March 2010

指揮について

昨晩、入学試験の伴奏で超多忙だった一週間の終焉を祝って、久しぶりにLAフィルの演奏会を聴きに行った。ベルリオーズのLe Corsaire、エマニュエル・アックス独奏によるショパンのピアノ協奏曲2番、そしてショスタコーヴィッチの交響曲6番と言う演目である。アックス氏のショパンは前にも聞いたことが在り、いつも何かが今一つ足りない、と言う気持ちを払拭しきれない。余りに率直で、簡潔過ぎるのだ。この曲は私は何年にも渡って色々なツアーで何十回と演奏した曲で、だから余計批判的になると思うし、アックス氏は去年の夏タングルウッドでメンデルスゾーンのハ短調トリオをみっちりコーチングしてもらってから私は非常に尊敬している。彼のボストン交響曲とのベートーヴェンの4番も素晴らしかった。まあ、ショパンについてはそういう所である。しかし、今回の演奏会の一番の注目点は何と云ってもLionel Bringuier と言う若干23歳の指揮者だ。LAフィルの常任指揮者を今シーズンから勤めているデュダメルもまだ27歳で、その熱情的な指揮と、非常に人間的な性格で話題沸騰中だが、その彼の副指揮を務めているのが、このライオネル君だ。彼は19歳の時に指揮の登竜門的存在である、ブサンソンで優勝している。BBCや、NYフィルなど、一流のオーケストラの客演指揮もすでに勤めている、将来有望株だ。 私が特に彼の指揮が気になるのは、私自身、コルバーンを卒業後、指揮をもっと本格的に勉強するか否か、今迷っているところだからである。ライオネル君は、若いから当たり前だが、指揮歴はまだ10年と、短い。そして、この華々しいキャリアである。私はライオネル君よりかなり年上だが、指揮歴はまだ4年、しかも趣味的な、微々たるものである。華々しいキャリアを望んでいるわけではないし、望んでもかなう確率は万分の一以下である。じゃあ、なぜ指揮の勉強をしたいのか、指揮とは一体何なのか。 私がコルバーンに来た年、指揮を始めた理由は、楽器演奏とは正反対の視点から音楽に関わることによって自分のピアノ演奏を上達させたかったからである。楽器で音楽を奏でる場合、一つ一つの音全てに肉体的、感情的、知的に自分を打ち込む。その為に視点が近視的になり、全体像を見失いがちである。指揮の場合、一つ一つの発音や、細かいニュアンスは全て他人任せで、ただ単に方向性と全体像だけに責任を持つ。全く逆の遠視的とらえ方である。私は自分は近視的な人間だと思うし、そう言う自分が好きだ。突き放した見方は余り好きでない。でも、ピアニストとしてバランスを取るためには、指揮の勉強が役に立つのでは、と始めただけである。 ところがやってみて、面白くなってしまったのである。指揮には音楽だけでなく、人間とのかかわり合いが重要になってくる。奏者たちの心理的要素、それにどう言う風に何を訴えかけ、どう左右することによって、どう言う音、どう言う音楽を作り上げるか。これはただ単にどう腕を振り回すかだけではない。演奏前にどう言う言葉をかけるか。オケ奏者の一人が間違えを起こした場合、睨みつけるか、微笑みかけるか、無視するか。どうやってオケと言うグループの士気を高めるか。言葉か、行動か、表情か、あるいは腕の動かし方か。また、指揮にはハッタリの要素が強い。そして私は意外にハッタリが効くのである。本当は自信が無くても、音楽の、そしてオケの気運が自分にかかっていると思った途端、急に張り切って「大丈夫、私が付いているからね!」と根拠も無いのに声高らかに宣言し、無我夢中で手当たり次第何かをしているうちに何とかなってしまったりするのである。う~ん、面白い、そして愉快。 ライオネル君はデュダメルに負けず、凄く大きく降る指揮者だ。しかしデュダメルがどう考えても美男子とは言えない、まあ3枚目なのに対し、ライオネル君は小柄だが、線の細い美形である。デュダメルが汗垂れ流して大きな運動で指揮をすると「情熱的」になるが、ライオネル君は同じくらいの運動量でも、なぜか汗が余りで無いし、結構優美な感じでこれは「ドラマチック」になるのである。しかし、彼にはハッタリの要素が多い。私は、(やっぱりちょっとはやっかみもあるし)目を皿の様にして彼の指揮をチェックしていたが、彼は何度か振り間違えたし、大事な導入の合図を忘れた。特にショパンはほとんど勉強してなかったと思う。まあ、ショパンなんて言うのは指揮無くても何とかなるし、そのほかの曲だって急所意外は大抵の所は指揮無くてもオケは勝手に弾けるのである。じゃあ、指揮と言うのは何なのか。 後半に続く。。。?

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お金について

お金と言うのはつくづく不思議なものである。 お金が無くても感心するほど太っ腹の人もいるし, お金が沢山あるのに凄い検約家の人もいる。 私は、音楽家にしては金銭的にはまあ、文句を言えばバチが当たる部類だと思うけど、同時にいつも頭の中でゲームの様に、ロビンソン・クルーソ―の様に、生き延びるのに必要最低限の支出で、といつも考えて生きてきた。だから、普通の日本人より「高い」とか「安い」とか思う、金額のケタが一つ違うと思う。支出に関しては、そうやって最低限、最低限、と考えていれば良いだけだから、一貫していて簡単である。 ところが、収入に関しては、もうこれはどう考えていいか全く分からないのだ。こういう仕事だから、相場が非常に曖昧である。多くの仕事は、仕事の前に金額の打ち合わせは無く、終わってから頂いた金額を受け取るだけ。シューマンの妻で、幼少から天才児ピアニストとして騒がれ、19世紀を代表するピアニストとして歴史に名を残したクララ・シューマンでさえ、演奏会の後に花束だけを寄贈され、ギャラをもらえなかった時に憤慨して日記に「私が花を食べて生きていると思っているのでしょうか?」と書いている。その一方、そう憤慨して書いているにも関わらず、彼女が主催者に抗議や再交渉に行った形跡も無いのである。私の場合は、支出がそんなわけで少ないし、出演する演奏会も、大体経費と収入の予測のつく小規模なものが多いので、いただける金額は全て有難い。問題は、時々私にとってはけた違いに大きな金額が急に手に入る時である。 今週、私は学校が設定した金額によって、コルバーン入学希望者のオーディションの伴奏を引き受けた。かなりの数をこなしたし、まあ正直昨日は疲労困憊したけれど、譜読みも含めてキャンプから帰って来た先週の木曜日から一週間の仕事である。それだけで、私の貧乏生活ならば2か月は優に自活できる額を稼いでしまったのである。不思議なものである。伴奏はかなり一定した需要のある仕事だ。ただ、独奏と随分違った技術を要するし、私の音楽観に及ぼす影響を懸念して、私は生活の為に必要で無い時は最小限しかして来なかった。しかし、私はいつも自分のことを貧乏だと思っていたが、そしてそれは自分の選択によるものだ、と納得していたけれど、こんなに簡単だったとは。 しかしここで、(じゃあ)と思って定期的に伴奏をするようになると、どんどん自分の練習時間が無くなって行くのです。現に私は今週は自分のソロのプログラムをさらったのは正味2時間弱だったと思うし。

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弛緩

今日は14人のコルバーンの入試オーディションの伴奏をした。クラリネット、バスーン、そしてオーボエの木管のオーディションの日である。色々なドラマが在り、色々な曲が在り、色々な解釈、個性が在り、色々な挑戦が在った。私はニューヨークでフリーランスをしていた時ははジュリアードのパート・タイムのスタッフ伴奏者としてかなり伴奏をしていたが、コルバーンに来てからしばらくは、思う所色々在ってしばらく伴奏はほとんどしていなかった。こんなにまとめて伴奏したのは本当に久しぶりだ。オーディションが終わってしばらくは、凄い高揚と充実感で、色々雑用を片付けて走り回ったり、友達に声高らかにハイテンションで話しかけたりしていたが、夕飯の後、一つ次のオーディションのリハーサルをしたあと、突然脱力してしまった。もう何もできない。一日置いて、木曜日にもチェロのオーディションをまとめて伴奏するのだが、その為の譜読みをしようと思ってももう腕が言うことを聞かない。通りかかった友達に「大丈夫?凄い疲れて見えるけど」」と聞かれて初めて、(ああ、これは疲れなんだ)と自覚した。時間を開けて、今夜は最後にもう一つ10時半から最後のリハーサルが在る。それまで自分の部屋で仮眠を取ろう。部屋に戻って電気を消して、布団をかぶったら今日一日在ったことが、アリアリと、でも夢の様によみがえってくる。眠れないのだけれど、でも寝ている様に身体が動かない。今日弾いた曲がどんどんどんどん頭の中でプレイバックされる。今日在った色々な入学志望者の顔や声や、人生談や、音楽性が思い出される。そうやって、横たわって、約一時間。段々自分が戻って来た。 気が付いたら窓の外の夜景がきれいだ。 私は年功序列なのか、今年は個人部屋をもらえた。寮の10階の、建物の角の部屋で、寝室に付いた二つの窓からの眺めは多分寮の中でも一番良い。窓からはハリウッド・サインも、ウォルト・ディズニー・コンサート・ホールも、市役所も見え、遠くには山脈も見える。絶景だ。遠くの夜景がまたたいている。こんないわゆる一等地の素晴らしい眺めの部屋に住む縁になったここまでの道のりが、不思議で、そしてありがたく思えてくる。 急にお腹がすいてきた。それから昨日はブログを書かなかったことを思い出した。段々自分が戻ってくる。気がつけば10時。最後のリハーサルまであと30分。さあ、後一頑張り。行ってきます。

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張り切っている。

昨日は朝の9時前から夜の10時まで昼食と夕飯を除いてほぼびっちり練習室に缶詰でした。 久しぶりにこんなにピアノ三昧の毎日です。凄い充実感。 今、寝起きでブログを書いているのですが、こういう風に練習している時は夢の中でもずっと練習しています。 その日練習した曲たちがそのまま夢のBGMでずっと流れているのです。 時には夢の中でさらっていることも在ります。 昨日は3時間のリハーサルのみでしたが、今日は自分の練習に加えて5時間のリハーサルです。 頑張ります。

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今、学んでいること

急ピッチで沢山の伴奏譜を譜読みしている。 自分自身のオーディションでは無いが、人の人生がかかっているオーディションだから責任も感じるし、しっかり上手いことサポートしてあげたい。一昨日キャンプから帰って来てから練習室に缶詰状態だ。昨日の夜は本当は息抜きに友達とティム・バートン監督の新作「不思議の国のアリス」を観に行く約束をしていて、本当はとても行きたかったけれど、キャンセルせざるを得なかった。でも、私はこういうギリギリのところで頑張るのは結構好きだ。負けず嫌いだし、挑戦されると頑張って、その過程を結構楽しんでいる自分を好ましく思う。 そうやって根詰めて頑張っていて気がついたことは、一つのことばっかり同じ視点から見ていると、ブラインド・スポットが出てくる。視点を変えるべく、上手いこと気分転換したり、色々な方法でアプローチすること工夫が大事と言うことです。疲れてくるとボーっと同じモーションを惰性で繰り返して頑張っている錯覚に陥りがち。そしてそれは時間と労力の無駄であることが多い。 頑張るぞ。

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