March 27, 2010

来る日本での5月の演目について。

私の日本での演奏活動は2001年に始まった。 その後毎年恒例で続けてきた日本での演奏会は、今年で10年目を記念する。感慨深い。 今年のプログラムはそんな2010年を記念して、「生誕記念の作曲家たち」と言うタイトルである。 始めは1810年生まれのショパンを祝って、ショパンづくしのプログラムにしようと思っていた。 私は「君は何で音楽学者を喜ばせるような選曲ばかりするんだ!」と先生が嘆いて尋ねかけるような、奏者にも聴衆にも難しい難曲ばかりを並べて演奏して来た。ベートーヴェンの超難解ソナタ、「ハンマークラヴィア」は2008年に演奏したし、私が「秘宝」と名づける、けれども全く誰にも馴染みの無い曲を並べたプログラムや、12音階のショーンベルグやベルグとシューベルトやモーツァルトを比べた「ウィーン楽派」のプログラム、などなど。ティケットの売り上げについての心配をあえて無視して、こうして私の音楽探求心を尊重してくれた主催者の人々、そしてそういうプログラムでもいつも応援に駆け付けてくれて暖かく見守ってくれた聴衆の方々には本当に感謝が尽きない。そう言う皆に感謝の気持ちの表現のつもりで今年はショパンを一杯弾くつもりだった。 ところが、幾つかの事実に気が付いたのである。 #1この夏ははショパン・コンクールが在る。ショパンは沢山演奏されるだろうし、沢山放映されるだろう。その時期にショパンを弾くのはちょっとショパン過ぎじゃないか? #2同じ年に生まれたシューマンを弾かなければ、片手落ちではないか。 シューマンとショパンは同じ年に生まれ、どちらもその人生においても、音楽においても、絵に描いたようなロマンティストであるが、同時に正反対の要素も多い。比較検討が非常に面白い二人なのである。例えば、ショパンは祖国ポーランドの革命や、パリへの亡命、そして肺結核など若い時から色々な困難に直面しながらも、本当に幼少の時から作曲活動を生涯続けた、ほぼ独学の、生まれつきの作曲家である。一方シューマンは父親の命令で不本意ながら法律の勉強をしたり、音楽と同じくらい文学に入れ込んだり、練習しすぎて手が動かなくなり断念したけどピアニストを目指したり、結構回り道をした「努力家」の作曲家である。この二人の違いはその作風にも如実に表れている。そしてその多様性は、ロマン派の多様性をそのまま反映しているようで、それもまた面白いのである。 しかし私はそこでまた、広げたくなってしまうのである。それじゃあ、その百年前、百年後に生まれた作曲家にはどんな人が居るのか。百年後、1910年に生まれた作曲家で有名なのはアメリカ人のサミュエル・バーバーである。私は彼のピアノ協奏曲を弾いたこともあるし、余り多くは無い彼のピアノ独奏曲も遊びで弾いたり、レッスンで教えたりした、思い出深い曲が多い。1710年に生まれた作曲家にはバッハの息子の一人である、ウィルヘルム・フリードマン・バッハが居る。カール・フィリップ・エマニュエルや、ヨハン・クリスチアンなどと言う有名な息子の中では少し影に居る息子だが、しかし彼の鍵盤ソナタは時にスカルラッティを彷彿させるような鍵盤技巧を駆使したり、突然面白い転調をしてみたり、なかなか面白いのである。 と言うわけで、5月中旬に始まる私の今年の日本での演奏会での本格的練習、開始である。

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指揮について、後半

指揮者の仕事の大きな部分は音楽以外の所にある。主に人間関係である。聴衆とオーケストラとの関係と言うのも勿論あるし、オーケストラの奏者間、オケの事務局と奏者との関係などと言うのも指揮者にかかってきたりする。資金集めにも指揮者のパーソナリティーが大きく影響する。全ては最終的には音楽の為なのだが、中にはこういう人間関係をまとめるのが非常にうまいので、指揮自体が余り上手く無くても、音楽的に余り深く無くても、かなりのキャリアを持つ指揮者もいる。逆に、かなりの指揮者でもこう言うことが上手く無いために、くすぶる人もいる。 また指揮者は体型、容姿、と言うのも作る音そのものに影響する。理想的には、指揮者はその動きで音楽を体現して、奏者を触発する。だから必然的にいつもオケの一歩先の音楽を踊っている感じになる。オケはその指揮者を観て反応して演奏する。太った指揮者と痩せた指揮者が同じ音をオケから引き出すためには、かなり違った動きをしなければいけない。そして自分の意図、性格、音楽性とは全く関係なく、自分の体型、性別、声音、体格、~要するに、「イメージ」~で在る程度「自分の音」が決まってしまうのである。 指揮と言うのは、かなり表面的な仕事なのではないか? 私はピアニストなので、オケの中の奏者として、指揮者の合図に反応しながら演奏した経験は少ない。それでも、数少ないオケの中のピアノ・パートを演奏した経験は何回かは在る。一番最近、去年の夏のタングルウッド音楽祭でバーンスタイン作曲の「ウェスト・サイド・ストーリー組曲」のピアノ・パートを担当した。この時はリハーサル2回を指揮の研修生に従って弾き、本番前のリハーサル一回と本番は有名なアメリカ人指揮者、レナード・スラットキンの元で演奏した。この曲は小節ごとに拍が変わるセクションがあったり、リズム的にかなり入り組んでいて、割と難しい曲だし、ピアノ・パートはチェレスタと掛け持ちで、ソロも在り、かなり難しい。研修生の指揮の時は、兎に角必死に数えて、びくびくしながら弾いた。ところが、レナード・スラットキンが来たとたん、皆途端に安心して、急に自信を持ったのである。これはリハーサル中の彼の話しかけ方、話す内容、励ます口調、そして自信たっぷりの指揮具合による。この時は、彼の指揮の拍も導入の合図も余りにはっきりしているので「私が間違えたら、あなたのせい」と思いながら、楽しく演奏出来た。 ところが、上には上が居るものである。タングルウッドには現代曲専門の指揮者が居た。知る人ぞ知る、アッシュベリーと言うイギリス人の指揮者である。彼はスラットキンの様に華々しいキャリアは持っていない。容姿もパッとしないし、研修生から親しみをこめて、酔っぱらった時に彼が踊ったダンスを真似されてからかわれるような、親しみやすいけど、カリスマとは程遠い人格である。ところが彼の指揮がこの上無く明確なのだ。疑いようがない。非常い入り組んだ現代曲のパート譜の一音一音を必死で追いながら、パッと彼を一瞬見上げただけで、今何拍の小節の何拍目か一目瞭然なのである。この時は完全に「私が間違えたら、私のせい」と思った。 指揮者は自分で音を出さない。指揮者が働きかけるのは、音楽では無く、奏者である。指揮者は奏者を通じて間接的にに音楽を創る。そして、少なくとも今のティケットの売り上げが音楽の将来の明暗を決めてしまう資本主義の世の中では、指揮者のゴールは聴衆を喜ばせることである。少なくともオケのマーケット担当の人は指揮者のイメージを通じてオケを聴衆に売ろうとする。 昔の指揮者、例えばトスカニーニやカラヤン、ショルティや、ストコウスキーと言った昔の大指揮者の音楽性と言うのは今でも色々な人が色々なことを言うけれど、最近の指揮者で私の頭に最初に浮かぶのは、彼らの顔写真、あるいは指揮をするそのイメージである。少なくとも指揮者に関しては、完全にマーケットに、音楽が負けている。私はもっと昔の個性の強い指揮者の勉強をしなければ。 ちょっと支離滅裂になってしまったが、今の私の指揮の理解度とはつまりこんなものなのです。これからもっと勉強します。

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