ユーチューブのプレミア公開イベントってご存知ですか?私は初めてです。(プレミア公開イベントそのものについてはこちらでお読みいただけます。)
コロナ禍開けて最初の収録が5月の11日でした。この動画が公開されるとき、世界各地で皆で一緒にリアルタイムで視聴しましょうという事で、このプレミア公開イベントをやります。私と主催者が開演30分前からチャットルームで皆さんをお迎えしてご質問にお応えしたり、演目の内容などについてチャットをしています。演奏中もリアルタイムで奏者や主催者、聴衆者同士などでチャットのコメントを交信する事が出来ます。
30分ほどのプログラムで、バッハ、モーツァルト、ラヴェル、ドビュッシーの中でも特に有名処を弾いています。
- 日時:米西海岸27日(日)14時開演/日本時間28日(月)6時開演
- 場所:YouTube https://www.youtube.com/watch?v=UZKWsWiZiSo
- 主催:Kaleidoscope Chamber Orchestra https://www.kco.la/events
- フェースブックイベントページ:https://www.facebook.com/events/158240789669972/
- 演目:
- バッハ 平均率集第一巻よりニ長調とニ短調
- モーツァルト 幻想曲ニ短調
- ラヴェル ハイドンの名によるミニュエット
- ドビュッシー 五重の塔(曲集「版画」より)
- ドビュッシー アラベスク一番
- ドビュッシー 月の光(ベルガマスク組曲より)
ユーチューブプレミア公開イベントなんて、私だって初めてなのですから、ご存知ない方も多くいらっしゃるのではないでしょうか?敷居が高くならない様に、予告編を自分で編集してみました。こちらです。
私はこの予告編はお客様と主催者へのサービスのつもりで作りました。主催者には感謝されるだろうと思って「宣伝に使ってください」とリンクを送ったのです。そしたらクレームが来ました。「長すぎるし、我々のブランドイメージに合わない。更に常に一流を目指している我々のスタンダードに、この素人臭い編集はそぐわない。公開しないでください。我々が予告編を作ります。」
約束より数日遅れて送られてきた予告編がこちらです。
確かに編集は私のよりもずっと良いです。私はiMovieという「誰でも動画を簡単に編集できますよ~」という事が売りのソフトウェアを使って動画編集をしています。そのソフトウェアでは不可能なすっきりとした趣味の良い編集だと思います。
しかし、物凄い問題意識を感じることが在ります。「月の光」の背後の私のナレーションです。まず第一文章は問題ありません。
「Music synchronizes our heart beats, breathing, and even our brainwaves, reminding us that what we share is greater than our differences. (音楽を共に聴いていると、私たちの心拍、呼吸、そして脳波までもがシンクロして、人間にはお互い違いよりも共通点の方が多いって気付かせてくれるんです。)」これは私がしょっちゅう言っている、言わば決まり文句です。ここはOKです。問題は第二文章。
この動画では私は「The music seems to transcends all worldly judgements. (音楽は世俗的な価値判断を超越しているように思えます。)」
しかし、実際には私はこんな事は言わなかったのです。私が言ったのは「Bach seems to transcend all worldly judgement. バッハは(他の作曲家と違って)世俗的な価値判断を超越しているように思える」です。演奏の動画に挟まれる曲のイントロで私は「(バッハは)良いも悪いも観方次第」と感じさせてくれるから、私はコロナ禍でバッハを弾きつづけた」と言ったのです。これを、物凄く細かい編集をして「Bach」と私が言っているところを「The music」に置き換えているのです。
大したことじゃない、騒ぎ立てるまでもない、と思われるかもしれません。でも、いやいや、これは怖いです。
例えばこの文章に限って考えてみましょう。私はバッハの数学的な所や、工芸的な作曲技巧へのこだわりなどから、バッハの、特にこのプログラムで私が弾いているような前奏曲やフーガは、喜怒哀楽となどと言った人間の感情や価値判断を超越していると言って良いと思います。が一方、世俗的な価値判断を超越してるとは言えない作曲家も居ます。例えば反ユダヤのエッセーを沢山出版し、死後はナチスのプロパガンダに使われたワーグナー。イスラエルではワーグナーを演奏するな、という不文律があります。私のこの言い方だと「軍歌もワーグナーもCMソングも音楽は全て世俗的な価値判断を超越している」と言っているように聞こえてしまいます。
更に問題意識をもっと一般化すると、こういう編集が可能ということは、肯定文を否定文にしたり、否定文を肯定文にしたりできる、という事です。私はこの主催者がそこまでするとは全然思いません。今回はあくまで不問にします。が、本人の了承を得ずに本人の発言にこういう編集を加えるという事は、結局そういう事なのだと思います。
自分の声が、自分が絶対言わない事を言っているのを聴くのは、何とも言えない違和感を感じます。
お疲れ様です。
一文を読んだ感想です。
芸能人と芸能事務所の関係性ですね
脳科学者でピアニストの芸術性にビジネスを加味する。
コンサートの利潤を上げる。
日本の本には、必ず、帯がついています。
ほとんどは、出版社の社員が辣腕をふるいます。
売り上げは、帯次第との極論もあります。
小川久男
広告に惑わされ過ぎると「裸の王様」現象が生じますが、
でもマーケティングは大事ですね。
真希子