、かけがえが無く、したがって値段が付けられないくらい価値が在る物である、と言う事は観念的には分かるが実感が湧かない。これを自分の何にどうやって役立てたら良いのか。作曲家の直筆を目前にしたら、私はきっと直観的にインスピレーションを感じるだろう、と自分に期待していた。しかし現実にそう言う物を目前にして、正直に言うと、私はそう言った物を感じる事が出来ず、期待されたどうりの反応を演技しながら、正直、静かに焦っていた。 さらに図書館のサイズが初日、私たちを打ちのめした。例えば、1980年までのコレクションが昔懐かしい、長い引き出しにカードカタログとして登録されてある。しかしそれ以降の物はコンピューターにしか登録されていない。何が1980年までで、何が1980年以降か、示してくれるものは無い。また、カードカタログにもコンピューターにも登録されていない資料、と言うのもある。スペシャル・コレクションである。これは例えば「バーンスタイン・コレクション」の全てに目を通して見つけるしかない。しかし、例えばコープランドのリサーチをしていたら、「この手紙はきっとバーンスタイン・コレクションに在るはずだ」と言う見当をつけられなければ、その手紙は見つけようが無い。それから、例えば作曲家が文豪と文通をしていた場合、その手紙は音楽部門では無く、文学部門にあるかも知れない。さらに、写真や録音は「メディア・コレクション」と言う部門に在る。これは音楽部門とは全く別のビルに在るのである(国会図書館は現在3つの大きな建物から成っている)。何から手をつけたらいいのか。どうやってリサーチをしたら良いのか。 図書館は5時に閉まる。私たちは夕食を取った後、ミーティングをして、これからの方針を絞る事、そして役割分担をすることにした。私はその夜4時間しか寝なかった。インターネットでリサーチをしていたからである。 次の日は私たちは一般の人が入る事の許されない地下のツアーをした。まずコレクションの入手(オークションや、死去した人の遺族からの寄付など、また受け付ける物と受け付けない物の選別の基準、方針など)、入手した資料の登録、整理、保管、そして公開の仕方。さらにコレクションの一部の観覧(バッハ自身が所有していたゴールドベルグの第一版、出版前のオリジナルがここに在る)。音楽部門の「リーディング・ルーム」には参考資料(辞書や、カタログなど)以外は何も置かれていない。一般の図書館使用者はコンピューターか、カードカタログを使って欲しい物の登録番号を図書館員に告げ、図書館員に地下から取って来てもらう。私はこの日、地下のツアーでブラームスの直筆を眺めた時、彼のレガートを書く時の筆の勢いに気が付いて、初めて直筆の何が興味深いのかちょっと分かった気がした。特に19世紀以前の直筆はペンとインクで書かれているため、筆の方向や勢いが良く分かる。ためらって書いた所と、勢いよく書いたところでは線の太さが違うのである。それから作曲家本人がすでに書いたものを消したり、何かを付け加えたりしたところがある。また丁寧に書いている所、急いで書いている所も書き方の感じが違う。 3日目の朝は私たちは「Jefferson Building」と言われる、国会図書館の本館のツアーが在った。これは色々な彫刻や壁画やステンド・グラスなどの装飾が施された、素晴らしく美しい建物である(音楽部門のあるマディソン・ビルディングは割と実用的でそっけない)。Jeffeson Buildingはトーマス・ジェファーソンの名前を取っている。ここで独立宣言のコピーを見た。独立宣言を、トーマスジェファソンは一日半で書きあげたそうだ。そして今日、化学の力やテクノロジーのお陰で、彼がどの言葉を消したか、どの言葉に書き換えたか、分かるのである。さらにジェファソンが書きあげた独立宣言を、ベンジャミン・フランクリンを始めとする色々な人が手を加えている。彼らは綴りや文法を直したのではない。内容を大きく変えているのである。例えば全ての国民が「Life, liberty, and the pursuit of happiness(生命、自由及び幸福追求)への権利が在る」とする所で、Jeffersonは最初「Life, liberty and the pursuit of property(生命、自由及び資産追求への権利」としているのである。これを「the pursuit of happiness」としたのはベンジャミン・フランクリンである。他にもそう言う面白い変化が沢山ある。これは私に作曲家の直筆を見る時の参考をくれた。こう言う課程を見る事の面白さ、と言うのが音楽のプレッシャーを少し離れた所で分かりやすく感じたのだ。 4日目は本当に楽しかった。リサーチの方法がすでに分かって来たからだけでなく、何をリサーチしたいのか、と言う事もやっとはっきりしていたし、作曲家の手紙や直筆を読む作業は本当に楽しかった。例えばバーンスタインは、作曲しながらその空白に、実に沢山の落書きをしている。人の似顔絵とか、とても卑猥な絵とか。そしてそれが結構下手くそなのである。チャールズ・アイブスの手紙の字はブルブル震えている。まっすぐの線が書けないようだ。ルース・クローフォード・シーガーと言う女流作曲家は、締め切りを過ぎた楽譜の催促をする出版社に対して育児をしながら作曲をする大変さをエンエンと手紙7ページにわたって書いている。その手紙を書いている暇にちょっとでも作曲したら良さそうなものだが、何だか書き始めたら止まらなくなっちゃったような感じである。しかもその手紙が実にユーモアに満ちているのである。この手紙は皆で笑いながら回し読みして、コピーも取った。涙が出るくらい、この日は楽しかったのである。なんで涙が出るくらいなのか、と言うのはちょっと説明し難いのだが、何だか作曲家が急に生身の人間になって私たちの前に登場して、それまでは印刷された楽譜の向こうにいた偉い人だったのが、急に何だか可哀そうで、可愛い人達になっちゃったからである。バーンスタインはジュリアードの入試で落ちているし、対位法のクラスでBを取っている。私はバーンスタインの評伝を読んだ事があるが、そんなことはこれっぽっちも知らなかった。そして作曲に飽きると楽譜の余白に落書きしたり、「ジュリアード、落ちちゃったよ~」と手紙を書いたりしている。何だか涙が出てくる。 私はこれから、国会図書館に何度も通うと思う。この旅は始まりの旅だったと思う。私は自分にとって何が大事か、自分がどうして音楽家なのか、このたびをきっかけにこの冬、再確認の過程を経ると思う。 リサーチの最中、トイレで図書館員の一人に「どう、楽しんでる?」と話しかけられた。「圧倒されています。物凄いコレクションですね」と返すと、「そうでしょう。でも毎日こう言う所で仕事している事、こんなに凄いコレクションでさえ、当たり前になっちゃうの。でもあなたたちみたいな人が来てくれて、驚いたり、圧倒されたり、喜んだりしてくれると、私たちも再度、ここで働く事の素晴らしさを再認識させてもらえるの。ここに来るのは音楽学者がほとんどだから、あなたたちのような演奏家、実際に音楽を体現する演奏家が来てくれると、本当に嬉しい」と、腕をキュ、キュ!と掴まれた。その話を他の4人にしている時、またちょっと泣きそうになってしまった。

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