March 2010

指揮について、追加

私は修士を修めた翌年2001年から,コルバーンに来る2006年まで,毎年東欧のオーケストラのアメリカやヨーロッパのツアーに独奏者として参加した。限り在る予算で行われるツアーで、毎朝早くバスでホテルを出発し、午後遅く現地入り、サウンド・チェックをして夜本番、と言う繰り返しのツアーで、食事は移動の休憩時に止まるスーパーで買いだめしたクラッカーや缶詰、果物などだったが、毎晩本番が繰り返し弾け、私はとても楽しかった。そのツアーに2回、指揮者として参加したフランス人が、奇偶なことにLAオペラの副指揮で今LAに居ることを最近発見、連絡を取り合って、今日お昼を一緒にした。 彼はパリの一流オケの主席チェロを務めていたが、バーンスタインに勧められて指揮を始めた。長いことパリ・オペラで当時の常任指揮者だったジェームス・コンロンの副指揮を務めていたが、「一流オペラ、有名指揮者の副指揮を務めるより、片田舎の2流オケでも良いから、自分の指揮がしたい」と、奥さんの故郷であるハンガリアに移住、今ではハンガリアでトップ・レヴェルのオケやオペラの指揮者として、活躍している。その一方時々助っ人で今でもジェームス・コンロンの副指揮を務めるため、お声がかかれば世界中の色々なところに飛んで行く。 彼に会うのは実に6年ぶりだったが、そう言えばツアーの最中はバスで移動中、私を隣に座らせて総譜の読み方や分析の仕方、彼の会った有名な指揮者の逸話、私の演奏に関する指摘など、色々教えてくれたなあ、と懐かしく思い出した。音楽が楽しくてたまらない、と言う感じのエネルギーの溢れたいつまでも若若しい人で、白髪は当時に比べて著しく増えていたが、それ以外は全く昔と変わらず、私のこれからの進路について親身に相談に乗ってくれた。 「私はまだ指揮が一体何なのかもはっきりと分かっていない」と話しを切り出したところ、彼は即座に「指揮とは権力である」と即答した。冗談かと思ったが(彼は非常に3枚目である)、大真面目らしい。「自分はチェリストとしてずっと音楽を学んで来たし、指揮者は少なくとも奏者と同じくらいの勉強とエネルギーを費やして指揮をするべきだ、とずっと誤解して来た。ところが最近気が付いたのだ。指揮の仕事は奏者の仕事よりもずっと簡単で楽である。ただ、要するに面の皮を思いっきり厚くして、自分よりもずっと近いところで音楽に関わり、自分よりもずっと準備に時間をかけ曲を良く知っている音楽家たちの目上に立ち、彼らの交通整理をして、自信たっぷりのふりをする。群衆はなぜかいつもリーダー的存在を必要としているから。」「指揮者が始めから終わりまで全てを計画していると思ったらそれは間違えだ。指揮者は奏者の投げかけてくる音楽に常に瞬時に反応しているだけだ。指揮者が決定しなければいけない音楽的要素と言うのは、確かにあるが、その数は限られている。後は、兎に角今在る音楽をどう次の瞬間に続けて行くか、と言う、瞬時瞬時のゲームの様なものである。」「指揮の技術と言うのは確かにあるが、例えば君の様なきちんとした訓練を受けた楽器奏者なら、それはもう出来ている。後はいかに自分を音楽家として掘り下げるか、だけだ。」「指揮とは在る意味とても胡散臭い仕事である。非常な高級取りの上、不相応な権力が手に入る。自分は自分の魂の為に、後10年くらい働いたら辞めようかと思っている」などなど。そして、多くの指揮者がいかに個人的に不幸か、そして彼の場合家庭の幸せを手に入れ、人間としてのモラルを大事にする代償として、華々しいキャリアはあきらめた、などと話してくれた。血なまぐさいような、指揮者どうしの裏切りや、計画的(キャリア上の)暗殺の話しなどを話してくれ、自分はそんなことはとてもできない、と言っていた。それでも、音楽の話し、自分が最近指揮した演奏会の話しになると、目がきらきらして本当に楽しそうだ。最近の演奏会でソリストと意見が分かれ、昼食と夕食を何回も一緒にしながら話し合って結局自分が折れた話しなどを、声高らかに笑いながら話してくれた。そう言えば私も彼と一度ツアーで、ショパンの2番の協奏曲のテンポについて、一度火花を散らしたなあ、そして彼は良く若干青二才だった私と本気で話し合ってくれたなあ、と思いだした。「一つアドヴァイスをするとしたら、拍と言うのは常に踊っていなくてはいけない、と言うことだ」と、何度もデモンストレーションしてくれた。 一生懸命話してくれたから、私も一生懸命聞いた。その後、LAオペラの「神々の黄昏」のリハーサルを見せてもらった。まだセットや衣装が出来たばかりで皆が打ち合わせしながら進行している様な、めったに見ることのできない面白い経験だったが、私は何度も船を漕いでしまった。一生懸命聞いて、一生懸命考えたから。。。

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ジョージ・オーウェルの「1984」と、村上春樹の「1Q84」

私は村上春樹の「ノルウェイの森」と「ねじまき鳥クロニクル」(それからもしかしたら「羊を追う冒険」)は、独特の雰囲気を持った素晴らしい小説tたちだと思うし、今や国際的に注目を浴びる村上春樹と言う小説家が、私と同じ日本人なのは誇らしい。でも、村上春樹の「1Q84」がジョージ・オーウェルの「1984」と同じ主張を表現することを目的とした小説だと仮定して(そうかどうか、ちょっと疑問だけど)比較検討するとしたらば、「1Q84」は「1984」の足元にも及ばない、と私は個人的に思う。この2週間でこの二つの小説を読破した。このブログを書くに当たって今、ざっと「1Q84」の書評に目を通したが、大体とても肯定的である。「新しい作風」と言うことで意見は統一しているが、皆それを肯定的にとらえ、讃えている。でも、私は村上春樹は安易なセンセーショナリズムに走ったと思う。何ケースもの、被害者の若い女性の自殺に追い込むまでの家庭内暴力の赤裸々な描写、親友をそうして失って仇を討つつもりで家庭内暴力を奮う男性を次々と暗殺する美人なスポーツインストラクターである女性主人公と、その暗幕で在る優雅な70代の金持ちマダム。この女主人公とその友達が繰り広げる、ポルノ的な性遊戯、さらに新興宗教のリーダー的存在による何人もの幼女に対する性的虐待。日本ではどうだか知らないが、アメリカではこの頃映画でも小説でも、簡単に売ろうと思ったら「セックスとヴァイオレンス」の公定式は古くなり、「幼児の性的虐待とドラッグがらみの暴力」(それからトランスセクシュアリティーとか、まだまだ色々あるが)と言うのがもうほとんど当たり前になってしまった。何だかそれに忠実にのっとった、安っぽい方向に逃げたな、としか私には思えない。それに比べてジョージ・オーウェルの「1984」は怖いほどの傑作だと思う。1949年に書かれた、と言うのが信じられない程、1980年代はもとより、2010年の現代社会でも危惧するべき根本的な人間性の問題を的確に描き出していると思う。かなり毒々しい拷問のシーンがかなりのページ数に渡ってあるが、物語には必然的である、と納得できる。興味本位でタブーを描いている感じはまったくしない。宗教でも、政治でも、絶対的な権力の前に屈服してしまった人間が、その権力に逆らって「自分らしさ」「人間らしさ」を保つことは可能かと、問いかけることがこの二つの小説の試みていることである。どちらも、友情、親子関係においては、それは無理だ、とする。そして二人とも、最後に残すのが男女間の愛情である。ジョージ・オーウェルの場合、このカップルは「ビッグ・ブラザー」の設定する法律に逆らって濃厚な大人の関係を結んでいる。普通の恋愛小説でもほとんど見ること無いほどの、読んでいて嬉しくなるほどの完全の恋愛で、二人で話し合うことで初めて表だって絶対的権力に反抗する勇気を得る。しかしその後、拷問に屈して二人ともお互いを完全に裏切りあい、その後自由の身になってももう、お互いの顔を観ることさえ望まなくなってしまう。「ビッグ・ブラザー」の完璧な勝利である。村上春樹の場合、このカップルの間にあるのは10歳の時の一瞬の初恋だけである。それでもお互い、お互いの存在20年間を強く思い続け、この一瞬の熱烈な恋が「自分」形成の大きなファクターになっている。しかし、「リトル・ピープル」の作り出す異様なパラレル・ワールドにおいて、二人は強く願いながら、そして本当に近くまで歩み寄りながら、結局顔をみることさえかなわない。村上春樹がジョージ・オーウェルの描いた警告を、在る意味反対方向から描こうとした、それは分かる。「ビッグブラザー」と言う威圧的な存在に威嚇されながら、怯えて、人格をゆがめながらサヴァイヴァルを試みる、ジョージ・オーウェルの人民に対し、村上春樹の描く社会で人民を歪めているのは、もっと目に見えない「リトル・ピープル」である。それでも題名を明らかにジョージ・オーウェルを意識したものにしたことや、ストーリ発展上の色々なヒントで、彼がオーウェルのノン・ユートピアに似せたものを書きたかったのは容易にわかるし、それに抗う在る男女の恋愛物語、と言うことも分かる。でも天呉と青豆と言う男と女の関係を全く観念的なプラトニックにしてしまったことでこの小説は普通の読者には共感しにくい、メルヘンになってしまっている。ジョージ・オーウェルのウィンストンとジュリアの恋愛は、私たち読者の一人一人が一度は経験したことの在る、あるいは一度は経験したいと強く願う、現実的な、あるいは現実逃避的ななまなましい熱烈な恋愛・そして性愛感情である。その恋愛について読む時、私たちはどうしても自分をウィンストン、あるいはジュリアに投影してしまう。そしてその投影は彼らが拷問され、お互いを裏切り、そしてその敗退感からお互いを嫌悪するに至るまで辞められないから、この小説は私たちを強く揺さぶるのだと思う。あくまで個人的な意見だが、私は村上春樹の「1Q84」には正直がっかりした。世界中の期待がかかる作家だけに、次はもっとうまいことやって欲しい。逆にジョージ・オーウェルには脱帽した。これからもっと彼の本を読んでみようと思う。 Mompou Prelude No. 2 (1927) – A note from the past.

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友情について。

私は、どちらかと言うと一匹狼である。 小学校の卒業アルバムでは「クラスのひょうきん者」に選ばれたりしたし、時々急にハイテンションになって一人で大声で喋りまくったりするが、沢山の人が同時に会話をしている、例えばレストランのテーブルや、パーティー会場で良く、気が付くと完全に自分の頭の中に入り込んで全く別の考え事をしている自分に気が付いたりする。「会話の為の会話」と言うのは、余りしない。一人でいる時間が普通の人より多く必要としていると思うし、その時も頭の中は結構忙しく、楽しくしている。私が旅が苦にならずに、むしろ好きなのは、そう言う性格によるところも多いと思う。 そんな私でも、人生の疑問を時々分かち合いたくなって、急に非常に入り込んだ会話をしたりする。そう言う必要を感じる時、そう言う会話に応じてくれる友達に、私は実に恵まれていると思う。何週間も、何カ月も、時には何年も話しをしていなくても、訴えかければ共鳴して、一緒に考えてくれる友達。 今日は2006年、私のコルバーン一年目の時のルームメートに電話をした。将来のことの不安を、今同じような立場にあると風の便りに聞いた彼女と、分かち合いたくなったのだ。コルバーンで余り幸せで無かった彼女は近所に住んでいながら、卒業後は全く姿を消してしまった。話すのは実に1年ぶり位だ。それでもルームメート時代は実に色々な話をしたし、どうしているか、心の底から気になったのだ。「どうしているかと思って」と言ったら「今、青空市場で一杯買い物して来たところ。夕飯作るから、食べにおいで」と誘われた。尋ねて行ったらろうそくが灯して在って、前菜から飲み物まで、ゴージャスなお夕飯が用意してあった。美味しく頂きながら、一杯おしゃべりをした。 私は、幸せものだなあ、と思う。

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来る日本での5月の演目について。

私の日本での演奏活動は2001年に始まった。 その後毎年恒例で続けてきた日本での演奏会は、今年で10年目を記念する。感慨深い。 今年のプログラムはそんな2010年を記念して、「生誕記念の作曲家たち」と言うタイトルである。 始めは1810年生まれのショパンを祝って、ショパンづくしのプログラムにしようと思っていた。 私は「君は何で音楽学者を喜ばせるような選曲ばかりするんだ!」と先生が嘆いて尋ねかけるような、奏者にも聴衆にも難しい難曲ばかりを並べて演奏して来た。ベートーヴェンの超難解ソナタ、「ハンマークラヴィア」は2008年に演奏したし、私が「秘宝」と名づける、けれども全く誰にも馴染みの無い曲を並べたプログラムや、12音階のショーンベルグやベルグとシューベルトやモーツァルトを比べた「ウィーン楽派」のプログラム、などなど。ティケットの売り上げについての心配をあえて無視して、こうして私の音楽探求心を尊重してくれた主催者の人々、そしてそういうプログラムでもいつも応援に駆け付けてくれて暖かく見守ってくれた聴衆の方々には本当に感謝が尽きない。そう言う皆に感謝の気持ちの表現のつもりで今年はショパンを一杯弾くつもりだった。 ところが、幾つかの事実に気が付いたのである。 #1この夏ははショパン・コンクールが在る。ショパンは沢山演奏されるだろうし、沢山放映されるだろう。その時期にショパンを弾くのはちょっとショパン過ぎじゃないか? #2同じ年に生まれたシューマンを弾かなければ、片手落ちではないか。 シューマンとショパンは同じ年に生まれ、どちらもその人生においても、音楽においても、絵に描いたようなロマンティストであるが、同時に正反対の要素も多い。比較検討が非常に面白い二人なのである。例えば、ショパンは祖国ポーランドの革命や、パリへの亡命、そして肺結核など若い時から色々な困難に直面しながらも、本当に幼少の時から作曲活動を生涯続けた、ほぼ独学の、生まれつきの作曲家である。一方シューマンは父親の命令で不本意ながら法律の勉強をしたり、音楽と同じくらい文学に入れ込んだり、練習しすぎて手が動かなくなり断念したけどピアニストを目指したり、結構回り道をした「努力家」の作曲家である。この二人の違いはその作風にも如実に表れている。そしてその多様性は、ロマン派の多様性をそのまま反映しているようで、それもまた面白いのである。 しかし私はそこでまた、広げたくなってしまうのである。それじゃあ、その百年前、百年後に生まれた作曲家にはどんな人が居るのか。百年後、1910年に生まれた作曲家で有名なのはアメリカ人のサミュエル・バーバーである。私は彼のピアノ協奏曲を弾いたこともあるし、余り多くは無い彼のピアノ独奏曲も遊びで弾いたり、レッスンで教えたりした、思い出深い曲が多い。1710年に生まれた作曲家にはバッハの息子の一人である、ウィルヘルム・フリードマン・バッハが居る。カール・フィリップ・エマニュエルや、ヨハン・クリスチアンなどと言う有名な息子の中では少し影に居る息子だが、しかし彼の鍵盤ソナタは時にスカルラッティを彷彿させるような鍵盤技巧を駆使したり、突然面白い転調をしてみたり、なかなか面白いのである。 と言うわけで、5月中旬に始まる私の今年の日本での演奏会での本格的練習、開始である。

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指揮について、後半

指揮者の仕事の大きな部分は音楽以外の所にある。主に人間関係である。聴衆とオーケストラとの関係と言うのも勿論あるし、オーケストラの奏者間、オケの事務局と奏者との関係などと言うのも指揮者にかかってきたりする。資金集めにも指揮者のパーソナリティーが大きく影響する。全ては最終的には音楽の為なのだが、中にはこういう人間関係をまとめるのが非常にうまいので、指揮自体が余り上手く無くても、音楽的に余り深く無くても、かなりのキャリアを持つ指揮者もいる。逆に、かなりの指揮者でもこう言うことが上手く無いために、くすぶる人もいる。 また指揮者は体型、容姿、と言うのも作る音そのものに影響する。理想的には、指揮者はその動きで音楽を体現して、奏者を触発する。だから必然的にいつもオケの一歩先の音楽を踊っている感じになる。オケはその指揮者を観て反応して演奏する。太った指揮者と痩せた指揮者が同じ音をオケから引き出すためには、かなり違った動きをしなければいけない。そして自分の意図、性格、音楽性とは全く関係なく、自分の体型、性別、声音、体格、~要するに、「イメージ」~で在る程度「自分の音」が決まってしまうのである。 指揮と言うのは、かなり表面的な仕事なのではないか? 私はピアニストなので、オケの中の奏者として、指揮者の合図に反応しながら演奏した経験は少ない。それでも、数少ないオケの中のピアノ・パートを演奏した経験は何回かは在る。一番最近、去年の夏のタングルウッド音楽祭でバーンスタイン作曲の「ウェスト・サイド・ストーリー組曲」のピアノ・パートを担当した。この時はリハーサル2回を指揮の研修生に従って弾き、本番前のリハーサル一回と本番は有名なアメリカ人指揮者、レナード・スラットキンの元で演奏した。この曲は小節ごとに拍が変わるセクションがあったり、リズム的にかなり入り組んでいて、割と難しい曲だし、ピアノ・パートはチェレスタと掛け持ちで、ソロも在り、かなり難しい。研修生の指揮の時は、兎に角必死に数えて、びくびくしながら弾いた。ところが、レナード・スラットキンが来たとたん、皆途端に安心して、急に自信を持ったのである。これはリハーサル中の彼の話しかけ方、話す内容、励ます口調、そして自信たっぷりの指揮具合による。この時は、彼の指揮の拍も導入の合図も余りにはっきりしているので「私が間違えたら、あなたのせい」と思いながら、楽しく演奏出来た。 ところが、上には上が居るものである。タングルウッドには現代曲専門の指揮者が居た。知る人ぞ知る、アッシュベリーと言うイギリス人の指揮者である。彼はスラットキンの様に華々しいキャリアは持っていない。容姿もパッとしないし、研修生から親しみをこめて、酔っぱらった時に彼が踊ったダンスを真似されてからかわれるような、親しみやすいけど、カリスマとは程遠い人格である。ところが彼の指揮がこの上無く明確なのだ。疑いようがない。非常い入り組んだ現代曲のパート譜の一音一音を必死で追いながら、パッと彼を一瞬見上げただけで、今何拍の小節の何拍目か一目瞭然なのである。この時は完全に「私が間違えたら、私のせい」と思った。 指揮者は自分で音を出さない。指揮者が働きかけるのは、音楽では無く、奏者である。指揮者は奏者を通じて間接的にに音楽を創る。そして、少なくとも今のティケットの売り上げが音楽の将来の明暗を決めてしまう資本主義の世の中では、指揮者のゴールは聴衆を喜ばせることである。少なくともオケのマーケット担当の人は指揮者のイメージを通じてオケを聴衆に売ろうとする。 昔の指揮者、例えばトスカニーニやカラヤン、ショルティや、ストコウスキーと言った昔の大指揮者の音楽性と言うのは今でも色々な人が色々なことを言うけれど、最近の指揮者で私の頭に最初に浮かぶのは、彼らの顔写真、あるいは指揮をするそのイメージである。少なくとも指揮者に関しては、完全にマーケットに、音楽が負けている。私はもっと昔の個性の強い指揮者の勉強をしなければ。 ちょっと支離滅裂になってしまったが、今の私の指揮の理解度とはつまりこんなものなのです。これからもっと勉強します。

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