ドアをさっと開けてもらったこと

今日は午後、ジェニーのオーボエのリサイタルに出演した。テレマンのオーボエ・コンチェルトは弦楽四重とダブル・ベース、そしてチェンバロの伴奏で、私はチェンバロを担当した。経験は多くは無いのだけれど、結構ソロも在って楽しく弾けた。それからデュティユ―のオーボエ・ソナタ。この曲はオーボエには超絶技巧らしいけれど、ピアノも決して簡単ではない。でも、とても素晴らしい曲だと思うので、気合いを入れて準備して、気合いを入れて練習しました。良い曲を弾くのは楽しい。 演奏の後は意識がちょっと日常から離れる。すぐに雑用や演奏に戻れない。そこで、今日はオペラを観に行きました。LAオペラと、LAオペラの常任指揮者のジェームス・コンロンの共同プロジェクトで「リカヴァード・ヴォイシズ」と言う、ナチスが抹殺したために上演されなくなり、その為埋もれてしまったユダヤ人作曲家によるオペラを探して上演してりヴァイヴァルさせましょう、と言うもう何年にも渡ってやっている企画の一環で、今日はシュレッカー(Schrecker)と言う20世紀初期のウィーンの作曲家の「Die Gezeichneten(The Stigmatized)」を観ました。舞台から何と3列目の席が手に入ってしまい、舞台の上に在る字幕と舞台で進行していることを同時に見るのにちょっと苦労したけれど、音響は素晴らしく、指揮も歌手の演技もばっちりまじかで見れたし、とても楽しみました。 オペラが終わったら随分夜遅く、急ぎ足で学校に戻ったら、一年生と二年生の男の子二人と丁度出くわしました。彼らの方が私の10歩程先を歩いていたのですが、二人でまるで申し合わせたように学校に入るドアを右と左で「サッ」と同時に私の為に開けてくれたのです。何だかお姫様になったみたいで嬉しかった。この右の一年生の男の子はチェリストです。父親が有名な指揮者らしく、結構周りがちやほやしているのですが、本人はそう言うことにはまったく無頓着で、私にはそれが頼もしく見えます。例えばこの前のパーカッション・アンサンブルのスティーブン・ライヒのセクステットでピアノ・パートを引き受けたり、学期末で皆が段々忙しく、余裕がなくなって来ている時に色々な演奏に積極的に参加したりしています。私は来週、自分の指揮のヴィデオを製作せねばならず、その為の弦楽奏者9人と管楽器奏者8人を集めるのに結構苦労しました。皆、「助けたい」と言う気持ちは山盛りなのですが「今ちょっと苦しいの。許して」とか、「自分のリサイタルが迫っていて間に合わない」とか、最終的にはOKをくれる子でも「予定を確認してから」と言う人がほとんどだったのですが、この子だけは頼んだら即答で「喜んでやります。是非、やらせてください」と言われて、正直びっくりしました。その言い方はもう、主義、と言う感じで(この子はもしかしてそう言う風に「頼まれたら断るな」、と教育されているのだろうか)と思いました。何にせよ、それで私が非常に嬉しかったのは事実だし、私の中でこの子の好感度は200%アップしたし、自分もこれからは誰かに物を頼まれた時、即答出来る時は「喜んで」と言って引き受けよう、と思いました。

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